第18話 弱い理由

 目の前で女の子が泣いていたら、どうすればいいだろう。

 泣かないでおくれと抱きしめる。頭を撫でる。一緒に泣く。どうしたのさとハンカチを差し出す。けれど結局、僕はその場に立ち尽くすことしかできなかった。

 そんな僕を気にすることなく、他の女の子二人は空気を読まずに雨海さんに話しかけていた。


「そんなに見られたくなかったのか? あたしは面白いと思うぞ。この『ポップ・ウォーター』って呪文。水を炭酸に変える魔法? 酒割るのに超便利」

「あなたは絵が上手なのね。中学校のときは美術部だったのかしら? ねぇ、私の似顔絵も描いてちょうだい!」

「…………ちょっと、二人共一回出ようか」


 僕は二人の背中を押して図書室から追い出す。扉を閉めて振り返っても、雨海さんはまだ泣いていた。


「ごめんよ。無神経なことをして、君を傷つけて。……あ。僕も出た方がいいよね。ごめんね」

「…………ちっ、ちが。違うの」


 涙の合間から声が零れる。雨海さんは真っ赤になった顔を横に振り、潤んだ瞳で僕を見つめた。僕は静かにしゃがんで彼女に目線を合わせ、逡巡してからそっとその背を撫でた。今ここに誰かが入ってきたら誤解されるなぁ、とぼんやりそんなことを考えた。

 彼女は目を擦り、袖で涙をぬぐう。赤くなった鼻を啜って恥ずかしそうに少しだけ微笑んだ。


「ごめんなさい」

「ううん。僕達の方こそ悪かったよ」

「違うの。絵を見られたから怒ったわけじゃないの」


 僕は彼女の目を見つめた。涙に濡れた瞳は深い海の色をしている。彼女は眼鏡を取って、レンズについた涙を拭いた。

 ふと、ポタポタと音がして僕は窓を見た。小さな雨粒がガラスを叩いている。


「…………なんだか自分が情けなくなっちゃって」


 雨が降って来たのだ。


「あの子に言われたときからずっと魔法少女のことを考えていたの。もしも本当に変身できたらどんなに素敵かなぁって。自分が変身したときの姿を考えて、こうして絵にも描いて、ドキドキしちゃった。憧れていたんだもの。世界中の人を守れる素敵なヒーロー」


 彼女は眼鏡をかけなおす。レンズを通した彼女の目は、なんだか一枚の壁を隔てたように、暗く見えた。


「だけど。仮にそんな瞬間が訪れたって、わたしは絶対魔法少女に変身できないだろうなって」

「どうして?」

「勇気がないから。わたしは、誰かを助けたいって気持ちはあっても、行動に移すことはできないから」

「そんなこと…………」

「あなたのことだって助けられなかった」


 彼女の黒髪がゆるりと揺れた。彼女は微笑みを浮かべている。けれどその笑みは、今にも泣きそうなのを堪えたような、不器用な笑みだった。


「あなたが階段から落ちたとき。わたしは助けなきゃって思ったのに隠れて見ていることしかできなかった。さっきの喧嘩だって、今度こそ止めなきゃと思っていたのに、ちゃんと注意することさえできないで震えているだけだった」


 雨海さんの声が震えていく。必死で涙を堪えようとする声は、僕の胸を悲痛に震わせた。

 彼女が言っていることは、別に彼女がやらなくてもいいことばかりだった。喧嘩なんか無理に止めようとしなくてもいい。そもそもありすちゃんが勝手に家庭科部の子達に喧嘩をふっかけているようなもので、問題は彼女と家庭科部の子の間にしかない。図書委員である雨海さんは何一つ関係がないのだ。

 だけど話をしているうちに段々と分かってきた。

 雨海さんはきっと正義感がとても強い子だ。もしかしたら、世界を救いたいと願っている、ありすちゃんと同じくらいに。


「…………これでもね。昔は勇気がある子だったんだよ。友達をいじめてる男の子と対決したことだってあるんだから。……あ、やっぱり意外だって思った?」


 丸くなっていた目を慌てて引き締める僕に彼女は笑った。思わず顔に出てしまっていたのだろう。もっとお転婆だったんだから、と彼女は言う。

 意外でしかなかった。今目の前にいる大人しい彼女からは想像もできない。

 ならば何故、と聞こうとするより前に彼女はそれに答えた。


「妹を助けられなかったときから、わたしの勇気はなくなっちゃった」


 妹さん、と僕は繰り返す。そういえば妹がいると、一緒に帰ったあの日聞いたのだっけ。


「三つ下の妹、小さい頃はいつもおねえちゃんおねえちゃんってくっついてきた。すごくかわいいんだよ。遊びにいくときもいつも一緒だった。ブランコを押してあげたり、秘密基地を作ったりして……」

「その子に何があったんだい」

「わたしが怪我をさせちゃったの」


 彼女は窓の外を見る。雨足は次第に強くなり、窓ガラスをしきりにノックしていた。あの日も雨だったな、と彼女は言った。その声は少しだけ低く掠れていた。

 灰色の雲が空を覆っている。さっきよりも図書室の中はほんの少し薄暗い。梅雨の湿気た空気が肌をじとりと舐める。


「妹と公園で遊んでいるときに雨が降って来たの。それまでいいお天気だったから、通り雨だろうって思ってた。でも雨宿りをしても全然やまなくて、もう走って帰っちゃおって妹が言ったの」


 酷い雨だった。噛み締めるように言った声に、僕は知らず知らず腕を擦った。重い空気が心臓に触れている。


「帰る途中で妹は、特別な近道があるって言って、わたしを近くの崖に連れて行った。崖っていってもせいぜいちょっとした段差みたいなものかな。今のわたしのちょうど腰のあたりまでしかない。でも子供だったわたし達にとっては、崖だった。思いっきりジャンプをすればようやく向こうの地面届く距離の崖。幼稚園の同じ組の男の子達がよくジャンプして遊んでるのを見て知ったんだって。確かにそこを渡れば、家まで近道になりそうだった」

「渡れたの?」

「わたしはギリギリ。でも言い出しっぺの妹はなかなか飛ぼうとしなかった。一人になった途端怖くなっちゃったんだろうな。わたしは『大丈夫。絶対おねえちゃんが受け止めてあげるから』って言ったの。本気だった。妹は笑って、おねえちゃん、って言いながら飛んだのよ」

「…………怪我は酷かった?」


 僕はそう言った。妹さんが無事に飛べたかどうか、聞かなくても彼女の様子を見ていれば分かっていた。眼鏡の奥の目が、また涙をためていた。


「まだ小さい妹が、足場の悪い雨の日に、あんな崖を飛べるわけがなかった」


 今考えれば簡単に分かるのにね、と彼女は言った。

 窓から聞こえる雨音が、図書室の中にそのときの光景をぼんやりと映す。雨でぬかるんだ土に残る、小さな靴跡。崖の下で頭を打った妹からじわりと広がる血だまり。崖の上で立ち尽くす姉。

 想像しただけで、喉の奥がぎゅうっと絞られるようだった。


「……出血は酷かったけど、幸い、怪我自体は額を軽く切っただけだった。傷跡も残ってないし、今は本人も事故のことをあんまり覚えてないみたい。でも、妹の血だらけの顔が忘れられないの。だっこしたときの、肩を濡らした血の臭いが忘れられないの。……わたし、受け止めるって言ったのに。届きさえしなかった。目の前で妹が真っ青な顔をして落ちていくのを、見ていることしか……」


 痙攣するように震えていた彼女の手を、僕の手で包み込む。彼女はハッとしたように僕を見つめた。震える溜息を吐いて、ぎこちなく笑う。


「……それから、何をするにも怖気づいちゃうようになっちゃった。できなくなっちゃった。授業で手を上げたり、いじわるな子に文句を言ったり、積極的に動こうとするとき必ず妹のことが頭をよぎるの。そしたら、何かをしようとするのが怖くなっちゃって。何も関係ないって分かってるのに」

「……………………」

「あのとき公園に行かなければ。遠くてもいつもの帰り道を通っていれば。わたしが先に飛んだりしなければ。無責任な言葉を言わなければ。……やらなきゃよかった。わたしがやったから。何もしなければ妹に怪我をさせることなんてなかったのに」


 彼女は溜息を吐いて、続ける。


「勇気を出して何かをしようとすることが、怖いの。巡り巡って、また何か失敗するんじゃないかって思って怖いの。勇気があったのなんて昔だけ。今はもう、ただの臆病な弱虫になっちゃった。こんなわたしが魔法少女になったって、誰も救えないよ……!」


