第49話 助けに来たぜ

 青桐組連中の反応は早かった。

 警察、という言葉を聞いた瞬間彼に向けられる銃口。その数は実に十以上。

 僕が声をあげる間もなく、黒沼さん達へ向かって引き金が絞られる。

 轟く銃声に僕は思わず目を瞑り、けれどすぐに悲鳴をあげて目を開けた。


「突然撃ってくるなんて酷いじゃない」


 黒沼さんと千紗ちゃんの前に、ありすちゃんが立っていた。

 彼女の丸く大きな目がピンク色に光っていた。その目が大きく瞬きをすると、目尻からとろりとしたピンクの液体が一粒零れる。地面に落ちたそれは、ぶくぶくと泡立って黒い湯気を上げた。


「先輩達。を、霑斐@縺ヲ」


 彼女のスカートの中から、袖の奥から、左目の穴から、ぬろりと黒い触手が出てくる。

 その先端から粘液にまみれた弾丸がポトリと落ちてくる。

 全ての弾丸は触手に受け止められていた。その事実と、目の前の少女が変化していく様子に、男達は目を丸くしていた。

 ありすちゃんの骨格が変わっていく。骨が折れる音が響き、肌がどろりと溶けて触手に変わる。彼女が大きな咳を一つすれば、口から滝のように黒い粘液が流れだす。

 彼女の小さな体がみるみるうちに、巨大な体へと変わっていく。


「謔ェ莠コ縺ッ縲√d縺」縺、縺代k縺ョ」


 ありすちゃんはもうそこにはいなかった。

 そこに立つ魔法少女ピンクは、凍り付いた空気の中に、巨大な咆哮を轟かせる。






「あああぁぁぁ」

「ごべっ。ごべんあざい! ごえんなさ。許し……ゴポッ」


 周囲から響く喧騒に豚が悲鳴を上げ、柵に突進している。

 僕は雫ちゃんの手を縛るガムテープを爪で引っ掻いていた。何重にもキツク巻かれたテープはなかなか剥がれない。

 雫ちゃんはぎゅっと目を瞑って固まっている。僕が目を開けないようにと言ったのだ。

 周囲に広がる光景を彼女に見せたくなかったから。


「あーっ! わっ。うわぁっ。ええっ?」

「は、は、は、は、は、は、は、は、は、。あっ!!」

「殺してくれっ! もう殺してくれぇ!」


 頬に血が飛んできた。その数秒後、赤く濡れた何かの塊が頬に落ちてきた。

 思わずそれを見てしまった僕は、ゲボッと胃の中身を吐き出した。吐瀉物はどす黒い血に濡れていた。胃か喉に酷いダメージを受けているのかもしれない。


「み、湊くん。だいじょ……」

「大丈夫。大丈夫。……もうすぐで剥がせるから。ごめんね、痛いよね」

「…………平気だよ」


 ここはもう地獄だった。

 魔法少女二人が暴れる工場の中は、あまりにも凄惨な光景が広がっている。


 魔法少女イエローに変身した千紗ちゃんはその爪と牙で男達に襲いかかり、気絶させたり手足を折って動けないようにしている。六つの目玉に睨まれた男達は絶叫し、必死に銃を撃つも、彼女の俊敏な動きは簡単にそれを避けてしまう。

 イエローちゃんはこの状況を正しく理解している。だから彼女は人を動けなくさせるだけで、殺しはしていない。

 しかしピンクちゃんは何も理解してはいなかった。

 巨大な腕を唸らせ、人間をすり潰す。ビッシリと生えた歯で胴体を二つに割る。伸ばした触手でその顔面に手のひら大の穴を開ける。男達が撃つ銃弾は彼女には効かなかった。ゴム弾が当たるみたいに、ぐにゃりと皮膚を歪めるだけで、傷の一つも与えられぬおもちゃと化す。


