第22話 魔法少女が倒すもの

 魔法少女のニュースが終わって、次のニュースが流れ出す。近くのコンビニに強盗に入った男二人が、刃物を持って現在も逃走中らしい。

 私達の視線がチョコに向けられた。チョコはつぶらな目を瞬かせて私の膝の上に立ち上がる。大きく張った胸に手を当てれば、昨日の焦げが残っている毛がサリリと乾いた音を立てる。


「ぼくは宇宙人さ!」


 私達の驚きがこもった視線を受けて、ピンク色の毛が大きく膨れた。


「ぼくは別の星から宇宙船に乗ってやってきた妖精なんだ。

 あの日を覚えているかい? 学校に綺麗な流れ星が落ちてきた日のことを。ぼくは一等ピカピカ光る流れ星に乗って君達の元にやってきたんだよ。

 星旅行はしたことがある? 肉体を母星に置いて、魂だけの状態でゆったり楽しむのが最近ブームなのさ。地球に着陸したからにはここでの肉体を得る必要がある。ちょうどありすちゃんが持っていたこのぬいぐるみはいい体でね。本来のぼくの姿にそっくりなのさ。だからこの体を借りることにした。

 勿論、このぬいぐるみに元々備わっていた記憶や思い出はちゃんと受け継いでいる。だからぼくはただの宇宙人じゃない。ありすちゃんの長年の大親友、チョコなのさ!」


 そういえば、と私ははじめてチョコが喋ったときのことを思い出す。はじめて変身したときに病室で聞いたのだ。熱い願いと、星の力を元にこの惑星にやって来た……などと。

 あのときはなんとなく流してしまったけれど、改めて聞くと、宇宙人という魅力的な言葉に胸が高鳴った。

 チョコの故郷の星はどんな所かしら。きっとチョコみたいに可愛い住民さんがたくさんいるに違いない。オシャレな猫さんに、可愛いふわふわの羊さん、それから大きなキリンさん。ぜひ今度私も遊びに行きたいわ。


「宇宙人……? それ、マジな話? 冗談じゃなくて?」

「ぬいぐるみが動いてるんだ。宇宙人くらい信じてくれたっていいじゃないか!」

「それもそうだな」


 千紗ちゃんの喉が上下し唾を飲み込んだ。彼女は真剣な顔で立ち上がると、部屋の隅に置かれていたおもちゃ箱をひっくり返す。ドサドサと落ちたおもちゃを一瞥もせず、彼女は空っぽになった箱にチョコを放り入れた。そのまま蓋を閉じ部屋を出て行こうとした彼女を、ぽかんとしていた湊先輩が慌てて止める。


「待て待て待て」

「うわ何」

「いやこっちの台詞だよ。どこに連れていく気だ? ゴミ箱?」

「ひっどいこと言うなぁ。研究所に送るに決まってんだろ。解剖してもらうんだよ」


 クール便かな、と首を傾げて千紗ちゃんは箱を揺する。中でチョコが頭をぶつけるガツゴツという音がくぐもって聞こえた。


「宇宙から来た妖精だ? そんな奇妙な生き物と出会ったら、やることは一つしかないな」

「お友達になって、一緒にお菓子作りをして、仲良くなるのね!」

「馬鹿かお前研究所かテレビ局に送るんだよ」

「き、君には人の心がないのか」

「はぁ? お前こそちゃんと考えてんのか。地球にとっての外来種だぜこいつ。害があるかもしんねえだろ。涎や汗に、毒性があったらどうすんだ」


 んぐ、と湊先輩が口を噤む。千紗ちゃんは満足げにまた箱を揺らした。中からチョコの悲鳴が聞こえた気がする。

 駄目よ、と私は彼女の手から箱を取って逆さまにした。ギャッと悲鳴をあげて床に転がったチョコは、ソファーをよじ登って震えながら私にしがみつく。チョコを捕らえようと千紗ちゃんが伸ばしてくる手から逃げて、私は湊先輩の後ろに隠れた。


「チョコがいなくなったら、私達もう変身できなくなっちゃう!」

「そ、そ、そうだよ。ぼくが死んだら、魔法の力もなくなるんだぞっ」


 私達はチョコがくれた魔法の力で、魔法少女に変身することができるようになった。もしもチョコが遠くに行ってしまえば、授かった魔法の力も消えてしまうのかもしれない。

 せっかく夢だった魔法少女になれたのにそんなのは嫌だ。私とチョコはしくしくめそめそ潤んだ瞳で湊先輩と雫ちゃんに助けを乞う。けれど当の二人は顔の筋肉を引きつらせて私を見つめるばかりで、湊先輩に至っては変身しない方がいいんじゃないかと呟く始末だった。


「ぼくは魔法少女に変身させるためにこの星にやってきたんだぞ!」

「どういう意味だ?」


 湊先輩が怪訝な顔でチョコを見つめた。チョコはまた自分に皆の視線が集まったことを感じると、ふくふくと毛を揺らして、早口に言葉を紡ぐ。


「ぼくがこの星に来たのは元々、一人の女の子を魔法少女にするためなのさ」

「え……? こ、故郷の星が他の星に侵略されそうだとか、わたし達に助けを求めに来たとかじゃ、ないの……?」

「え? いや、故郷も両親も健在だけど」

「そうなんだ…………」

「結婚はまだかって最近うるさくて」


 幾つなの……? と雫ちゃんが弱々しい声で言った。

 年齢も、故郷の星のことも、ご両親のことも、色々なことを聞きたくてたまらない。けれど私は好奇心をぐっと堪え、チョコの話を聞いた。宇宙の話は、家に帰ってから聞けばいいのだから。我慢我慢。

 宇宙に数多ある星空、とチョコは壮大な口ぶりで話し始める。


「ぼくは星を見るのが大好きだった。ここで言う、天体観測みたいなものかしら。故郷の星観察はとっても楽しくてね、星に住む住民がどんな暮らしをしているのか、レンズで見ることができるんだ。

 地球を選んだのは偶然だったよ。ダーツを投げて、当たったから。一人の女の子に目を付けたのも偶然さ。ダーツを投げて、当たったから。

 とても可愛い子だった。ピンク色を身に着けた、ふんわりした雰囲気の素敵な女の子。

 彼女には夢があった。それは、魔法少女になりたいという夢さ!」


 皆が一気に私を見つめたのが分かった。突然話題の中心に出されて、まあ、と頬を包んで声をあげる。チョコだけがのんびりと私を見ずに話を続ける。


「彼女の思いの強さは凄まじいものだった。人生をかけてでも、他人を巻き込んででも叶えたいと願うほどに、彼女は魔法少女という存在に憧れていたのさ。

 ぼくはその思いに打ち震えた。これほどまでの情熱を目にしたのははじめてだった。こんなにも狂おしく焦がれ、何者かに憧れる彼女の姿は、眩しくて涙が出た。

 彼女の夢を叶えてあげたいとぼくは心から思ったんだ。だからぼくは、彼女に魔法の力を与えるために地球にやってきた」


 ジンと胸に滲んだ感動に私は打ち震えていた。痺れるような感動は血を巡って胸からじわじわと体中に広がっていく。指先が震え、吐いた吐息が甘くとろける。

 私は幼い頃からずっと魔法少女になりたかった。馬鹿にされても、その夢を諦めることはできなかった。

 その思いがようやく報われたのね。

 これほどまでに幸せなことってないわ。


「変身は成功したのか」


 ピシャリ、と鋭い湊先輩の声が降ってきた。

 見上げれば、静かな湊先輩の顔がそこにあった。

 悲しそうでいて、怒ったようでいて、悔しそうでいて。そんな複雑に絡み合った表情を浮かべた湊先輩の顔を私は見た。

 彼は私の前に立つとチョコの体をそっと抱き上げ、視線を合わせる。ピンクの毛にくしゃりと埋まる細い指。骨のでっぱりが薄い皮膚の下に浮いている。


「チョコ。君はありすちゃん達を鬲疲ウ募ー大・ウにヘンシ螟芽コォさせることはできなかったんだよ」


 私が顔を上げれば、不思議そうな顔をした千紗ちゃんと目が合った。私達は揃って首を傾げる。湊先輩の言葉がざらついたノイズのように不明瞭で聞き取れなかったからだ。何を言っているんだ? という彼女のジェスチャーに私は首を振る。

 湊先輩と雫ちゃんだけが複雑な表情を変えずチョコを見ていた。


「アレは鬲疲ウ募ー大・ウなんかじゃない。怪■だ。それとも君の住んでいた星では、あの姿を魔法少女と呼ぶのか?」

「そこなんだよ。不思議だよねぇ。ぼくは地球の魔法少女を参考にしたつもりだったんだけどさ。故郷で実験をしたときは上手くいったんだよ? やっぱり、気圧や湿度の違いが問題かなぁ。皮膚の膨張や変色を引き起こしている」

「やり直せないのか?」

「故郷じゃないとちゃんと実験ができないよ。戻ろうったって星の移動は結構大変なんだよ? それに遠いもの。とてもね」


 湊先輩とチョコの会話が分からず、私は次第に飽きてふらふらと視線をさまよわせていた。

 と、視線が雫ちゃんの前に来たところで止まる。俯いてスカートをぎゅっと握る彼女の手が、真っ白になってぶるぶると震えていた。


「雫ちゃん?」

「ひっ」


 彼女の顔を下から覗き込めば、素早く仰け反って反らされる。けれど一瞬だけ見えた彼女の顔は真っ白になっていて、大量の汗が浮いていた。カチカチと歯の根が合わぬ音が微かに聞こえる。

 緊張しているのかしら、と私は彼女の手を握った。しっとりと汗ばんだ手が大げさなくらい跳ねる。


「………これが魔法少女なの?」

「ええ。あなたが憧れていた魔法少女よ」


 しかし雫ちゃんは躊躇うように視線を下げた。青ざめた肌は、なかなか元の血色に戻らない。


「わ、わたし。魔法少女になれる気が、しないよ」


 え、と私は声をあげる。雫ちゃんは静かに私から手を離し、一歩後ずさった。

 いつの間にか湊先輩達も会話を止めて私達を見ている。雫ちゃんが俯けば、長い黒髪が彼女の白い肌をベールのように覆い、その表情を隠してしまう。けれど震える声に滲む恐怖と悲しみまでは隠すことができなかった。


「わたし、き、きっとあなた達とは違う。魔法少女になる資格なんてないの。だって……だって変身しても、自分を魔法少女だなんて、思えないから……」

「そんなことないわ。あなたは確かに魔法少女に変身した。それを拒絶する理由がどこにあって?」

「でも…………怖いよ。む……無理だよ…………」

「衣装が苦手なの? 別の色がよかったの? 魔法少女グリーンちゃんに変える?」

「……おい。さっきから聞いてりゃ、うだうだうっせえな」


 千紗ちゃんが低い声で言って雫ちゃんに近付いた。眉間にしわを寄せた鋭い顔を間近に、雫ちゃんの顔はどんどん緊張に強張っていく。


「うだうだ、うじうじ。そんなに魔法少女になりたくないわけ? 衣装か? 短いスカートが嫌だってのか? お前、制服のスカートも逆に目立つくらい長いもんな」

「そ、れは……。違うの…………そもそも…………」

「いい加減そのしょぼい声もうんざりだわ。ハッキリ喋れよ。何が嫌だってんだ」

「わ、たし、は…………」

「ハッキリ喋れっつってんだよ」


 千紗ちゃんが壁を蹴った。大きな音がする。雫ちゃんの体が大きく跳ね、その口から、押し出されたように大きな声が上がった。


「わ、わ、私はっ、諤ェ迚ゥになんてなりたくないっ!」

「え?」


 よく聞こえないわ、と私は彼女に顔を近付ける。怯えた顔をした雫ちゃんがまた一歩後退ったとき、足がもつれて彼女は後ろに倒れそうになった。

 湊先輩が咄嗟に彼女を抱きとめる。パッと顔を上げた雫ちゃんは我に返った様子で彼を見つめ、そっとその袖を掴んで俯く。湊先輩は雫ちゃんと私と千紗ちゃんを交互に見つめ、静かな声を吐いた。


「どうして、君達の中でさえ認識が違うんだ」


 それは誰かに向けて言っているのではなく、彼が自身に向けて吐いている言葉だった。

 神妙な顔をする湊先輩は、いつもより幾分か大人びて見えた。低く掠れた声が、静かに床に落ちていく。


「全員が同じ幻覚を見ているなら理解できる。だけど違う。三人のうち一人だけが……。いいや、二人の方が、違うものを見ているんだ。

 どうして二人だけ? 共通点があるはずだ。二人にしかない共通点が。性格? 誕生日? 身長? …………何が共通しているっていうんだ。前に喫茶店でチョコが言っていた、夢見る力なんてものと関係があるのか? 力って、何のことなんだよ」


 はぁ? と怪訝な千紗ちゃんの声が湊先輩の熟考に横槍を入れる。

 彼女は湊先輩が抱えているチョコの頭をボールのようにぽんぽんと叩きながら尋ねた。


「さっきから何ぼそぼそ言ってんだ。真面目な顔して」

「千紗ちゃん……。はは、君とありすちゃんの共通点を探していたんだよ」

「共通点……。あ分かった。どっちも頭がラリってる」


 湊先輩は千紗ちゃんの言葉に掠れた声で笑った。それ以上彼女に何かを聞くことはなかった。

 それよりさ、と千紗ちゃんがその腕からチョコをもぎ取る。乱暴に掴んだせいで、チョコの首元の布がぷちぷちと千切れる音をたてた。汚れた綿が裂け目から僅かにはみ出る。きゃあ、いやぁ、と悲鳴をあげるチョコを見て、そろそろママに縫ってもらわなくちゃ、と私は考えた。


「これはお前への質問会ってわけ? ならあたしも一つ聞きたいんだよ」

「綿が! 内臓がまろびでる! まろまろと!」

「魔法少女は一体何と戦ってるんだ?」


 何とって、と湊先輩が答えようとして口を開けたまま黙ってしまった。彼はぱちぱちと目を瞬かせて首を傾げる。

 代わりに答えてあげましょう、と私も口を開き、そして先輩と全く同じ反応をする。そのおかしさに首を捻り、目を瞬かせる。


「あら?」


 だって。魔法少女の敵といえば、他の惑星から侵略に来た闇の組織とか、人の欲望をモンスターにさせる悪党だって決まっているのに。

 私達の前にはそんな人、誰も現れていないわ。


「侵略者が来るわけでもねえ、世界が滅ぼされるわけでもねえ。敵がいるからヒーローが存在するんだろ。あたし達は何のために変身させられたんだよ」

「そんなことを言われても。ぼくはただ、『魔法少女になりたい!』という願いを叶えてあげたかっただけだもの」


 千紗ちゃんの顔が苛立ちに染まる。彼女はチョコの首を指で絞めた。キュッと、小さな悲鳴があがる。床に靴を滑らせたときの音に似ている。


「ふざけんな。敵がいねえ魔法少女なんてなんの意味があるんだよ」

「む、昔の魔法少女は敵なんて出てこなかったんだぞ! ご近所さんのお悩みを、魔法で解決したりしていたんだから!」

「時代はうつろうんだよ。あたし達にもご近所付き合いをしろってのか? ゴミ拾いや草毟りでもすればいいのかよ?」

「――――それよ!」


 私は千紗ちゃんの腕からチョコを取って思いっきり抱きしめた。取る際に力を入れたからチョコの腕がぶちぶちと音を立てて、綿を思いっきり零した。ギャアア、とチョコが大きな悲鳴をあげて、千紗ちゃんが引きつった顔で私から一歩後退る。


