第58話 楽土町連続爆破事件

 青い空に眩しい太陽が浮かぶいいお天気の朝。登校中の私は湊先輩に出会った。


「ありすちゃん、チョコ、おはよう!」

「おはよう湊先輩!」


 私達は並走しながらにこやかに挨拶を交わし合った。私も湊先輩も汗だくだった。時刻は始業開始の十分前、完全に遅刻なのである。

 ぴょんぴょん跳ねた寝癖を指で押さえながら通学路を全力疾走する。湊先輩はそんな私の跳ねる前髪にちょっと笑った。私より、癖っ毛の彼の方が随分酷い髪形になっていたのだけれど。


「湊先輩も寝坊? 私も。朝ごはんのフレンチトースト食べられなかったから、お腹すいちゃった」

「じゃあこれあげる。後で渡そうと思ってたやつだけど」

「わ、クッキィ!」

「修学旅行のお土産」


 信号待ちをしながらサクサククッキーを齧る。私の肩に乗っていたチョコもこっそり一口齧った。オシャレな包紙に包まれたクッキーは抹茶味。確か今年の修学旅行先は京都だって言っていたっけ。

 二年生はこの数日修学旅行に行って昨日帰ってきたばかりだ。楽しかったんだろうというのはその顔を見れば分かる。放課後に色々とお話を聞くのが楽しみだった。どんな所に行ったのかしら。雫ちゃんとは何かお話したのかしら? 寝る前に皆で恋バナはしたのかしら……。


「私も旅行に行きたい。湊先輩達と皆で」

「どこ行きたいの?」

「京都や大阪なんて観光地もいいけれど……うーん、どこかの田舎に行って、皆でゆっくり過ごすのもいいかも」

「いいねぇ、短期バイトでもしてお金貯めて、行ってみようか」

「皆でずっとお喋りして過ごすのよ。川に釣りに行ったり、夜は怪談や恋バナをしたり、それからね」


 信号が青になる。進もうとしたとき、不意に湊先輩の肩がトントンと誰かに叩かれた。振り向いた彼の頬を、ぷにっと細い指がつつく。


「おはよっ、湊くん!」


 そこにいたのは笑顔の祥子さんである。目を丸くした湊先輩は思わず足を止めて、パチパチと目を何度か瞬かせた。

 風が彼女の甘く上品な香りを運んでくる。柔らかく艶めく髪は太陽にキラキラと光り、乱れ一つ存在しない。

寝癖だらけの自分の髪が恥ずかしくなってそっと押さえてみる。元から祥子さんの視線は一切私を見やしなかったのだけれど。


「寝坊しちゃったの? 私も、今日は準備に手間取っちゃって遅れそうだったの。でも、パパが車で送ってくれて」


 車道の脇に一台の黒い車が止まっていた。高級な光沢のある立派な車である。窓は暗くてよく見えないが、そこにパパさんが乗っているのだろう。


「湊くんも乗っていく?」

「うーんと……いや、頑張ってみるよ。ありがと」


 湊先輩は一瞬考えた様子だったけれど結局断った。自分の脚力の限界に挑戦したかったのか、おそらく置いて行かれるであろう私を不憫に思ったものかは分からない。

 祥子さんは明らかに落胆した様子で肩を落とした。けれどすぐに表情に笑みを張り直し、パチンと細い手を打った。


「湊くん、三十一日って予定ある?」

「月末? ううん。今のところは何も」

「よかった。じゃあ、一緒に遊ばない?」


 友達として、と祥子さんは強調するように続けた。湊先輩はんん……と少し考えてから頷いた。友達として、という部分に納得したように。

 ハロウィンだわ、と思わず私が呟けば彼は初めてその考えに思い至ったように頷いた。

 十月三十一日、ハロウィン。楽土町でも毎年駅前広場にたくさんのコスプレをした人達が集まって朝まで騒いでいる様子がニュースで報道されたりしている。私も毎年お家でママが作ってくれるハロウィンスイーツに舌鼓を打って過ごしているのだ。


「コスプレしたいの。今年は大規模なイベントが開催されるんだって。行かなきゃ損でしょ」

「僕でいいの? クラスの友達とか誘って遊ぶんじゃなくて?」

「だって湊くんのコスプレ見たいもん」


 約束したから、よろしくね。祥子さんは笑顔でそう言って湊先輩に手を振りながら去っていく。彼女は最後まで、私の方は見ようともしなかった。

 携帯に予定を書きこむ湊先輩を見上げ、私はふぅっと大きな息を吐く。


「湊先輩ったらモテモテね」

「ありがたいことに結構好かれてるみたい。……もう嫌われちゃったと思ってたけどな」


 湊先輩がほっとしたように笑う後ろで、学校の方からチャイムが聞こえてきた。私達は揃って時計を確認する。アウトもアウト、完全に遅刻確定の時刻になっていた。

 私達はもう全てを諦めて徒歩で登校した。校門にいた先生達に揃って怒られてから教室に向かう。幸いにもまだホームルームは始まっていないようだった。

 これはいけるかも、と急ぎ教室に飛び込んだ私は、けれど自分の席の前で凍り付く。

 直後教室に先生がやってきた。だらだら喋っている皆を席に着くように促して、立ち尽くす私に目もくれずに語りだす。


「はい、おはようございます。お前達ちゃんと毎朝ニュースは見てるか? ニチアサなら見てる? 先生もだ。で。えー、昨夜桜坂通りのゴミ捨て場でボヤ騒ぎがあるというニュースがあってな」

「先生」

「使いかけの花火のゴミに火が付いたままの吸殻が引火して、ちょっとした爆発が起こったらしい。煙草を吸うときは気を付けるように……あ? 吸わない? まだ未成年?」

「先生!」

「ん、あ? どうした?」

「私の席がないわ」


 私の席があった場所には何もなかった。机も、椅子も、中に入っていた教科書も全部。ただぽかりと空間が空いていて、ワックスが剥げかけた床がシンと黙って埃をまとわせているだけだ。

 先生はしばしぼーっとした顔で私を見つめてから、ハッとしたように慌てて首を振る。


「ああ! 悪い。昨日の帰り、どうも席が一つ多いように思えて取っ払ったんだ。いや本当にすまないな。最近忙しくて。寝ぼけてたんだ。本当に悪かった、ええと…………」

「……姫乃です」

「ああ! うん! そうだそうだ。先生ボケてきたかもしれない。悪いな、姫乃」


 まだ三十代の先生はぎこちない笑顔を浮かべて頭をかいた。私は首を振って、外に持っていかれた机と椅子を運びにいった。チョコが心配そうに私を見て、けれど何もできずにただ肩の上で黙っていた。

 廊下を行くときも教室に運び込むときも周りの子達は誰も手伝ってくれなかった。くすくす笑うこともなかった。まるで私のことなんて見えていないみたいに。

 机に書かれていた落書きは捨てる前に綺麗にしようとでもしたのか綺麗に消えている。私は所々でこぼこする机の表面を撫でながら、ぼーっと窓の外を見た。


「あ」


 向かいの廊下を湊先輩が歩いているのが見えた。国光先輩と涼先輩と何かを話して、大きな口を開けて笑っている。

 楽しそうな光景を見て、私は少し微笑んだ。

 ちょっと羨ましかった。




 下校の時間になっても気持ちはモヤモヤとしたまま晴れなかった。

 最近どうにも、上手くいかないことばかりで嫌になる。

 友達と話しながら下校している生徒達を見て思わず溜息を吐いてしまう。今日は寒い。濃紺色の空に、吐く息が白く浮かびそうだ。


 無視をされることが多くなった。


 机に菊が飾られていることも、背中に丸めたプリントを投げられることも減った。代わりに、皆が私を見なくなった。

 先生は出席確認のときに私の名前を呼ばない。前の席に座る子は、私の後ろに座る子に直接プリントを回し、私は立って先生に直接プリントをもらいにいかなければならない。グループを作って作業をするときは私を除いた皆でグループが組まれて授業が進む。

 私が話しかけてようやく、先生もクラスメートも今気がついたという顔でごめんと謝るのだ。

 無視をされる。まるで皆の中から、私の存在がなくなってしまったみたいに……。


「ああ、もう!」


 むしゃくしゃする気持ちを抑えきれず、私は地面に落ちていた小石を思いっきり蹴っ飛ばした。

 小石は思っていたよりも高い軌道を描いてぽーんと空を飛んでいく。下校途中の皆の頭を通り過ぎ、信号待ちをしていた車にコツリとぶつかった。黒くて大きくて高そうな車だった。

 信号が青になっても車は発進しなかった。運転席の扉が開き、中からスーツを着たいかつい顔の男の人が下りてくる。その人は固まる私を見つけると、険しい顔を更に険しくして詰め寄ってきた。


「小石飛ばしてきたのお嬢ちゃんか?」

「はぁ……わ……。わわ…………!」

「ちょっとこっち来てくれる?」


 助けを求めて周囲に顔を向けた。幾人かはこちらを見ていたけれど、視線が合いそうになるとサッと顔を背けてしまう。引っ張られる方は通りの陰になった狭い小道である。

 あーっと泣きじゃくる私が引き込まれそうになったとき、車の後部座席の窓から誰かが顔を出した。


「ありすちゃん?」


 澤田さんだった。彼はニコニコ私に手を振って、その手を引っ張る男性に困ったように笑う。


「コラコラ、その子離してやってよ。俺のお友達なんだ」

「いやですけど。こいつ車に傷付けて……」

「俺に二度同じこと言わせる気?」


 澤田さんは冗談めかした声で笑った。けれど男性はサーッと顔を青くさせ、いえ、と素早く私から手を離す。澤田さんの笑顔にはちっとも迫力なんてなかったのに。それでも男性の体は汗ばんで震えていた。


「せっかくだ、乗っていきなよ。お家まで送るからさ」


 澤田さんに誘われて私は彼の車に乗り込んだ。広々とした車だった。ふかふかのシートに天井付近に付いたテレビ。運転席にはさっきの男性、後部座席には澤田さん、二人だけで乗るには贅沢すぎるほどの車である。

 車内には滑らかなクラシックが流れていた。街の青い明かりが澤田さんの横顔をクッキリと浮かばせる。まつ毛に光を落として長い足を組む澤田さんの姿はロマンチックだった。

 私は窓の外に目をやった。外はすっかり暗いけれど、街はまだまだ賑やかだった。看板や店の明かりがキラキラと瞬き、人々の姿を照らしていく。カボチャの被り物をして笑っている大学生のグループを見ていると、もうすぐハロウィンだねと澤田さんが言った。


「今年は私も仮装して街に行ってみたいわ。なんだか、面白そうなことやるんですって」

「面白そうなこと……あ、これのことかな?」


 澤田さんが調べて見せてきたのは『パンプキン・ハロウィン』というタイトルが書かれた大きなイベント情報だった。

 三十一日の夕方から夜にかけて、コスプレをした人達による大規模なパレードが開催されるらしい。また同時にちょっとしたゲームが行われるようだった。楽土町内に散らばるジャック・オー・ランタンを一定数集めると、獲得数によって豪華賞品が当たるのだとか。

 キラキラ目を輝かせてふんふん興奮に鼻息を荒くする私に、澤田さんは笑った。


「湊くん達を誘うの?」

「ううん。湊先輩は別の友達と予定があるみたい。千紗ちゃんと雫ちゃんを誘おうかしら」

「いいね。人数が多ければ多いほど有利なんじゃない? 他の友達も誘ってみたら?」

「分かって言ってるでしょ?」


 膨らませた頬を窓ガラスにぺとりとくっ付ける。街を歩く人々の多くは、その隣に誰かがいた。友人であったり、恋人であったり。溜息を吐いて窓ガラスを白くする。もう今日何度目の溜息かも分からない。


「……今日ね。学校に行ったら、机がなくなってたの」


 おや、と澤田さんは静かに相槌を打つ。静かな夜に溶けるように、私はゆっくりと言葉を吐き出していった。


「余ってるって勘違いして持って行っちゃった、なんて先生は言うの。他にもね。プリントは回されないし、誰もグループを組んでくれない。クラスの皆が私を無視するの」

「…………そっか」

「最近教室に入るの、少し怖いのよ」


 私は膝に抱えたチョコを撫でた。ピンク色の毛はふわふわしていて、心地よかった。最近洗った覚えはないけれど自分でお風呂に入っているのかもしれない。

 澤田さんは何かを考えるように窓の外を見ていた。私も口を閉ざして、車内はしばしクラシックの音楽だけが流れていた。

 不意に、通りから聞こえる演説が車内に入ってきた。選挙カーの上に立つ人がマイク越しに「悪化する楽土町の治安を……」「爆破事件など卑劣な犯罪が蔓延ることは断じて……」と声を張り上げている。