 人肉の臭いが倉庫中にしみついている。酸っぱい血の雨が僕と雫ちゃんの体を濡らしていく。天井に叩きつけられているのは何人だろう……。


「ピィ――――ッ」


 突然、背後から豚の盛大な鳴き声が聞こえた。

 僕が振り返ったのと、雫ちゃんが思わず目を開けたのは同時だった。


「湊くん危ない!」


 僕は、興奮した豚が自分の頭に蹄を振り下ろそうとしている姿を見たのだ。


「ギャルゴゴゥッ」


 だけど僕の体に痛みはなかった。

 横から飛び込んできたイエローちゃんが、豚の体に噛み付いた。

 ブチンと皮が破け、豚が激しく痙攣する。ダラダラと流れる血は、重く湿った雑巾を絞ったときとよく似ている。


「辟シ縺?※鬟溘▲縺滓婿縺檎セ主袖縺?↑」

「っ…………」

「縺ッ縺ッ窶ヲ窶ヲ縲ゅヲ繝シ繝ュ繝シ逋サ蝣エ縺」縺ヲ繧上¢」


 イエローちゃんの毛艶は照明を浴びて、星のようにきらめいた。

 しとりと濡れた体を犬っぽく震わせて彼女は血を飛ばす。跳ねた血が僕と雫ちゃんの顔にぴしゃぴしゃとかかった。


「ち、千紗ちゃん…………」

「縺ゅ◆縺鈴#縺ッ鬲疲ウ募ー大・ウ縺ェ繧薙□繧阪≧?」


 彼女の鋭い爪が僕達の手に触れる。たったそれだけで僕達を縛るガムテープはビリビリと破けた。足の拘束も同じように剥がされる。

 僕達に向けて一度鼻を鳴らし、彼女は強烈に地面を蹴った。弾丸のような速さで飛び回った彼女は、柵の中で暴れる残りの豚達も一瞬で噛み殺す。


「窶ヲ窶ヲ莠コ繧貞勧縺代k縺薙→縺ィ縲∬ヲ九◆逶ョ縺ォ縲∽ス輔?髢「菫ゅ′縺ゅ▲縺ヲ?」


 何を言っているのかは分からない。

 だけど、こちらを見つめるその表情があまりにも柔らかく微笑んでいたものだから。僕も雫ちゃんも何も言えなかった。

 イエローちゃんはウォウとオオカミの遠吠えに似た声で吠え、柵を飛び越えてまた戦場へと駆け戻る。触手と牙と血が撒き散らされるその場所で、誰かが泣き叫んでいた。


「家族がどうなってもいいのか! 仲間達がお前達の家を見張ってんだ。今すぐ家に突撃させてやるからな。全員皆殺しだ。分かってんのかよっ!」

「螳カ縺ォ縺ゅ◎縺ウ縺ォ縺上k縺ョ?溘??繧医≧縺薙◎」

「谿コ縺励※縺上l繧医?√≠繧薙↑繧ッ繧ス繝舌ヰ繧「」

「コカッ」


 命乞いは簡単に無視される。男の腕がイエローちゃんの爪に切り裂かれ、続けざまにピンクちゃんの触手が頭を半分に押し潰す。


 ああそうか、と妙に納得して僕は口元に苦笑いを浮かべた。

 ありすちゃんは家族が危険な目に遭うことをまず理解できない。千紗ちゃんは母親を憎んでいるからむしろ殺されたって構わない。

 彼女達に常識的な脅しは通用しないのだ。


「湊くん、起きれそう……?」


