第61話 魔法少女の幻覚
爆風が襲いかかる。私の体はあっと思う間もなく吹き飛ばされて地面を転がった。
どこかのショップのガラスに後頭部を強かに打って止まる。慌てて駆け寄ってきたチョコに揺さぶられ、呻きながら起き上がった私は目の前に広がる地獄に息を飲んだ。
大勢の人が倒れていた。体を黒く焦がし、額や腕から血を流し、痛みに掠れた悲鳴をあげている。
一瞬前までの平和な光景なんてどこにもない。茫然と立ち尽くす私を笑うように、次々と周囲から爆発音が聞こえてきた。いくつも火の玉が上がる。連続する爆発音に周囲から悲鳴が上がる。
「ありす!」
不意に私は千紗ちゃんに首根っこを掴まれて引き倒された。何事かと振り返った瞬間、直前まで背中をくっつけていたショーウィンドウの内側で爆発が起こった。
砕け散ったガラスが雨のように降り注ぐ。ガラス片を逃げ惑う人々の靴が踏みつけ、パキパキ、ジャリジャリと音を奏でる。
「何っ、どういうこと!?」
鷹さんがパニックになって叫んだ。彼女の肩を抱き寄せて庇った澤田さんも、鋭い眼差しを周囲に巡らせる。
また来るぞと千紗ちゃんが叫んだ。ほぼ同時に今度は頭上から爆発音が聞こえてくる。思わず身を竦めた私の頭に、何かがコツリと降ってきた。
オレンジ色のカボチャの欠片だった。呆けて上を見上げると、近くの建物の壁に飾られていたカボチャの飾りが半分砕けていることに気がつく。断面からブスブスと黒煙を上げるその飾りを指差し、「あれだ!」と千紗ちゃんが声を上げた。
「カボチャだ。あちこちでカボチャが爆発してんだ」
「はぁ? どういうことなのっ?」
「さっきから見てりゃ爆発を起こしてんのは全部、街に散らばるカボチャの飾りばかりだ。黒いカボチャのマークが描かれたやつが次々爆発してる!」
「……それってもしかしてカボチャ探しゲームのやつ?」
チョコがつぶらな目を丸くして言った。
今夜開催されているカボチャ探しゲーム。参加者が探すカボチャは黒いマークが付いたジャック・オー・ランタン。街のあちこちに散らばっているのだ。その数は十や二十なんて些細なものじゃない。
チョコはおそるおそるといった様子で服に手を突っ込んだ。いつの間に拾ったのか、そこからいくつも転がり出てきたものはまさにそのジャック・オー・ランタンだ。
キャッと悲鳴をあげてチョコが全てを地面に放り投げれば、そのうちの一つが小さな破裂音を上げて四方に飛び散った。マスターが冷静に杖を振り、破片を払いのける。
「街中に爆弾が散らばっているということか」
全員の顔から血の気が引いた。ゲームの主催者が犯人なのか、それとも犯人が爆弾を紛らせたのかは分からない。言えることはただ一つ。街中が危険に晒されている。
まっさきに走り出したのは澤田さんだった。一拍遅れてどこに行くのと鷹さんが後を追い、その後を慌てて私達もついていった。
爆発に騒ぐ人々を掻き分けて進む。先にいた雫ちゃんと兄丸さんが物音に振り返ってふっと振り向いた。途端、兄丸さんの頬に澤田さんの拳が振りぬかれた。
雫ちゃんの悲鳴を横に彼はもんどりうって倒れた。不自由な足を擦って立ち上がろうとするも、澤田さんがその上に馬乗りになり、上着越しに銃を突きつける。背骨に感じた銃口の感触に兄丸さんの顔色が変わった。
「目的は?」
「はっ? え? あ、兄貴っ?」
「お前の目的は何だと聞いている!」
ドスの効いた声だった。ひぐ、と鷹さんの喉から恐怖に引きつれた音が聞こえる。
「俺達は既に、お前が連続爆破事件の容疑者だという情報を持っている。……ハッ、こっちが慎重に事を進めていこうとしてるのにあっさり大爆発を引き起こしてくれたもんだな。これまでの調査が全部パアだ」
「ちょ、調査? 容疑者?」
兄丸さんは困惑した顔をしていたが、段々と大まかな話を察したらしい。ハッと見開かれた目が雫ちゃんに注がれる。気まずそうに視線を反らす彼女を見て兄丸さんは納得がいったように笑った。
「そりゃ君みたいなタイプの美女と簡単に知り合えるなんておかしいと思っていたよ。美人局か何かですか? ……でも爆破って何の話? 俺は何も知りませんよ」
「とぼけるのか? 親指だけ残して残りの指全部切り落としたっていいんだぞ?」
「脅すのはやめてくださいよっ、俺はもう組を抜けたんだ。思い出の場所巡りをしようってだけでこんな脅しを受けるいわれはないだろ!」
銃口で指骨を抉っても兄丸さんは多少顔をしかめただけでそれ以上の反応を見せなかった。思い出? と澤田さんが怪訝に眉根を寄せる。
元恋人との思い出だよ、と兄丸さんは困惑と躊躇いが混じった声で吐き捨てた。
「この子は俺の元恋人にそっくりなんだ。あの子との思い出の場所をもう一度でいいから巡りたかった。黙っていて悪いとは思ったけれど……。だけど爆発なんて本当に知らない。あんたが何を言っているのかさっぱりだ!」
「お前こそ、何を言っているんだ?」
完全に話が噛み合っていない。思い出、元恋人……バラバラと出される情報に澤田さんが肩を竦める。
「弟丸に聞いていた話と違うぞ」
「弟丸? あいつが言ったって、何を? 最近はろくに顔も合わせちゃいないのに」
「は?」
澤田さんが顔を強張らせた。銃口がゴツリと兄丸さんの背骨を抉る。
「おい待て。あいつとは、最近も仲良くしていたんじゃないのか?」
「いいえ? 事件の後くらいからお互いに連絡を取るのが気まずくなって、最近はめっぽう会わなくなりましたけれど……」
「事故ってお前が足を怪我する原因になった、あの商店街の騒ぎだろう? それが弟丸に関係あるのか」
「聞いてないんですか? ……あいつも多分、気まずくて言えなかったのかもしれないけれど」
おかしい。
私達に兄丸さんが怪しいと教えてくれたのは弟丸さんだ。彼は事故の後もよく兄丸さんの様子を見に行っていたと話していたはずだ。
澤田さんは兄丸さんに顔を近付け、何かを小声で聞いていた。しばらくの会話の後顔色を変えた澤田さんが携帯を耳に当てた。誰にかけているのかは聞かずとも分かる。電話はコール音を一つも鳴らさず持ち主の不通を伝えてきた。
「……弟丸を探すぞ」
澤田さんの吐いた言葉はゾッとするほど冷えていた。緊張感に場の空気が張りつめる。
彼は立ち上がり兄丸さんにここから離れるようにと告げた。兄丸さんはまだ何か言いたげな顔をしていたが、元上司である澤田さんの有無を言わさぬ表情を見て、渋々立ち去った。
「――――千紗!」
澤田さんが鋭く声を張り上げた。鋭利な言葉は千紗ちゃんだけでなく、私達の体もビクリと跳ね上げる。
「変身して爆弾を察知しろ。周囲の人間を爆発から遠ざけるんだ。できるな?」
「はっ? 澤田お前、察知しろったって」
「耳と鼻が利くんだろ? 煙の臭いを嗅げ。爆発直前の音を聞け。お前なら爆発までに一秒もあれば動けるだろう。急げ!」
「……
千紗ちゃんはぴくりと鼻にしわを寄せた。不快さを現すようにゴルルと喉から獣のような唸り声をあげる。けれど澤田さんに反論をすることはなかった。
彼女は一瞬身を隠すように澤田さんの上着で体を包んだ。布一枚を隔てた彼女の声がハッキリと聞こえる。
「変身!」
次の瞬間そこから飛び出したのは魔法少女イエローだ。
光のきらめきを残像に残す速さで、彼女は人々の中央に飛び込み、大きな咆哮を上げる。
「ゴオオオオオオッ」
爆発が起こったと勘違いしそうな声量だった。
千紗ちゃんの咆哮に人々が更にパニックになって逃げ惑う。彼女は構わず鼻を鳴らし、近くの人が持っていたカボチャを蹴り飛ばす。空中に弾かれたカボチャはそこで盛大に爆発した。
爆風に金髪をなびかせながら、彼女は手あたりしだいにカボチャを弾き、握り潰していった。爆炎が膨れる寸前にそれを臭いで察知し紙一重で避けていく。
鮮やかな炎を、彼女の黄色い光が幻想的に輝かせていた。私は思わずその光景に見とれてしまう。荒々しくも美しく爆弾をかわしていく彼女はとても目が離せなくて。そのなびく金髪と、魔法少女の衣装と、鋭い爪と牙があまりにも……。…………?
「っ!」
遠くから更に巨大な爆発音が響き、頭が真っ白になった。慌てて振り向けば広場の方向から火の手が上がっているのが見える。そこから聞こえてくるのは地獄のような悲鳴だ。
青ざめる私のポケットから携帯の音楽が鳴り響く。体を強張らせている私を見て、澤田さんが代わりに携帯を取った。相手は湊先輩らしい。澤田さんは簡素に彼の居場所を尋ね通話を切った。
「広場には木々が多い。燃え広がったら面倒だ。急いで爆発を止めに行くぞ」
「っ、あ、わ、わたし湊くんを連れてきます! 来る途中に爆発に巻き込まれたら心配だから……」
必死な様子の雫ちゃんはそう言って駆け出した。澤田さんは横目でそれを見送って、残る私達に顎を引く。
マスターとチョコがぬいぐるみ姿になって肩に飛び乗った。私と澤田さんと鷹さんは全力疾走で広場に向かう。近付くほどにそこから聞こえてくる悲鳴は大きくなり、ムッと咳き込むような暑さが増していく。
それもそのはず。広場では既に大規模な火災が発生していた。木々だけでなく近くの飲食店のガスに引火して二次爆発が発生しているのだ。
「カボチャを捨てて。中に爆弾が仕込まれている。今すぐに手離して、早く!」
鷹さんが声を張り上げて注意を呼びかけた。同時にSNSを開き、爆発物の情報を発信している。画面に目を向けず片手で打っているにも関わらず彼女が文字を打つ速度は凄まじかった。
澤田さんも倒れた木々や瓦礫に押し潰された人々を救おうと必死に動いている。力尽くで瓦礫を投げ飛ばし、呻く人々の手を引いて立ち上がらせていた。
「ありすちゃん、上っ。子供が取り残されてる!」
チョコの声に視線を上げた。広場近くにあるマンションの一室から火が出ている。窓から顔を出しているのは仮装姿の子供達だ。キャーキャーと悲鳴をあげて助けを求めている。
高さは約十階。轟々と燃えている火を見れば、一刻の猶予も残されていないと分かった。消防車は間に合わない。
行かなくちゃ。
私はマンションに向かって駆け出した。自動ドアを蹴る勢いで飛び込み、そのまままっすぐ裏階段へ向かう。十階に向かって駆け上がりながら喉の奥に素早く息を吸い込んだ。
「――――変身ッ!」
ドッと体が熱くなる。頭に血が滾り、視界が揺れる。階段を踏みしめていた靴音がトントンという軽いものからドスンッと重いものへ変わりコンクリートが抉れた。
魔法少女ピンクに変身した私は全力で十階へ上がった。マスターの指示で目的の部屋へとたどり着き、鍵がかかっていた戸を足で突き破る。部屋の中に充満していた火が肌を舐めた。酷く熱いが、今の私には重傷を負うほどではない。
「助けに来たわ!」
子供達は奥の部屋にいた。ゲームで獲得したジャック・オー・ランタンが絨毯の上に転がって火柱を上げている。これが火元で間違いなさそうだった。
子供達は光のともった目で振り返る。けれどその顔は希望から一転、絶望と恐怖に叩き落とされた。
「キャア、助けて。怪物!」
「あぶなっ……」
その子達は一際大きく声を上げたかと思うと、次の瞬間ベランダから飛び降りた。外で見守っていた大人達の悲鳴が聞こえる。
私は駆け寄りながら手を伸ばした。……駄目、変身していたって私の手はそんなに伸びない。子供達には届かない!
