第20話 魔法少女ブルーちゃん
「縺ェ縺ォ縺薙l縲∝ォ後□! 莠コ髢薙§繧?↑縺。蛹悶¢迚ゥ縲ょォ後□縲ゅ≧縺昴□!」
触手がビタビタと壁を叩き、粘液をばらまく。火に飛び込んだ液が焼け、焦げた臭いがした。
青白く分厚い皮膚が激しく震えている。巨大な目玉が潤み、涙がボロボロと零れ落ちていく。体を振って暴れるものだから、チョコがキャアキャア悲鳴を上げて必死で触手にしがみついていた。
僕は茫然と暴れる怪物を見つめた。どう見たって彼女の様子はおかしかった。
「あ……雨海さん?」
「驕輔≧驕輔≧驕輔≧驕輔≧驕輔≧驕輔≧驕輔≧驕輔≧」
悲痛な絶叫が響き渡る。言葉が通じなくても。彼女が今どんな思いでいるのか、分からないわけがない。
恐怖。絶望。戸惑いに、怯え。
彼女は喜びの感情を一切抱いていない。
ただ、張り裂けんばかりの恐怖を叫び続けている。
自分の姿を見下ろして。信じられないものを見ているかのように目を見開いて。触手をわななかせている。
つまり。それは、
「…………分かっているのか?」
僕は掠れた声で呟いた。
自分を魔法少女だと思い込んでいるありすちゃん。同じく可憐な魔法少女に変身したと思っていた千紗ちゃん。
雨海さん。もしかして君だけは。自分が、怪物の姿に見えているのか。
「わああっ!?」
ひっくり返った悲鳴がした。
教室に飛び込んできた先生が数人。部屋の惨状を見て顔色を変える。部屋を覆いつくそうとしている火災と、悪しき記憶を呼び起こす怪物の姿に、目を剥いている。
タイミングが悪すぎた。先生達は怪物の姿に恐怖し、それから火の中に閉じ込められている僕達を見て顔を青くする。当の怪物である雨海さんは恐怖に体を震わせ、すすり泣くような鳴き声を上げた。チョコは触手にしがみついたまま、ぬいぐるみのフリをしていた。
と、怪物の体におたまがぶつかった。先生の一人が棚を開け、しっちゃかめっちゃかに物を怪物に投げている。他の先生も慌ててそれに続き、残りの半数は僕を助けようと消火栓を開けに行く。
ボウルにまな板に炊飯器。投げられた物が怪物の体に当たると、青い皮膚がぐにりと歪む。痛みを感じているのか、怪物は身悶えし、触手をうねうねと揺らしてすすり泣いた。
すすり泣きが悲鳴に変わる。火の隙間から怪物の体を見た僕はあっと声をあげた。誰かが投げた包丁が、触手の一本に刺さっている。
「やめ…………やめ、ろっ……ゲホッ」
やめろと叫びたいのに、喉がガラガラと痛んで声が出ない。怪物が悲鳴をあげて触手をしならせる。その先端が近くにいた先生の腕に当たった。先生は悲鳴を上げ、その場にうずくまる。ガクガクと震える腕は、曲がってはいけない方向に曲がっていた。
「縺斐a繧薙↑縺輔>縲√#繧√s縺ェ縺輔>!」
それを見た怪物が大きく震える。ずるり、と床に這った触手がごぽごぽと泡立った音を立てる。そうしてまた、涙を流して泣いた。
やめてください、その子を傷つけないで。殺さないで。
僕は叫ぼうとして大きく息を吸った。それは最悪の行動だった。
ひゅっと喉に熱い黒煙が流れ込み、視界が大きく揺らぐ。あれ、と思ったときには既に、頭を床に叩きつけていた。
「ぁっ……? ひゅ。くぅっ…………」
上手く息が吸えない。必死に酸素を求めて口を開けても、空気を吸うたびに頭の中がぐらぐらと揺れる。
ぼんやりとした視界に、先生達が倒れる僕を見て叫んでいる様子が映った。切羽詰まった声が火の音に混じる。
「今助ける! 頑張れ!」
「救急車はまだですか。早く!」
「あと三分で着くらしい! あ、ああっ。火が……急いでっ」
「誰かさすまたを! 絶対にこの怪物を廊下に出さないで!」
家庭科部の子が隣に倒れている。すぐ背後には火がぱちぱちと燃えていた。
ガクガク震える指を床に突いて立ち上がろうとする。けれど膝をつくだけで精一杯だ。眩暈がする。起きていられるのも時間の問題だ。
火の隙間から先生達と怪物の姿が見えていた。しかし火は徐々に高くなり、彼らの姿も覆い隠す。
もう、燃える炎しか見えなくなった。
「……うっ。ぐぅっ…………」
怖い。嫌だ、死にたくない。
ずっと我慢していた涙が頬を流れた。膝を震える手で掴んで、僕は恐怖に震えていた。