「気合い入ってるなぁ。もうすぐ選挙だっけ」

「爆破事件って何?」


 知らない? と澤田さんはテレビを付けた。何度かチャンネルを変えるとニュース番組が流れた。楽土町で自殺者が急増しているというニュースの後に、昨晩のボヤ騒ぎについてのニュースが流れる。


『皆さんは覚えているでしょうか。半月前に当番組でも放送した、爆竹が河川敷の草に引火し小規模な火災が発生した事件。そして、先週起こった、郵便受けに届けられた不審物が爆発し四十代の女性が軽傷を負った事件。それら二つが、昨夜発生したゴミ捨て場でのボヤ騒ぎと同一犯の可能性があると警察が調査を進めています』


 窓から差し込む明かりがテレビを光らせる。ニュースキャスターの顔が白く光っていた。

 目立つ事件があってね、と澤田さんが言う。


「半月前に、河川敷でちょっとした火事が発生した。誰かが山積みにした爆竹に火を付けて遊んでいたのが、そのまま草に燃え移ったらしい。先週はどこかの主婦が郵便受けを覗いたところ、宛先不明の小包が届いていた。確認しようと開いた瞬間中に仕込まれていた火薬が爆発して軽い火傷を負ったらしい。そして昨夜はゴミ捨て場にて、使いかけのまま捨てられていた花火に煙草の火が引火して騒ぎになった」

「その三つが全部同じ人の仕業だって言うの?」


 おそらく、と澤田さんは頷く。


「一つ一つはさほど目立たない事件な上、原因となったものも花火や爆竹といった不注意で済ませられるようなものが多い。だけど最近になって、それらが同じ人間の仕業じゃないかと疑われるようになったんだ。」

「まぁ!」

「それぞれ、現場から焦げた釘や火薬の痕跡が見つかったんだ。ただの事故ではなく誰かが爆弾を設置し、花火や爆竹の火種を利用して爆発させていたらしい。威力はおもちゃレベルといえど爆弾は爆弾だ。テレビは連続爆破事件として取り上げているようだよ」

「そんなの最低よ! 私が魔法少女に変身して、犯人をやっつけてあげなくちゃ!」

「…………変身ねぇ」


 前の信号が変わって赤になった。車が止まる。横断歩道を渡る人々を見てから、澤田さんは少しくすぐったそうな半笑いで私を見下ろした。


「君は今でも、自分が可愛い魔法少女だって思ってる?」


 当然よ、と私は胸を張る。ピンクの髪がふわっと肩の上で踊った。


「私は魔性少女ピンクちゃん! 世界中の悪者を倒して、世界の平和を守るヒーローなのよ。これまでも何度だって皆を守ってきたわ。テレビに映る私を皆が応援してくれるの。頑張れ、負けるな、助けて、殺さないで、やめて、やめて、やめて、やめて、変身しないでって。変身した私を見て皆が叫んでるの? 泣きながら逃げてしまうのよ? 私の伸ばした手がぐちゃぐちゃした真っ黒い触手に変わって助けようとした人の頭を握り潰してしまうのよ? そうでしょ私はヒーローだわ。だからとっても可愛くてピンクで真っ黒で口から熱いビームが出て行くし私の脳味噌がきっと壊れてしまったせいで焼き切れた回線が空に飛んで行ってしまうからお腹が空いたわお菓子を食べたいの。甘くてとってもおいしいお菓子よ。だからええと? 私は魔法少女? え? そうだっけ?」


 澤田さん? と私は首を傾げて彼を見る。だらだらと顔中に滲んだ汗が目に入って染みた。

 澤田さんは眉間にしわを寄せてくっと笑う。かきあげた前髪が一束落ちて、彼の目尻を隠した。


「湊くんは優しいよね」


 彼は唐突に言った。私はよく分からないまま頷いた。


「鷹や黒沼も優しい人間だ。千紗ちゃんに、雫ちゃんも」

「うん?」

「君に真実を明かせる人間は誰もいない」

「うん……」

「俺が君の知らないことを教えてあげようか」


 彼の手が私の手を握った。大きな手は、思っていたよりもゴツゴツしている。

 光が澤田さんの顔を逆光に照らした。暗がりに映る彼の顔が、微笑んで私を見つめている。

 知らないこと、と呟けば。知らないこと、と澤田さんが繰り返すように言った。


「俺は優しくないからさ。教えてあげられるよ? 君が知らないこと、気になってること、全部。包み隠さず、まっすぐに」

「……………………」

「君の体の秘密から。君が見えていない現実まで。全部」


 ピク、と私の指が跳ねる。彼の手はそれを押しとどめるように重なって離れない。躊躇う視線を膝のチョコに向けたけれど、チョコはまるでぬいぐるみのように動かず、私に顔を向けてもくれていなかった。