ジュルリ。
そんな音がして、私の手がベランダから落ちそうになっていた子供の足を掴んだ。
「えっ」
勢いを殺せぬまま私はベランダに突進する。落ちかけていた子供達の足を掴んだまま、私の体も真っ逆さまに落下する。
内臓が浮き上がるような浮遊感。恐怖を噛み殺し、子供達の体を抱きしめて私は地面に直撃した。
重い衝撃が体を襲う。痛みに意識が飛びかけた。けれどなんとか目を開けると、私の腕の中でぶるぶる震えている子供達と目が合った。ほっと微笑む私に子供達が絶叫する。
「怪物、怪物! 離せ。その子達からどくんだ!」
額に石が飛んでくる。驚いて丸くした目に映るのは、青ざめた顔で石を振りかぶる大人達の姿だ。
何をするの、やめて。私はこの子達を助けたのよ。酷いことなんてしてないわ。
そう言いたくてふっと手を伸ばす。その伸ばした腕は、私の目の前でまたぬるりと伸びて、石を持つうちの一人の頭を簡単に掴んだ。
「やめろ!」
私の伸びた手首を掴んだのは澤田さんだった。彼は一瞬、酷く険しい顔で私を睨んだ。思わず手を離す。すると伸びていたと思った腕はふっと普通の長さに戻った。
「っ……? あっ? ……。……?」
幻覚だったのだろうか。
幻覚にしては、掴まれた手首の感触があまりにもリアルだったけれど。
「落ち着きなさい。今すぐ人目につかない場所で変身を解くんだ」
マスターが冷静に言った。困惑する頭にスッと澄んだ声がしみる。
私は彼の指示に従い、急いで物陰に隠れて変身を解いた。重かった体がふっと軽くなる。ドロリと皮膚から溶けだした粘液のようなものが地面を濡らしてしゅうしゅうと湯気を上げた。
「……私? 何? なにかおかしいわね? どうしちゃったの? なにかしら、これ?」
「何もおかしくはないんだよありすちゃん」
「でも? でも? でも?」
「魔法少女ピンク。今の君が考えるべきなのは『どんな状況であろうと人を守りたい』という意思を強く持つことだ」
「???」
私は混乱しながら、腕の中に抱えた二人を見下ろした。
チョコが私を見上げてニッコリ微笑みながら「次が最後だね!」と元気に告げた。
「ありすちゃん!」
「湊先輩……」
広場に戻るとそこには湊先輩がいた。怪我をしている様子はない。彼の無事を安堵してふと横を見れば、雫ちゃんが何やら物憂げな表情で視線を反らしていることに気がつく。
「雫ちゃん? どうかしたの?」
「っ、う、うん。何も。平気だよ」
「それならいいけれど……」
「今はこの状況を何とかすることが最優先だもの」
その言葉はまるで、雫ちゃんが己に言い聞かせているようだった。
広場に燃え上がる炎を見て彼女は静かに頷く。振り向いた彼女の頬は、炎でチカチカと眩しく照っていた。
「ここはわたしが何とかする。皆は弟丸さんを探して。あの人が怪しいんでしょう?」
「雫ちゃん一人でっ?」
広場の面積は広く、人数も多い。勢いよく燃え広がる炎はゴウゴウと凄まじい熱を伝えてくる。
「火には強いの、わたし」
だから皆は行って。そう頑固に繰り返す雫ちゃんの背中に、湊先輩が気まずそうに視線を反らした。
「でもあの人がどこにいるか見当もつかない。片っ端から探すのは時間を食いすぎる」
「……雫。今日君が兄丸と回ろうとしていたコースは全て分かるか?」
「え? えっと……」
澤田さんの問いに雫ちゃんは唇を尖らせて考える。聞いてはいたけれど、と言って彼女はいくつかのショップやレストランを答えた。
最後に行く予定だったのは、と彼女は顔を上げて遠くを見る。つられた私達も顔を上げれば、視線の先にあるのは楽土町で一番高いと言われている楽土タワーだった。
「あそこの展望台から見える夜景が大好きなんだって」
「……そうかい。分かったよ」
澤田さんは何も言わずタワーへ向かおうとした。慌てて追いかけて、どういうことなのと尋ねる。兄丸さんの思い出のデートコースと弟丸さんの居場所。その二つがどうして繋がるのか分からない。