なんで、もっと早く逃げておかなかったんだろう。火を消そうなんて思わずにさっさと逃げておけばよかった。そうすれば怒られるだけで済んだかもしれない。雨海さんだってこんな危険に巻き込まれずに済んだ。少なくとも、誰かが死ぬかもしれない状況にはならなかったのに。
火の向こうからの声は聞こえ続けている。怪物が触手をうねらせる音も聞こえている。消火剤がまかれた一瞬だけ火が消えて、けれどすぐに元に戻る。
誰か助けてくれ、と心から願う。必死に消火活動をしてくれている先生や、今ここに向かっているだろう消防の人に思いを馳せて、ただ願った。
「助けて…………」
掠れきった声は誰にも届かない。それでも僕は願いを訴える。
助けて、誰か。どうか。神様。誰でもいい。死にたくない。熱い、怖い。嫌だ。死にたくないよ。助けて、助けて、助けて。
また火が一瞬消えた。その隙間に、怪物の顔が僅かに見えた。
巨大な目が、泣きながら、僕を見つめていた。
「魔法……少女…………」
僕は最後の力を振り絞って、怪物に、手を伸ばした。
怪物の涙に濡れていた目が、一瞬大きく見開かれて。
そして。
「――――蜍?ー励r蜃コ縺吶▲縺ヲ險?縺」縺溘b縺ョ!」
火の向こうから、『魔法少女』が飛び込んできた。
真っ赤に燃えるカーテンが怪物の体に引き裂かれる。巻き上がった火の粉が粘液をまとう触手を焼き、潮風が焦げるような異臭をあげた。怪物の体から僅かに白い煙が上がる。
皮膚が焼けただろう。痛いだろう。火に飛び込むのは、とてもとても、怖かっただろう。
だけど。怪物の巨大な目には。燃える火でも攻撃してくる先生達でもなく。
助けを求める僕だけが映っていた。
「螟ァ荳亥、ォ」
怪物の凄まじい声が火を揺らす。怪物は痛みを表に出さず、力強く僕の体を抱きしめた。ぬめる触手が僕の体を包み込む。生臭く冷たい粘液がべたりと肌に張り付いた。火に炙られていた肌が冷えていく。
本能的な恐怖が込み上げる。けれど僕が悲鳴をあげることはなかった。僕はわななく唇を噛み締めて、怪物の体を抱きしめ返した。
「繧上◆縺励′蜉ゥ縺代k縺九i!」
何を言っているのか、分からない。
だけど。だけど怪物が、彼女が、雨海さんが。僕を助けようとしている。
それだけは、僕を強く抱きしめる触手の力で、理解できた。
火の向こうから先生達が何かを叫んでいる。だけど怪物は耳を貸さず僕と家庭科部の子を抱きしめた。窓側はまだ火も薄い。怪物は床の火を踏んづけて、窓へ向かった。
窓を開けると、新鮮な空気が流れ込んできた。ゲホゲホと咳き込みながら飢えた肺に空気を取り込む。喉がヒリついた。けれどようやく普通に息ができるようになる。涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、何度も酸素を吸った。
「こ、ここ、から……?」
窓から地面を見下ろす怪物に僕は尋ねた。怪物は頷いて、僕の体に触手を巻き付かせようとする。けれど僕はそれを制し、首を振った。
「その、子、を、先に……」
怪物は少し迷ってから頷いて、家庭科部の子に触手を巻き付かせる。彼女が気絶していてよかった。起きていたら、一生もののトラウマになっていたかもしれない。チョコはちゃっかりその子の頭によじ登り、髪の毛にしがみついていた。
怪物はおそるおそるといった調子で窓の外に触手を伸ばした。近くの木の枝や校舎壁のとっかかりに触手を引っかけ、ゆっくりと体を地面に下ろしていく。
と、途中で木の枝が折れた。怪物が鳴き声を上げて落下する。だが、地面に落ちた怪物はその体をぐにゃりと歪ませ、ぶるぶるとゼリーのように震えるとまた動き出す。触手で抱きしめていた女の子を優しく地面に下ろし、その体に触手で触れ、ほっと息を吐くような動作をする。
次はあなたの番だ。そう言いたげに触手がこちらにぬるりと伸ばされる。怪物はまた壁に触手を引っかけ、震えながら登ってこようとした。
「がっ!」
突然、膨れた熱風が僕の背中に襲いかかった。ゴォ、と空気をまとった熱い風が窓から吹き出し、木の枝から大量の葉を吹き飛ばす。怪物が壁から落ち、地面の上で悶える。