「巨大な敵がいなくたって私達は魔法少女なの。私達はまず、この楽土町を救うヒーローにならなきゃ!」

「ど、どういうことだよ? マジでゴミ拾いでもする気か?」

「敵が一人もいないだなんて言っていないわ」


 私は首を振って上に視線を向けた。視線の先にあるのは流れっぱなしのテレビだ。ニュースが次々に最近の世情を伝えている。

 近くの中学校の女子生徒がいじめを原因に電車に飛び込んだらしい。駅前のパチンコ店で薬物の取引が行われていたらしい。露出狂がすぐ近くの住宅街に現れたらしい。

 ニュースはローカルニュース。事件は主に、ここ楽土町で発生した事件だ。

 私は振り返って皆の顔を見た。物騒な事件に眉根を寄せる顔を見て、大きく頷く。


「私達が倒すのはこの街の悪い人達よ」


 殺人、傷害、詐欺、強盗、誘拐、窃盗、わいせつ、放火、遺棄、薬物、エトセトラエトセトラ。

 私達が倒すべき敵は元からこの世界にたくさんいる。


 魔法少女は世界を守るために存在する。

 魔法少女が倒すべきは決して宇宙から来た敵だけじゃない。

 敵なんて案外、目の前にいるんだから。


『――――ここで新たなニュースが入ってまいりました』


 流しっぱなしのテレビからアナウンサーの声が降ってくる。アナウンサーの真剣な眼差しはテレビの向こうにいる私達さえ貫いた。

 画面が切り替わる。そこに建物が映っている。この病院の隣にある銀行だった。


『楽土町××銀行に刃物を持った男が押し入り、人質を取って立てこもっている模様です。人質の数、また内部の状況は不明ですが、犯人の男二人はさきほど同じく楽土町のコンビニに強盗に入り逃走中だった男達だということです。男の一人は銃を持っており、近隣住民の皆様は決して銀行に近付かず、避難をしてください。繰り返します。××銀行にて…………』


 あっ。と大きな声が上がった。

 誰よりも真っ先に動いたのは雫ちゃんだった。

 彼女は目を大きく見開いて、食い入るようにニュースを見つめる。わなわなと唇を震わせた彼女は、汗でびっしょり濡れた顔を私達に向けた。


「さ、さっきの子達」

「……………………あ」

「ぎ、銀行に寄らなきゃって、お母さん……!」


 空気が一瞬で凍り付いた。私達の誰もがさっきの子供達の母親の言葉を思い出していた。

 お夕飯の買い出し間に合わなくなっちゃうでしょ。隣の銀行でお金も下ろしていかないと。

 強盗が銀行に押し入ったのは、何分前のことだろう?


 ジッと指先が熱くなって、それから急激に冷えていく。恐怖によるものだった。

 子供達のはしゃいだ笑い声がまだ耳に残っている。満面の笑顔だって瞼を閉じれば鮮明に思い出せる。けれどそれが真っ赤に塗りつぶされる様を想像してしまい、ああ、と一粒の涙を零した。


「行かないと」


 私はすぐに銀行へ向かおうとした。だけど腕を掴まれ振り返る。湊先輩がその顔に汗を浮かべて私を見つめていた。


「どこへ行く気だ」

「銀行よ、決まってるでしょ?」

「強盗だよ? しかも銃を持っている」

「ええ知ってるわ。ニュースで聞いたもの!」

「警察に任せるんだ」


 心配してくれているのね、と私は微笑んだ。湊先輩の高い鼻に滲んだ汗が、ぽたんと落ちる。


「おまわりさんはとっても強くて頼りになるわ。でも、おまわりさんにもできないことだってあるでしょう?」

「例えば?」

「こういうとき簡単に建物の中には入れないって聞いたわ。きっと、鍵がかかった扉を破るだけの筋肉がないのよ。だから慎重に犯人とお話ししようとするの。こんにちは、鍵を開けてくださーい、って」

「ん…………まあ……そうかもね」

「でも魔法少女なら簡単に強盗をやっつけることができる」


 魔法少女の力があれば、扉を壊すことなんて簡単だし、強盗をやっつけることだってあっという間だ。


「私達であの子達を救うのよ」


 私は湊先輩の手を握った。彼は納得のいかない顔で私を見つめている。

 この部屋に満ちる空気はいまだ冷たいままだ。俯く雫ちゃんも、何も言わず空を睨む千紗ちゃんも、目の前の湊先輩も、表情は険しかった。


「…………私は分かっているの。皆そう悩んだフリをして、本当は何一つ悩んでいないって。あなた達は必ずあの子達を助けに向かうって。知っているの」

「は……何を根拠に」

「だって」


 私はパッと笑顔を浮かべた。心の底からあふれた思いを、顔いっぱいに現した。


「あなた達は『ヒーロー』なんだから!」


 私は、千紗ちゃんが自分や誰かのために熱くなれることができる人だと知っている。雫ちゃんが弱さを押し殺し勇気を振り絞って動くことのできる人だと知っている。湊先輩が自分の犠牲を顧みず誰かを助けることができる人だと知っている。