 あのときあんなことをしなければ。そんな後悔を、僕もこれまで何度だってしたことがある。

 けれど雨海さんにとって、『あんなことをしなければ』は呪いのように付きまとってきたのだろう。何年も、何年も。

 僕はそっと手に力を込めた。


「君は弱くなんかないよ」


 雨海さんが僕を見つめる。僕はまっすぐに彼女の目を見つめ返して、真剣に言った。


「自分に勇気がないって思ってる。それは違う。君は階段から落ちる僕を助けようと思ってくれたし、さっきだって喧嘩を止めてくれようとした」

「だから、それは結局、何もできなくて…………」

「助けよう、って思うこと自体。勇気がなければできないことじゃないか!」


 雨海さんは僕のことを助けようとしてくれた。喧嘩を止めたいと思ってくれた。僕の怪我を気づかって、家に送ってくれた。

 それがどれほど心強かったか。

 困っている人を見て、純粋に助けたいと考える人は案外少ない。だから純粋にそう思えることは一つの勇気だ。結果的に上手くいかなくても、人を助けようとするその気持ちが、困っている人にとっては大きな支えになるのだ。


「君の勇気は凄いよ」

「でも、わたしは…………」

「誰だって失敗する。何度だって。失敗を恐れるなってわけじゃないけど……でも、何かをしたい気持ちを飲み込んで立ち止まるばかりなのは、辛いだろう?」


 雨海さんはしばらく黙ってから小さく頷いた。彼女だって、今の自分のままでいるのが辛いのだろう。そうでなければ、わざわざ僕達を助けようと廊下になんて出てこないはずだ。


「そうだ。小出しにしていくのはどうかな」

「え?」

「勇気の小出し。小さなことでいいんだ。明日の朝隣の席の子に挨拶するとか、そんな程度の。少しずつ慣らしていけば、きっと怖い気持ちも薄れてくれるんじゃないかな」

「小出し…………」

「もしそれすらも怖いと思ったら僕に言ってほしい。応援するから。……まあ、応援くらいしかできないんだけどさ」


 彼女はふっと息を吐くように笑った。変なことを言ってしまったと恥ずかしくなっていた僕も、彼女の笑みを見て頬を緩める。

 気が付けば彼女の震えは止まっていた。

 そうだね、と彼女は柔らかい声を床に弾ませた。僕の思いが彼女の心に届いたか、彼女が本当に行動するようになるかは分からない。分からないけれど、でも。


「応援してくれるなら。わたしも、勇気を出してみる」

「…………うん」


 雨海さんが笑ってくれただけで、十分言ったかいはあるな、と思った。





「ようやく治った!」

「あんまはしゃぐと、また足くじくぞ。治った直後は危ないんだからな」


 分かってる分かってる、と友人に言いながら僕は廊下をぴょんぴょんと跳ねるように歩いた。友人の溜息が聞こえる。だけど久しぶりに違和感がなくなった足が戻ってきた僕はとにかく嬉しかったのだ。

 捻挫した足が治るまで一週間ほどかかった。解放感にはしゃいだっていいだろう。いつも教室に突撃してくるありすちゃんも今日は来なかったし、久しぶりに写真部に行こう。写真を撮りたい。そうだ、たまには遠出して、綺麗な景色を撮るのもいいかも。

 運動部に行く友人と別れ、僕は鼻歌を歌いながら部室へ向かう。廊下を渡り職員室の前を通ったとき、廊下に正座するありすちゃんとあぐらをかく千紗ちゃんを見て、そのまま通り過ぎようとした。