 拘束から解放された雫ちゃんが僕に手を差し伸べていた。逃げよう、とハッキリと力強い声で彼女は言う。震える指を伸ばしてその手を取ろうとした。

 その瞬間。彼女の背後に現れた男が、その頬を思い切り殴った。


「雫ちゃん!」


 骨が折れる音がした。崩れ落ちた雫ちゃんの周りに、髪の毛が波のようにうねる。

 怒気を孕んだ声で怒鳴ろうとした僕は、けれど目の前に突きつけられた銃口に、口を閉ざすしかなくなってしまう。


「はは、静かにしてくれよ……」


 そこに立っていたのは笑顔の澤田さんだった。

 人懐っこい爽やかな微笑みはずっと変わらないはずなのに。その笑顔の奥に見えるおぞましいほどの恐怖が、僕の背筋にバチバチと電流を走らせた。

 固まる僕の前髪を彼が引っ掴む。よろめきながら立ち上がった体をぐるりと反転させられたかと思うと、背中に銃口を突きつけられた。


「家族を人質にするなんて回りくどい脅し方をするからこうなる」


 澤田さんは呆れたように溜息を吐いた。声をあげようとした僕を制するように、銃口が背中の骨をゴリッと抉る。


「脅しはもっと直接見せつけてやらなきゃ。遠くの家族が死ぬと言われたって現実味が薄い。目の前で恋人の頭を撃ち抜くくらいはしないと」

「……………………」

「あっちで暴れている二体だって、友達の君が目の前で殺されかけたら流石に止まってくれるんじゃない?」

「……………………」

「聞いてるんだけど。湊くん」

「っ! ぅ……。……どう、ですかね。あの子達は僕が死んでも、何とも思わない、かも…………」

「ふはっ、可哀想」


 澤田さんは笑って引き金を引いた。

 くぐもった発砲音がして、僕の肉が破裂する。


「ああああっ!?」


 少し狙いを変えた銃口は僕の脇腹を貫いた。傷口を押さえて蹲ろうとした僕を、澤田さんは後ろ髪を引っ張ることで止める。硝煙をあげる銃口を傷口に突っ込まれ、僕は更なる痛みに吠えた。


「でも少なくとも彼女には効くみたいだ」

「ひっ」


 雫ちゃんが泣き濡らした顔で僕を見上げていた。彼女の服の裾からズルズルと触手が這いずっていた。

 触手は澤田さんへ伸びようとしては躊躇し、伸びようとしては逡巡し、を繰り返している。


「三体全部捕らえようとは思っていない。一体だけでも捕らえられれば十分だ。どちらにせよ、あっちの二体を捕らえるのは骨が折れそうだ」

「はっ。はぁっ。はっ」

「お嬢さん、どうか俺に協力してくれない? 君さえ頷いてくれるなら、湊くんのことだけは助けてやる」

「うううっ…………」

「……そんなに人を疑う目をしないでくれ、悲しくなる。安心してくれよ。確かにさっきまでは殺意があった。だけど状況が変わったんだ。今優先すべきはとにかくさっさとここを離れること。君が今すぐついてきてくれるというのなら全て穏便に済ませられる話なんだ」