 ニュースの話題が変わっている。街中を走る魔法少女の姿が映し出される。私達の活躍をまとめた特集が組まれ、ニュースキャスターが笑顔で賞賛の言葉を吐き出している。


「縺溘☆縺代※繝シ縺溘☆縺代※繝シ縺?繧後°繝シ縺溘☆縺代※繝シ逞帙>繧医♂縺ォ縺偵※繝シ谿コ縺輔↑繧、縺ァ繝シ螟「縺九i隕壹a縺ェ縺輔>譌ゥ縺冗岼隕壹a繧阪♀鬘倥>縺励∪縺吶?ゅ≠縺ェ縺溘ワ諤ェ迚ゥ縺ゅ↑縺溘ワ莠コ谿コ繧キ譌ゥ縺乗ュサ繧薙〒縺上l繧オ繝ィ繧ヲ繝翫Λ」


 それは私には、さっぱり聞きとれなかったけれど。


「どうする?」

「…………あ」


 澤田さんに返事をしようと口を開きかけたとき。不意に、走っていた車の速度がガクリと下がった。


「どうした?」


 澤田さんが怪訝に運転手さんに問う。ゆっくりとブレーキを踏んでいた運転手さんは、バックミラー越しに困った顔を向けてきた

 なんか……とぼんやりした声を上げて彼は前方を指差す。つられて目を向けた私達は、道路の前方にあるマンホールから白い煙が上がっているのを目撃した。

 その直後、ドンッと空気が震える音がして、マンホールの蓋が頭上に吹き飛んだ。


「うおっ!」


 車が急ブレーキを踏んだ。その横スレスレに落ちてきた蓋はくるくると高速で回転を始める。

 マンホールからはもくもくと白煙が上がり続けている。目を大きく見開いた運転手さんは、ハンドルを強く握ったまま、その場で茫然と止まっていた。

 私と澤田さんも無言で固まる。その横で回転していたマンホールの蓋がパタリと倒れて、もう二度と動かなくなった。





「ハロウィンのお洋服ってたくさんあるのね」

「この黒猫のやついいじゃねえか。バーで着たら、客が金落としてくれそうだ」

「わ、このゾンビメイドさん? 可愛い……」

「雫ちゃんに凄く似合いそうだ。こっちの婦警さんの服もかっこよくていいね」

「私魔法少女のコスプレしたい」

「いつも通りじゃねえか」


 夕方の喫茶店のテーブル席。私達はハロウィンの話題で盛り上がっていた。

 パンプキン・ハロウィンについて話すと皆案外乗り気になってくれた。当日はどんなコスプレをしようかと携帯で色々な情報を漁って、マスターが試供品として作ってくれたカボチャ型クッキーをサクサク齧る。

 何枚目かのクッキーを口に咥えて、私はチラとカウンター席を見た。そこでは横並びに大人達が座ってコーヒーを飲んでいるのである。


「……………………」


 賑やかな私達と対称的に、カウンター席は重苦しい空気に包まれていた。澤田さんと黒沼さんは難しい顔をして灰皿に吸殻を山盛りにし、鷹さんももう何杯目かしらないコーヒーを一気に飲み干している。その顔は一様に険しく、疲弊していた。


「三人共どうしたのかしら」

「パチンコで負けたんだろ」


 千紗ちゃんが強く私の背中を叩き、聞いて来いよと顎をしゃくる。私は困惑しつつもおそるおそる三人に近付いた。

「どうし」たの、と聞くより先に鷹さんが私の肩を引き寄せ頼んだまま放置していたケーキを無言で口に入れてくる。「にゃにが」あったのと聞く前に黒沼さんが私のほっぺを摘まんでぽにゅぽにゅと揉みしだく。「ほわわわわ」と横から伸びてきた澤田さんの手にぐりぐり頭を撫でられて目を回す。