 彼らは皆、『ヒーロー』になれる人達なのだ。


 皆が私を見て、ほんの一瞬、その目を大きく見開いた。

 ド、と空気が膨れて破裂した。

 冷たい空気の膜が僅かに裂ければ、内に溜まっていた巨大な感情が一気に噴き出す。それは、勇気という強い感情だった。

 なんだかんだ言って。皆、心の中に『助けたい』という熱い思いを抱えていたのだから。


 これまでだって誰かを助けたいと思ったことや、もっと強い自分になりたいと思ったことは、皆きっとある。

 願いは叶わないことの方が多かった。どんなに頑張っても、苦しんでも、力が足りず誰も助けられないことだってたくさんあった。

 だけど今なら叶う。

 魔法少女という不思議な力を手に入れた今。私達は、何だってできる。

 誰かが必死に伸ばした手を、掴むことができる。

 世界中の人を助けることができるのだ。


「助けたいでしょ?」


 私は皆に聞いた。子供達を助けたいでしょ? だけじゃない。世界を助けたいでしょ?

 返事は返ってこなかった。けれど代わりに、千紗ちゃんの爆発したような笑い声が部屋に響いた。彼女は笑いながら私の前に来て、じっと鋭い目で私の目を覗いた。

 茶色い瞳が、光の反射か、僅かに黄色く光っていた。


「あたしの目的はそもそも暇つぶしなんだよ」

「うん」

「楽しけりゃ、それでいい」

「素敵なことね」

「そのついでにヒーローだって崇められるんなら……もっといいな」

「それは、もっと素敵なことね」


 千紗ちゃんは、ははっと息を吐いて、ゆっくりと瞬きをして顔を反らした。部屋を出て行った彼女は病院の出口の方向へと歩き出す。

 私は振り返って残る二人を見た。雫ちゃんと目が合った。彼女は素早く俯き、両足をすり合わせる。


「雫ちゃん。私はあなたにも、魔法少女を続けてほしいわ」

「……………………」

「衣装が嫌いでも、気に入らなくても、それでも、続けてほしいの」

「べ…………別に、衣装の問題じゃ……」

「姿なんて魔法少女には関係ないわ」


 突然雫ちゃんはハッとしたように顔を上げた。そうよ、衣装なんて関係ないの、と私は続ける。彼女の目がまっすぐに私を見つめた。白い手を力強く握って、その目と視線を合わせる。


「人を助けることができる。それだけで、あなたは素晴らしい魔法少女なのよ」


 ぶる、と雫ちゃんの手が大きく震えた。彼女は静かに溜息のような吐息を吐いた。

 彼女の目にじわじわと涙が溜まっていった。鼻頭にくしゃりとしわが寄って、まつ毛が大きく上下する。


「……………………わ、たしも。た、た、助けたい。…………助けたい、よ!」


 その言葉が聞ければ十分だった。

 一度思いを口にすれば、あとは一気に堰を切る。


「姿が、おかしくても……。諤ェ迚ゥになっても……。わ、わ、わたし、はっ。…………わたしは、魔法少女なんだ!」


 雫ちゃんはぐっと私の手を力強く握り返し、そのまま弾かれたように駆け出す。廊下の先を歩く千紗ちゃんを、待って、と叫んで追いかける。

 私は最後にまた振り返った。残る湊先輩は私の顔を見て、諦めたような顔で小さく笑った。


「僕は魔法少女じゃないけれど」

「湊先輩も私達の仲間よ」


 そうだそうだ、といつの間にか私の肩に上っていたチョコが言った。

 私は彼の手を取った。彼は一瞬だけ腕をギクリと強張らせたけれど、すぐ諦めたように力を抜く。

 彼の手は、思っていたよりも随分熱かった。


「さあ、行きましょう。これが私達魔法少女のはじまりなんだから」


 湊先輩は私の言葉を聞いて、優しい顔で微笑んだ。

 その微笑みの前に一瞬悲しい顔が浮かんだのは、気のせいだろうか。


「ありすちゃん」

「うふふ。違うわ、湊先輩」

「…………魔法少女ピンクちゃん」

「なぁに?」

「どうか皆を救ってくれ」


 返事の代わりに、私は笑った。

 私達の靴が駆ける音が、廊下に響いた。

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