「っ。あっ! ガッ」

「俺を信じてくれ」

「ううぅ――――っ!」


 話している間、澤田さんはずっと笑顔で僕の傷口を抉っていた。

 溢れる血がどんどん彼女を汚していく。ガチガチと恐怖に歯を鳴らし、雫ちゃんはずっと震えていた。

 駄目だ。雫ちゃん。こんな奴の言うことなんて聞くな。

 僕のせいで君が捕まるだなんて、そんなの駄目だ……。


「――――女の子を泣かせる男の言うことなんて、信じちゃあいけないよ?」


 彼女の背後から現れた黒沼さんが震える口を大きな手で塞いだ。

 突然の登場に、僕も含めた皆が驚きの視線を向ける。


「はぁい。警察です」


 まるで闇の中から溶けるように出てきた彼はニンマリと歯を見せて笑った。澤田さんとよく似た笑い方だったけれど、爽やかから程遠い怪しさしか感じられなかった。

 黒沼さんはそんな僕を見つめ、僅かにその目を細くして笑った。


「やぁ湊くん。助けに来たぜ」


 黒沼さんは構えた銃をまっすぐこちらに向けていた。澤田さんはそんな彼を鼻で笑い、本当に警察? と馬鹿にするよう言った。


「どうみても同業者だろ」


 その通りだと僕も思う。見た目だけで言えば、圧倒的にヤクザに見えるのは黒沼さんの方だった。

 よく間違われるんだ、と低い声を笑みに揺らして黒沼さんは胸元に手を入れる。

 彼はそこから小さな黒い手帳を取り出した。黒いケースに金色の旭日章。そこに貼られているのは彼の顔写真。


「警視庁組織犯罪対策部第一課、巡査部長の黒沼だ。青桐組本部長の澤田だな? 今すぐその子達から離れるんだ」

「…………最近の組対は、随分とまぁ、派手な格好をするんだなぁ」


 澤田さんはのんびりとした声で言う。黒沼さんに銃口を向けられているというのに、ちっとも堪えた様子がなかった。


「よくこの場所が分かったな」

「その子達の仲間が車の特徴を教えてくれた。後は、監視カメラで車の情報を追った。大まかなルートを絞り込んだ後は、この近辺で組員の目撃情報が多い場所を調べ、お前達が潜伏先にしている可能性がある建物を全て並べ出した」

「この辺りの建物ったって……一つや二つの話じゃないぜ。よく、こんな短時間でここを特定したな」

「においさ」

「におい?」

「血とワインと香水のにおい。それが一番強く香る場所を探し当てたんだ。湊くんにはつかみ合いになったとき、俺のにおいが移っていたからなぁ」


 スンと鼻を啜ってみる。鼻の骨が折れているせいであまりにおいは分からなかったけれど、確かに僕の体からはワインと香水の香りが漂っていた。

 鼻が利くお友達がいるんだ、と黒沼さんは言う。怪訝な顔をしていた澤田さんはふと奥の方で暴れている魔法少女イエローを見て、納得したように溜息を吐いた。


「まあ、うん」


 澤田さんは何の脈絡もなく、ふっと取り出した携帯でどこかへと着信をかけた。

 それは僕達の家に組員を突撃させる合図だったはずだ。


「かっこよく助けに来たところ悪いけれど、人質がいるのは工場だけじゃあないんだ」


 雫ちゃんが顔を真っ白にする。僕の顔も青ざめた。父さんと母さんがいる家をこじ開けて入っていく組員の姿を想像し、血の気が引いていく。

 だけど黒沼さんは一切表情を変えなかった。スーツの内側に仕込んでいた無線機を取り出し、そのボタンを押す。

 ザーッと擦り切れたノイズ音の後に、無線機と澤田さんの携帯、それぞれから音声が聞こえてきた。


『よし合図だ。男と女、一人ずつ殺してこい』

『ゴム手袋寄越せよ。血で滑ったらやりにく……うおっ!?』


 不穏な会話が聞こえる澤田さんの携帯。

 けれどそれは、すぐに不可解な喧騒へと変わった。


『なんだ』

『ちょっ』

『あのマンションか? 親二人と中学生の女が一人。それでいいんだったよな……って、おい。おいっ後ろ』

『…………確保! 確保!』

『っにすんだ、離せや!』

『捨てろ! 手前がナイフ離せ!』

『あー。雨海家裏手から侵入しようとしていた男二人を確保しました。刃物を所持しており』

『伊瀬家マンションにて不審な男を確認! 取り押さえ……』

『犬飼家前にて…………』


 ブツリと通信が途切れる。澤田さんが通話を切ったのだ。

 彼の顔に浮かんでいた笑みは消えている。不愉快さを露わにした顔で彼は黒沼さんを見つめた。


「伊瀬家、姫乃家、犬飼家、雨海家。四つの家の周囲には既に厳戒態勢が敷かれている。ちょうど不審な人物がそれぞれの場所で発見、確保されているところだ。セールスやマンションの住民を装った私服警官が住民の安全も保障している。今のところ、死者負傷者は一人も出ていない」