「いくら連続爆破事件の記事を載せたいからって、『次に爆発しそうな所で張りこんでこい』ってのは無茶が過ぎるでしょ。編集長マジで何? 人間に予知能力があるって思ってる?」

「こっちだって必死で犯人捜してるんだよ。やれ市民を守る責任感が足りない、やれ警察は無能だって電話で言われても困るんだ。クレームのせいで全然調査が進まない!」

「青桐組の敷地内で爆発が起きると困るなぁ。まあ、敵の組織の方で爆発が起きたのは、ちょっとラッキーかも」

「あぶあぶあぶ」


 私の頬は三方から伸びる大人達の手にもみくちゃにされていた。

 これは……確実におもちゃとして見られている。ほっこり癒し系グッズとして使用されている。私のほっぺがもちもちなばっかりに!

 澤田さんの肘置きになってカウンターに突っ伏す私に、チョコがホットラテを入れてくれた。歯で上手くコップを傾けてくぴくぴラテを飲んで、湿った唇を舌で舐める。


「爆弾魔さんのお話してたのね?」


 爆弾魔? と湊先輩が怪訝な声をあげ、皆がなんだなんだとカウンターに集まってきた。ぎゅうぎゅうになったカウンターに頬杖を突き、黒沼さんが追い払うように手を振る。


「あー、社外秘なんで。子供は聞かないでくれ」

「ここで話してる時点で社外秘もくそもねえだろ」

「仕方ないだろ。ここはあまり人もいないし、話し合いをするのにもっといい場所は他にないんだから」


 黒沼さんはまた重い溜息を吐いて天井を見上げた。目の下にできた深いクマを揉み、指の骨をバキバキと鳴らす。


「最近立て続けに起こっている三件の事件が同一犯の可能性あり。また新たに昨夜発生したマンホールの爆発についても、内部に仕込まれていた火薬の痕跡から四件目と見ていいとの結果。連続爆破事件として調査を進める……。そう言われても、一つ一つの件が小さいから、大した情報も出てこない。犯人を捜せって言われてもどうすりゃいいんだ」


 警察は大変だなぁ、とヤクザの澤田さんが苦笑しながら煙草の煙を吐き出す。

 顔にかかる紫煙を払って、彼は肩を竦めた。


「まあ目ぼしい奴の心当たりなら一つあるけど」

「はぁ?」


 黒沼さんが素っ頓狂な声を上げて澤田さんを見る。疲れた顔をした黒沼さんは数度瞬きをした後、そっと取り出した手錠をそっと澤田さんの両手にはめようとする。


「いやいやいや俺じゃないから」

「署までご同行…………」

「違うって言ってんだろ馬鹿」

「犯人は皆そう言う…………」


 疲れすぎだから、と大きく仰け反って手錠から身を離し、澤田さんは横目で私に視線を送った。


「ありすちゃんは会ったっけ、こないだ車運転してた奴。あいつ弟丸って言うんだけどさ」

「おとまるさん」

「弟丸には兄貴分がいたんだ。少し前に、ちょっとした事情で組を抜けた奴なんだけどな。名前は兄丸」

「アニマルさん」


 私の頭の中に、昨日のいかつい運転手さんとウサギの耳を付けたいかつい男の人がぽわぽわと浮かんでくる。アニマルじゃないからね? と全てを見透かしたような湊先輩の声に一瞬で掻き消える。

 それ本名かよ、と引いた顔で言う千紗ちゃんに澤田さんは笑って首を横に振る。


「あだ名だよ。あんまりにもお互いが兄弟みたいに接してたから、いつからか誰かがそう呼ぶようになったんだ」

「その二人が何だって?」

「兄丸の様子が変らしいんだ」


 話によれば。それは、弟丸さんが兄丸さんの家に行ったときのことだという。

 組を抜けてからも、元々仲がよかった二人は個人的な交流を続けていた。その日も弟丸さんは兄丸さんの家に訪れていた。

 しかしその日は彼の様子がおかしかった。

 挙動不審な動きに、ぎこちない笑み。会話もたまにぼんやりとして繋がらず、最終的には滞在もそこそこに家を追い出されてしまったのだという。


「薬やってたんじゃないのか?」

「いいや、そういう動きじゃなかったらしい。組にいたときの兄丸は、頭が切れる冷静な奴だった。抜けてるところが多い弟丸の隣にいると特にそれが目立っていた。懐いていた弟丸が不審に思うくらいなら、相当だ」