「あら湊先輩。こんにちは!」

「無視すんなや」


 二人の声で、廊下を歩いていた生徒が彼女達と僕を交互に見る。どうやら他人のフリはできそうにない。肩を落とした僕は振り返って、彼女達の元へと踵を返した。


「今度は何やらかしたの」

「やらかした前提で話進めんな。髪だよ髪。放課後すぐ、生徒指導のうるせえババアに見つかって、説教されてるんだ。ったく、理不尽だよな」

「その髪が怒られるのは当たり前だろう……。二人とも黒とか、せめて茶色にすれば? それもきっと可愛いよ」

「私は魔法少女ピンクちゃんなのよ。ピンク色以外、ありえないわ」

「いやでも…………ん?」


 僕はありすちゃんの胸を凝視した。決してやましい気持ちがあるわけじゃない。しかしなんだか不自然というか、一回り大きいというか……。

 そんなことを考えていると、モゾリと胸が動いたものだからギョッと目を見開く。もぞもぞと動いたそれは、シャツの下から顔を出した。


「はぁ苦しい! ありすちゃん、もうぼく限界だよ。いつまで隠れていればいいの?」

「駄目よチョコ。先生に見つかったら、一週間没収されちゃう! ほら隠れて。呼吸を止めて」


 殺される、と嘆いたチョコがふと顔を上げて僕を見た。あっと声をあげたチョコが僕に縋りつく。廊下を歩いている生徒にバレてしまう、と僕は慌ててありすちゃんに体を近付けた。チョコは僕の体をよじ登り、セーターの中に体を潜らせた。


「こ、コラ。くすぐったい!」

「湊先輩お願い。チョコをかくまってちょうだい。先生ったら酷いのよ。チョコのことを見るといつも怒るの。学校にぬいぐるみを持ってきちゃだめって、すぐ引き離そうとするんだから」

「その通りだよ」

「チョコのことをよろしくね! 先生のご機嫌がなおったら、すぐ迎えにいくわ」


 僕の返事も聞かずありすちゃんはチョコを僕に押し付けた。モゾモゾと動いたチョコはセーターの中から僕を見上げ、にこりと微笑む。

 ありすちゃんの横で千紗ちゃんはニヤニヤと楽しそうに笑って僕を見つめていた。何を言っても無駄か、と僕は溜息を吐いた。


「大人しくしててくれよ」


 部室からカメラを取ってきた僕は、外の校舎隅の芝生に座り、花壇の花を写真に収めていた。遠出しようと思っていたのに、と膨れながら襟を引っ張り、服の中で丸くなっているチョコを見下ろす。なんだか赤ちゃんみたいだ。

 衣替えの時期だが、今日は偶然セーターを着ていてよかった。チョコが入っている膨らみが分かりにくい。チョコはあくびをしながら横になり、快適そうに鼻歌を歌いだす。なんだかおっさんみたいだ。


「いや、君の服の中は案外ゆったりできるねえ。ありすちゃんは子供体温だから暑くてさ。快適快適。おまけで甘いお菓子でもあると最高なんだけど」

「くつろぐな」

「もう少し襟を引っ張ってくれる? ほら、ここから見える景色は綺麗だよ。青い空を泳ぐカラス、ゆったりと流れる雲、飛んでいく飛行機…………あれ?」


 ふとチョコが目を瞬かせ、上空を指さした。つられて上を見た僕は、ちょうど真上の部屋の窓から誰かがこちらを見下ろしていることに気が付いた。けれどその人影は僕の視線に気が付いた瞬間、パッと窓から離れて見えなくなる。