けれど澤田さんは「本人に直接聞けばわかるさ」としか答えてくれなかった。
不意に、周囲に舞う火の粉がジュッと音を立てて消えた。よく見れば雫ちゃんの周りの火の粉だけが水に濡れたように消滅していた。
彼女はふぅっと息を吐いてスカートの両端を持ち上げた。周囲に水なんてないのにいつの間にかスカートはぐっしょりと濡れて、裾から大量の水滴をしたたらせている。
彼女の髪や肌から伝い落ちた水が、その周囲に巨大な水たまりを広げていく。その水中からこぽこぽと水音がしたかと思うと、ぬるりとした触手のような何かが這い出して来る。
「…………変身」
声を上げた直後彼女の体がとろけた。ぬるっとした水が肌にまとわりつき、瞬きをする間に青いドレスへと変わる。
魔法少女ブルーに変身した彼女が風を撫でるように空中に腕を振った。ドッとどこからともなく湧き出した大量の水が広場に放射状に降り注ぐ。いくつもの火が掻き消され、白い煙がゆらゆらと空中に揺らいだ。
周囲からまた悲鳴が上がる。突如現れた魔法少女ブルーに驚いたのだろう。キラキラと水の粒が空中に散って冷たい宝石のように輝く。ハッと目が覚めるような青い光が、彼女の白肌と、ぬめる触手をつやつやと光らせて……。
「…………?」
気のせいか。さっきのイエローちゃんを見ているときと同じような違和感が胸に浮かんだ。
それが何かは結局分からないまま、この場は彼女に任せようと私達は広場を出ようとした。
そのときだった。
「待って!」
突然湊先輩が叫んだ。彼は携帯を見つめていた。その顔はすっかり血の気が引いて真っ白に染まっている。どうした、と澤田さんが尋ねれば彼は唇を小さく震わせた。
「僕。と、友達の所に行かないと……!」
私は彼の横から画面を覗き込み、彼が何を見たのかを察した。
SNSの画面だった。そこに表示されているのは涼先輩が駅前のショッピングモールで撮った写真である。投稿時刻は数分前だった。
まだ涼先輩がいる場所では爆発騒ぎが起こっていないらしい。呑気な顔の先輩がジャック・オー・ランタンを手にして笑っている。そのカボチャの端に付いているのは、黒いカボチャのマークだった。
湊先輩は慌てふためいて涼先輩に電話をかける。けれど電話は繋がらない。畜生、と湊先輩は涙をこらえるように唇を噛み締める。
「二手に分かれましょう。救出組と、弟丸さんの捜索組」
「なら俺とありすはタワーに向かう」
「私と湊くんはお友達を助けに行く」
「何かあったらすぐに連絡するんだ。気を付けろ」
「そっちもね」
澤田さんと鷹さんが素早く言って拳を打ち合う。二人の大人はそれぞれ私と湊先輩の肩を叩き、別方向へと走り出した。
タワーに向かい弟丸さんを探す。彼を見つけ次第爆発を止め、この惨事を終わりにしなければならない……。
そう意気込んで走っていた私は、脈絡もなくふっとその場に立ち止まりたくなった。
「?」
「ありすちゃん? どうしたの。急ぐよ」
「え、ええ……」
何故そんなことを思ったのか分からない。
ただ私は、次に変身することが少しだけ怖いと思ったのだ。
***
「涼、国光!」
僕と鷹さんは騒がしい街を駆けていた。
爆発はまだ一部の場所でしか発生していないらしい。こちらの人々は呑気にハロウィンを楽しみ、必死にカボチャを捨てるように叫んでいる鷹さんにも怪訝な視線を向けるだけである。
SNSを開いている人、友達から連絡を受けた人が小さく「爆弾?」「火事?」と疑問の声を上げている。ぽそぽそとした声は次第に伝染していっていたけれど、彼らが危機感を抱いて逃げ出すのにはまだ時間がかかりそうだった。
「爆弾があるんだってば!」
痺れを切らした鷹さんが立ち止まり携帯を掲げた。そこに映っているのはさっき発生していた爆発の映像だった。いつの間に撮ったのだろう。これまでに何度も映像を取り練習してきた鷹さんの映像にはインパクトがあった。CGには見えない迫力があった。