「じゃ、じゃあ、父さんと母さん達は…………」

「湊くん。俺が君のお隣に引っ越したのは、何も君を見張るためだけじゃない」

「っ」

「君達を保護するためでもあるんだよ」


 黒沼さんはそう言って、ふっと口元に柔らかい微笑みを浮かべていた。

 切れる間際、最後に無線からはパトカーのサイレンが聞こえていた。きっと今、僕達の家の周りにはパトカーがランプを光らせて止まっているに違いなかった。

 胸の奥に安堵が広がる。僕はぐっと眉間にしわを寄せ、熱い吐息を震わせた。

 けれど不意に、澤田さんが詰問するような口調で黒沼さんに問いかけた。


「そんなに用意周到な男が、どうしてこんな敵の巣窟にたった一人で?」

「一人じゃない。彼女達二人も一緒さ。あの子達の力があれば百人力だろう」

「それにしたって警察が一人きりとは不思議な話だ。もう一人か二人くらい仲間を連れてきて、確保の手伝いをさせたっていいだろうに。その無線で連絡を取ったらどうだ?」


 黒沼さんのまっすぐだった銃口が僅かに揺れた。彼は、無線に手を伸ばすことはなかった。

 呼べない・・・・のか、と澤田さんは続けて言った。黒沼さんは真顔のまま、ずっと口を閉ざしていた。 


「見たところあなたはこの子達を保護しようとしている。同時に彼女達が怪物であることも気が付いているようだ。

 ……『怪物に変身する少女』の存在を知っているのは、仲間内でもあなただけではないのかな? 他の連中を今ここに連れてくれば、彼女達が怪物であると知られてしまう。そうなれば公の場に公表することは避けられない。

 あなたはそれが嫌だ。だからここにたった一人でやってきた。危険であると承知のうえで、子供達の秘密を隠すために」


 沈黙は肯定だ。黙って溜息を吐く黒沼さんの反応が信じられずに、僕は瞬きを繰り返して彼を見つめた。

 ずっと黒沼さんのことを僕達の敵だと思っていた。

 魔法少女の存在がバレたら彼女達はただでは済まないと思い続けていた。

 だけど本当は僕達、とんでもない思い違いをしていたんじゃないだろうか。


「…………はは」


 黒沼さんは諦めたような顔で笑った。いがらっぽく掠れた言葉が、白い歯に絡みついてから煙のように吐き出される。


「どうする? そこから、どうやってこの子を助ける気だ? 怪物にでも助けを求めるのか?」

「いいや。……俺一人で十分だ」


 黒沼さんの銃口が向けられているのは、澤田さんの手元だった。

 澤田さんの体はほとんど僕に隠れている。的はほとんどないに等しい。至近距離とはいえ、そこからこの小さな的を狙って銃を撃つことはきっと相当無謀なことなのだろうと、澤田さんの余裕めいた笑い声を聞いて思う。

 黒沼さんの弾は僕に当たったりしないだろうか。もし外れるだけだとしても、間髪入れず澤田さんが僕の背中を撃つことは確かだ。

 チャンスは一発。失敗すれば、僕は死ぬ。


「銃には自信があるんだ。この間も夏祭りの射的で景品三つ取ったし」

「せめて訓練場の話にしてくれよ……。変な警察だなぁ」

「的のど真ん中に当ててやる」

「やってみろ。この子に当てずに俺の手だけを狙う? はは、無茶苦茶だ! どうせなら、肩とか顔を狙う方がまだ、」


 黒沼さんが引き金を引いた。

 弾丸が澤田さんの右手を貫き、血肉を弾き飛ばす。


 脈絡のない発砲に僕も、そして澤田さんもが咄嗟に反応できなかった。空中を飛ぶ血の飛沫がやけにスローモーションで視界に映る。

 反射的になのか。右手から離れていく銃を見た澤田さんは素早く左手を振ってそのグリップを握った。

 そして銃口を僕へ向け、その引き金を引こうとし、

 その前に黒沼さんが撃った二発目の弾丸が、澤田さんの銃をふっ飛ばした。


「ゴッ!」


 同時に飛び込んできた黒沼さんが澤田さんの顔に拳を振りぬいた。

 僕は背中を突き飛ばされ、雫ちゃんが伸ばした触手に受け止められる。彼女に強く抱きしめられながら、僕は振り返って男達へと顔を向けた。


 澤田さんが歯を食いしばって黒沼さんに腕を伸ばす。その指先を紙一重でかわした黒沼さんが、大きく振り上げた足で澤田さんの腰を打つ。

 バランスを崩した体に黒沼さんは銃口を向けた。澤田さんが咄嗟にその銃口を蹴る。

 飛び出した銃弾は澤田さんの肩を抉ったが、彼は痛みに一切反応を見せず黒沼さんへと掴みかかる……。


 拳が打ち合うたび、足がぶつかるたび、黒沼さんが引き金を引くたび、凄まじい音が鳴っていた。

 人間の体からこんなにも荒々しい音が出るのかと思った。

 血が飛んでも肉が裂けても、彼らは獣のように吠えて戦い続ける。

 二人は強かった。動きに一切無駄がない。相手を睨む鋭い眼光は、見ているだけでも背筋が凍り付きそうなほどに恐ろしい。

 僕と戦っているときの黒沼さんは相当手加減をしてくれていたのだと、このときになって気が付く。


「あ、っ。……はは!」

「っう!」


 にわかに黒沼さんが体を跳ね上げる。いつの間にかその腕に長く深い切り傷ができていた。

 目を見開いて澤田さんを見つめた僕は、彼がスーツの内側からギラついたナイフを取り出していることに気が付いた。

 誰も、武器が一つだけだとは言っていない。

 ナイフが鋭く空を裂く。黒沼さんは後ろに下がってそれを避けようとした。だが完全に体を引くよりも先に、その切っ先が彼の肩にザクリと突き刺さる。


「いやぁっ!」


 雫ちゃんが悲鳴をあげた。そして直後、僕と彼女はまた揃って悲鳴をあげる。

 ナイフを持つ澤田さんがこちらに目を向けたのだ。恐怖に固まる僕達に、彼は真顔で近付いてくる。赤い血に濡れた刃が窓から差し込む夜明かりにきらめいた。

 彼の短い髪の毛先から赤い雫が滴って、真下にしゃがむ僕の顔に落ちてくる。口端を濡らす血を舌で舐めて、澤田さんはふっと温かな笑顔を浮かべた。

 抱き合って震える僕と雫ちゃんめがけてナイフが振り下ろされる。


「この子達に」


 だけど刃が貫いたのは、僕達の頭上にかざされた大きな手だった。

 澤田さんの後ろに立つ黒沼さんが、その肩に手を置いて笑っていた。僕達を守るためにかざされた反対側の手からはダクダクと血が零れていく。

 青い顔をした澤田さんは咄嗟にナイフを引き抜こうとした。けれど黒沼さんは素手でナイフを掴む。一層大量の血が溢れ出し、ナイフも澤田さんの手も真っ赤に染まる。


「手ぇ、出すな!」


 骨の砕ける音がした。顔面をストレートに殴られた澤田さんは、口から血を飛ばして白目を剥いた。

 吹き飛んだ彼はコンテナに突っ込んだ。ガラガラと雪崩のように崩れたコンテナから、一拍置いて澤田さんが立ち上がる。ナイフを強く握りしめた彼は、その目にギラギラと怒りを燃やしていた。


「――――黒沼ぁ!」


 しかし直後、澤田さんの顔は蒼白に染まる。

 轟音を立てて、彼女・・が彼らの間に飛び込んできたからだ。


「縺薙s縺ー繧薙縺ッ!」


 澤田さんの目の前に魔法少女ピンクが立ちはだかった。

 その口内に、目が焼けそうなほどの青い光が輝いていた。

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