「確かあの部屋は、家庭科室だっけ?」


 チョコに言われて僕は頷いた。そうだ、あの部屋は家庭科室だ。


「湊くん、湊くん。行ってみようよ。もしかしたら、お菓子を作っているのかも! 分けてもらえるかもしれない」

「や、工事の人か何かだと思うけど」

「そうだ。仲間に入れてもらって、君もお菓子を作ったらどうだい? 先生に落ち込んで怒られているありすちゃん達のために、甘いお菓子をプレゼントするんだ」

「お菓子のプレゼントは別にいいけど。でも作るより、購買で買った方が……あー分かった、分かったから暴れないで。服が伸びる!」


 チョコがジタバタと服の中で暴れだすので僕は嘆息して立ち上がった。どうせ見えたのは工事の人か誰かなのだろうけど。

 校舎に戻り家庭科室の前まで来た僕は、扉に貼られたままの「立ち入り禁止」の紙を見て、ほらやっぱり、とチョコに言った。


「まだ入れないよ。きっと、ようやく工事に取りかかったばかりなんだ。お菓子を作れるようになるまで、もうしばらく…………」


 言いながら、工事はどれくらい進んでいるのだろうと扉の窓から室内を覗き込んだ。家庭科部のあの子とばっちり目があった。

 あ、と思う間に顔色を変えた彼女が扉を開ける。そして僕を家庭科室の中へと引っ張り込んで、急いで扉を閉めた。

 家庭科室の中には二人の女の子がいる。最近よく出会う、例の二人だ。


「何してんの」


 鋭い声で一人が言う。僕は背筋を正し、にっこりと微笑んで首に下げていたカメラを持ち上げた。


「卒業アルバムの撮影中ですっ!」


 嘘つけ、と小さくチョコが呟いた。僕は微笑んだまま、服の上からチョコの頭を肘で小突いた。

 二人は疑わしい視線を僕に向けている。僕はニコニコと部屋の中を見回した。

 家庭科室はおおよそ綺麗だった。しかし隅の方には瓦礫が残り、二つほどボコボコに変形しているテーブルもある。この部屋はまだ工事が終わっていない。それなのに彼女達がここにいる理由は、一つだけだ。

 僕はそっと一人の子へ視線を向けた。彼女はヘアピンを握っている。

 どうやらこういうの本当に開くみたいだよ、と後で千紗ちゃんに教えてやろうと思った。


「へー。生徒が撮影することもあるんだ。え、待って。髪なおすから」

「馬鹿。今写真撮られたら、勝手に入ったことバレるに決まってんじゃん」


 女の子二人は顔を見合わせ、僕を囲むように立つ。睨むような目を見れば、彼女達がただで僕を返そうと思っていないことがハッキリと分かった。諦めて、僕も彼女達を見下ろす。


「まさか本当に、無断でお菓子を作る気かい? 家で作ればいいじゃないか」

「家の古いオーブンより、こっちの方が性能いいの。それに今日はただ家庭科室の中を見に来ただけ。どれぐらい壊れてるのか、確かめたかったから」


 思ってたより綺麗で拍子抜け、と彼女は肩を竦めた。確かに立ち入り禁止にされているくらいだから部屋の中はボロボロかと思っていたが、崩壊している部分もあれど、綺麗な部分の方が多い。テーブルだって、事件の際飛び散ったのか砂糖や油でベッタリと汚れているけれど、拭けば簡単に綺麗になるはずだ。


「これなら全部封鎖する必要もないじゃん。テーブル一つでも使えれば十分部活できるんだからさ。……ほら、水も出るし、火も普通に出るし」


 ガスコンロが点火し、蛇口を捻れば水が出る。透明な水がパシャパシャシンクを叩いた。

 彼女達の顔は不満に満ちていた。今にも職員室に抗議しに行きそうな雰囲気だ。


「ね。先生達にうちらのこと言いに行く気だったら、許さないからね」

「許さないって…………」


 そんなことを言われても、と僕は肩を竦めた。彼女達の目は本気だ。一体何をするというのだろう。いじめられるのかな。根拠のない悪口を言われたり、暴力を振るわれるのかも。


「湊くん」

「ん?」


 それはいやだなぁ、と考えていると、不意にチョコの声がした。服越しのくぐもった小さな声が僕に告げる。


「変な音がするよ」


 僕は顔を上げる。目の前にはこちらを睨む女子二人。けれど彼女達から視線を外して僕は部屋の中を見た。

 水がシンクを叩く音。部屋に聞こえる音はそれだけだ。首を傾げる僕に女子達が、何してんだよと怪訝に声をかける。

 僕は蛇口を捻って水を止めた。けれど、水道管の一部が壊れかけているのか、ぽた、ぽた、と少量の水滴がいまだ落ちていく。

 その音に混じって、シュー、という小さな音がすぐ隣のガスコンロから聞こえた。


「うわっ!」


 ボン、弾けた音がしたのはその直後だ。ガスコンロの火が膨れ上がり、大きな火の塊が爆発した。

 飛びのいた僕は、バクバクと鳴る胸を押さえて揺らぐ火を凝視する。爆発は一瞬で、火はすぐに元の状態へ戻った。


「びっ……くりした」


 ドキドキを誤魔化すような笑いを浮かべて僕は振り返る。女の子達も目を丸くしてガスコンロを見つめていた。と、一人があっと小さな声をあげる。僕はまたガスコンロへ目を向け、同じくあっと声をあげた。

 爆発の際に飛び散った火の粉が、テーブルの汚れに引火していた。小さな火がテーブルの端で揺らぐ。

 その小さな火は僕達の目の前で、テーブル全体に広がっていった。

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