「でも怪しかっただけでしょ? それだけで犯人扱いはよくないんじゃない?」

「一番の疑惑は兄丸の本棚に並んでいたという本だ」

「本?」

「『爆発の仕組み』なんて本を買う人間はそんなに多くないと思うけど」


 皆が沈黙する。何も変な本を読んでいたからといって疑うのはどうかと思うけれど、ジャンルがジャンルだった。『テロリズム』なんて本もあったらしいよ、と澤田さんが追い打ちをかける。


「…………容疑者の一人として調査を進めることはできそうだな」

「頼むよ。青桐組も犯人には早く捕まってほしいんだ」

「組長に命令でもされたのか?」

「ボヤ騒ぎの現場が、敵対する組織の敷地内なんだよ。青桐組の連中が組に攻撃をしかけてきたんじゃないかって勝手な噂を立てられている。青桐組の名に傷を付けるわけにはいかない」

「そうか。そりゃあまあ、ご苦労なことで」

「黒沼。お前は兄丸を調べて、あいつが犯人かどうか確かめるだけでいい。逮捕まではしなくていいよ」

「…………犯人だったらどうするんだ?」

「俺が殺す」


 澤田さんのその一言は氷のように冷たかった。


「組を抜けたとて。けじめは付けてもらわないと」


 喫茶店の空気が一瞬で冷え切った。ごくりと雫ちゃんが唾を飲む音さえ響くほど、重い静寂が店内に満ちる。

 黒沼さんが険しい視線を澤田さんに向けた。澤田さんはそれに対して、更に鋭い眼差しを向けた。

 ピりついた空気が張りつめる。それを、鷹さんの能天気な声があっさりと破く。


「え、待って。逮捕するにしろ殺すにしろ私に映像取らせてよ。記事にするんだから」


 勝手に二人で進めないで、とむくれた鷹さんが二人の間に割り込んだ。湊先輩が、豪胆な人だと苦い笑い声を零す。澤田さんと黒沼さんは驚いたように目を丸くして、気が抜けた顔で笑った。


「じゃ! 二人が次回までに調査を進めてくれるってことで。続きはまた明日!」

「おお。おいしいところを取っていくな君は……」


 鷹さんがニコニコ笑って立ち上がる。そろそろ帰宅にもいい時間だった。

 私達はそれぞれ家や職場に戻るために店を出て、すっかり暗くなった空を見上げた。


「次の爆発までに犯人捕まえたいよねー。次はいつ、どこで爆発が起こるんだろ」

「規則性でもあれば次の予想地点を警戒できるんだが……。今の所、無差別みたいだしな」


 難しいものね、と鷹さんは眉間にしわを寄せて唸る。鞄から取り出したカメラをくるくるいじった彼女は、何となく通り過ぎるところだった公園に向けて、何となくカメラを構えてシャッターを押した。誰もいない夜の公園は雰囲気がある写真が撮れそうだと思った。


「予想してあげる。次はね、あの公園が爆発するかな」

「よしなさいよ、縁起でもない」

「冗談だって! 私だってやだよ、目の前で爆発なんて」


 あははと笑って鷹さんがもう一枚シャッターを押したのと、滑り台が爆発したのは同時だった。

 ドォン、と胃を震わせるような轟音が鳴って、滑り台が四方に飛び散った。揺れる地面に思わずよろめいた私の頭上スレスレを、大きな瓦礫が飛んでいく。白い煙がわっと広がって、一瞬視界が白くなった。

 白煙はすぐに消えて、公園にはもう遊具の形を成していない元滑り台だけが残される。周囲の住宅から爆発音を聞いた人々が顔を出し、ざわめいている声が聞こえてきた。


「署までご同行を…………」

「ちゃうねん…………」


 唖然と鷹さんに手錠をかけようとする黒沼さんと、唖然と犯行を否定する鷹さんを見つめて、澤田さんが大きな溜息を吐いた。


「一刻も早く、犯人を捕まえた方がよさそうだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る