人々がようやく彼女の映像を見てざわめく。嘘でしょ、撮影じゃないの、本当に? そんな声が次第に膨れていく中、誰かがそっと捨てたらしいジャック・オー・ランタンがコロコロと目の前を転がってきた。
鷹さんが勢いよくそれを蹴り上げる。その衝撃か、吹っ飛んだそれが空中で小さく爆発した。ボンッと破片が雨のように散らばる。真下にいた人が悲鳴を上げ、一目散に逃げだした。
最初の一人が騒げば後はあっという間だった。爆弾だっと叫んで皆が逃げていく。投げ捨てられたジャック・オー・ランタンがゴロゴロと地面を転がった。
ようやくショッピングモールに辿り着く。出入口には騒ぎを聞いた人々が詰め寄せていた。
「涼!」
「え、湊?」
その中に涼を見つけて駆け寄った。彼の無事に安堵して泣きそうになれば、何お前どしたんとからかいの言葉が帰ってくる。
「なんか爆弾……? がどうのって放送が流れてさ。イベントの演出の一つかな?」
「違う。本物だ。爆弾があるんだよっ」
「君もこの映像見て。これがさっき本当にあったの」
鷹さんが涼に映像を見せると次第に彼の顔もどんどん真剣なものに変わっていった。映像がフェイクではないと気がついたらしい。
すぐに家に帰るように伝えてから、さっきから国光が見当たらないことに眉を寄せる。
「国光は?」
涼の顔は白かった。彼はぶるぶると肩を震わせて、首を横に振る。
「手分けをして探した方が効率いいって、タワーに行った」
「……タワー?」
「この間姉ちゃんと出かけてたときに、そのタワーにたくさんカボチャの飾りが付いてるのを見たんだって。だから、きっとたくさん隠れているはずだってあいつ言ってた」
涼は無言で遠くを指差す。その先には高い建物がそびえていた。
ありすちゃん達が向かった楽土タワーだ。
僕達はショッピングモールを飛び出した。鷹さんは駐車場の脇に視線をやると、放置されていた自転車を見つけてそれに跨った。
「乗って!」
「えっ。あ、はいっ」
思わず後ろに飛び乗った。鷹さんがぐっと力を込め、勢いよくペダルを漕ぐ。自転車の速度はどんどんと増して、人が二人乗っているとは思えないほどの速さになる。
気を抜けば振り落とされそうで、僕は悲鳴をあげて鷹さんの腰にしがみ付いた。
「私の脚力をなめるなよ!」
彼女の顔は汗だくだった。服越しに、ドクドクと脈打つ彼女の心音が聞こえてくる。
錆びたチェーンを力任せに回す音を聞きながら、気がつけば僕は彼女に話しかけていた。
「鷹さん」
「んっ?」
「国光。あいつ、ゲームで一等を当てて十万円を手に入れようとしてたんです」
「うん」
「お姉さんのために化粧品を買おうと思ってたらしいんです」
国光のお姉さんの顔には傷がある。それは数ヵ月前、商店街で変身したありすちゃんが暴れたときに付いた傷だった。
整形手術をしても完全には消せなかった傷。それを酷く気にしているお姉さんを少しでも元気づけたかったらしい。本人が冗談交じりに話していたと、さっき涼から聞いた。
「あいつが死んだらきっとお姉さんは悲しむ」
涙が込み上げてきた。誤魔化しきれずに声が震える。鼻を啜る僕を背中に置いて、鷹さんは一瞬だけ空を見上げた。
「泣かないの」
「す、すみません」
「涙は再会したときにとっておきなさい」
彼女の足がぐっとペダルを踏みこむ。錆付いていたチェーンがジャリジャリと砂っぽい音を立てた。
「必ず助けるよ!」
「……はいっ!」
国光は僕が絶対に助けだす。決意を胸に、僕は拳を握りしめた。
祥子さんと別れたときに思っていたことを、このときも思い出していたら何かが変わっただろうか。
今年のハロウィンは最悪なものになりそうだ。
僕はあのとき、そう思っていたはずなのに。
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