何事かと振り向いた僕は、目と鼻の先に迫る火を見て固まった。猛スピードで火がこちらに迫っている。赤く揺らぐ火が僕を飲み込もうと口を大きく開けている。
死を覚悟した。炎に包まれ一瞬で灰になる自分の姿を想像して、足から力が抜けそうになった。
「螟ァ荳亥、ォ!」
怪物の声が、震える僕の足を射抜いた。
目を見開いて下を見た。怪物は巨大な目で僕を見つめ、触手を上に向かって伸ばしている。
恐ろしいはずのその姿が、僕にはとても、優しい存在に見えた。
「邨カ蟇セ繧上◆縺励′蜿励¢豁「繧√k縺九i!」
絶対に助ける。彼女はきっと、そう言っている気がした。
ぶわ、と巻き上がった風に肌が痺れた。僕は全力を振り絞って叫ぶ。
どうか、お願いだ。魔法少女。
「助けて!」
窓枠を掴んでいた腕に力を込め、身を乗り出すように窓から落ちる。
迫っていた火が追い付き、僕の靴底を熱く齧る。
だけど。それ以上火は届かなかった。
落ちていく僕の視界に、窓から吹き出した炎がゴウゴウと吠えているのが見えた。
落下した体を怪物が受け止める。何本もの触手が僕を柔らかく受け止め、背中を強く抱きしめた。
怪物の体がへこむ。と、全身から大量の粘液がどぷりと滲みだした。僕の丸くなった目の先で、怪物の体から大量の水が放たれた。
水はまっすぐ火が燃えている窓に向かって飛んでいく。水が触れると火は音を立てて消えていき、瞬く間にその勢いを弱くしていく。
壁に当たった水が跳ね返り、僕達に雨のように降り注いだ。火傷してヒリつく頬が冷たく冷えていく。
「はっ…………はっ、はぁっ……ふ…………う、ぅ」
呼吸をすればたっぷりの酸素が肺に入ってくる。心臓が胸を強く打つものだから、僕は拳を握りしめて涙を堪えた。
怪物が僕を見つめ、何かを言っている。ぶちゅぶちゅと水っぽい声は何を言っているのかやっぱり分からない。それでも何本もの触手が僕の頬や額を心配そうに撫でるものだから、僕はくすぐったさに思わず笑って、そっと触手を握る。
「助けて、くれて。ありがと…………」
「繧医°縺」縺…………ヨがっ、た。よかった。本当に、よかったぁ……!」
触手がとろけ、粘液がドロドロと地面に流れていく。青白い皮膚は次第に肌色へ変わり、いつの間にかその姿は雨海さんの姿へと戻っていた。
感極まった彼女は大粒の涙を流して僕に抱き着いた。地面に背中から倒れた僕の上に乗って、彼女は声をあげて泣く。目を丸くしていた僕も、そっと彼女の背中に手をまわした。
「わ、わ、わたし。どうしていいか分からなくてっ」
「うん」
「体が変な怪物になっちゃうし、先生達は怖い顔で睨んでくるしっ」
「うん」
「でも。でもっ。わたし……! 今度はちゃんと……!」
勇気の小出し。僕は彼女にそう言っていたのに。
僕は仰向けのまま家庭科室を見上げる。窓から吹き出していた火はいつの間にか消えていた。先生達の消火活動で消えなかった火が、雨海さんの力で、一気に静まりを見せていた。
僅かな黒煙が昇っていく空は、呆れるくらいに青かった。雲一つない爽やかな空に、僕達の騒動を何も知らない小鳥が呑気に飛んでいく。
雨海さん。これのどこが、小出しだって言うんだ。
「今度こそちゃんと助けられたよ!」
彼女はパッと顔をあげ、眩しい笑顔で僕を見つめた。
太陽のように輝く明るい笑顔を前に、僕の目に涙が滲む。
「君は、誰よりも勇気があるよ」
消防車の音が近付いていた。きっともうすぐ家庭科室の火は完全に消えることだろう。
せんぱぁい、と声が聞こえる。曲がり角からありすちゃんと千紗ちゃんが慌てた様子で走ってくる。
けれど近くまで来たありすちゃんは、僕と共にいる雨海さんを見て、顔を輝かせた。
「やあおめでとう。これで! 三人目の魔法少女は君だ!」
焦げた毛を払っていたチョコが雨海さんを見上げて言った。雨海さんは目を丸くしてチョコを見つめてから僕を見て、困ったように笑った。
…………さて。何から説明をしようか。
三人目の魔法少女。
それは、おとなしくて、優しくて。そして誰よりも勇気のある女の子だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます