第16話 魔法少女になる資格

 魔法少女、と甘い溜息を吐くように雨海さんは繰り返す。魔法少女よ、とかみしめるようにありすちゃんも同じ言葉を繰り返す。

 僕が知らないだけで、魔法少女、という言葉はいまどきの女子高生の流行りなのだろうか。もしくは何かしらの隠語なのかもしれない。たとえばほら、千紗ちゃんの売っているような薬を言い換えたものだとか。


「魔法少女って、あの、変身して戦うアニメの?」

「ええ、そうよ」


 どうやら違うみたいだ。

 僕は目を瞬かせつつカウンターに肘を置く。甘い綿菓子のようなふんわりとした会話が、図書室の埃っぽい空気にねとりと絡みついていく。


「今この惑星は危機におちいっているの。悪の敵が人々の心を支配して、自分達に都合よくなるように操っているの。このままだと、いずれ世界中の人々が悪の心に染まってしまうわ」

「わぁ、それってとても…………大変だ!」

「今はまだ敵の力も弱いから、被害が出るのはこの楽土町の中でだけ。これ以上被害が広がる前に止めなければいけないわ。それが、魔法少女のお仕事なの!」


 すごい、と雨海さんは目を輝かせてありすちゃんの話に身を乗り出していた。手応えを感じているのか、ありすちゃんも更に熱を入れて魔法少女について話している。僕はぼんやりとそれを聞きながら、今日の晩御飯なにかな、ハンバーグがいいな、なんてことを考えはじめていた。

 予想に反して雨海さんの食いつきがいいことに少し驚いた。本気で信じているわけではないだろう。けれど彼女は決してありすちゃんの言葉を否定することなく、純粋な興味関心をその瞳にたたえて話を聞いている。


「あなたは魔法少女に興味があるのね。嬉しい!」

「昔、よく見てたから……憧れてたの」


 魔法少女という言葉は一定の人にとっては夢のような響きをもつ。僕にとっての怪物と同じだ。僕にはいまいち理解しがたい話だが、喜々として夢を語る彼女達を見ていると、微笑ましいと感じる。

 ふと、「大きくなったらヒーローになる!」とジャングルジムのてっぺんで叫んでいた小学校時代の同級生を思い出した。無邪気に話す彼女達の姿は、その子とそっくりだった。

 五分後、足を滑らせて顔から地面に激突した彼は、口から真っ赤な血を流してわんわん泣いていたっけ。


「それで今、三人目の魔法少女を探しているのだけど…………」


 ありすちゃんは熱を込めた視線を雨海さんに向けた。だが雨海さんはふと笑みを消し、目の輝きを曇らせる。


「ごめんなさい。わたしはきっと、お役に立てないな……」

「役に立てない?」

「ええっと、文化祭の話かな? 今年の演劇部の劇は魔法少女?」

「なんのこと?」


 ああごめんごめん、と僕は彼女達の間に割って入る。さりげなくありすちゃんを横に押しやり、雨海さんの耳元に口を近付けた。


「ごめんね。この子が言ってる魔法少女って、本物の魔法少女らしいんだ」

「本物?」

「劇とか物語の話じゃなくて。現実の。ええと、少し……変わった子でさ」


 小声が耳を触るのがくすぐったかったのか、彼女は僅かに肩を震わせて、そうなんだ、と上ずった声で呟いた。


「わたし、魔法少女にはなれそうにないから」


 雨海さんは赤く染まった耳を指でもみながら、もう一度同じ内容の言葉を繰り返す。黒い髪が俯くその肩に流れた。

 ありすちゃんの突飛な話を聞いても雨海さんは表立った動揺は見せなかった。むしろ彼女の世界を壊すまいと気遣っているのが、言葉からにじみ出ていた。


「どうして? 魔法少女にはなりたくないの? 憧れていたって言ったじゃない」

「う、うん。でも…………」

「世界の危機を救えるのよ」

「……………………」

「特別な女の子になれるんだから……」


 ありすちゃん、と僕は彼女を引き止めた。話に夢中になる彼女はカウンターに身を乗り出しすぎて、腹ばいに乗っかっていた。今にも向こう側に落ちそうだ。雨海さんはたじろいで彼女から身を引いていた。

 ずりずりとありすちゃんを引きずり下ろし、今日はもう行こうと告げる。彼女は不服そうに唇を尖らせた。


「それじゃあ、また」


 僕は雨海さんに手を振った。彼女は微笑んで、手を振り返そうとして途中でやめた。

 僕達は図書室を出る。本の香りがふわりと消えて、廊下の無機質でなまぬるい空気が体を包む。

 なれないよ、と。背後から。小さな声が聞こえた気がした。


「あー! 全然、仲間になってくれる人がいないんだから!」


 廊下に出てすぐ、ありすちゃんは髪をぐしゃぐしゃとかき回した。どうしたらいいのかしら、と嘆く彼女の横で僕は肩を竦める。問題点を指摘しようかとも思ったが、むしろ彼女の勧誘は問題点しかなかったのでやめる。


「目についた子に片っ端から声をかけていても疲れるだろ。せめてもっと、厳選して声をかけたらどう? 魔法少女になるための基準とか、ないの?」

「あるわよ」

「あるんだ」


 この調子では学校中の生徒がありすちゃんの奇行を知り、彼女を嫌厭する日も遠くない。少しでも被害が減るようにと提案してみた言葉だったが、すんなりと同意されて目を丸くした。

 彼女はトンと床を蹴って、僕の数歩前に行く。ふわりと広がるスカートとピンク色の髪の毛が白い日差しに透き通る。彼女の顔はちょうど影がかかって、見えなくなった。


「魔法少女に必要なのは、思いの強さよ」


 強くなりたいとか、誰かを助けたいとか、夢があるとか。そう言ってありすちゃんは窓の外に視線を向けた。

 校庭では運動部が部活をしている。ようやく均された校庭に、学生達の青春の汗が光る。夏の大会は目前。彼らの燃える思いは、大きなかけ声となってここまで響いてきた。


「強い思いがない人は魔法少女になれない。弱い心のまま戦えば、すぐ敵にやられちゃうもの。だから、強い心を持っていない人はお誘いしないように決めてるの」

「…………そういうものなの」

「そういうものなのよ」


 僕は思わずぽかんと口を開けて彼女を見つめた。宙に浮いていた彼女の足が、急に地面について、薄汚れた廊下を踏みしめる。そんな幻覚を見る。そういえば今日はちゃんと上履きを履いているのだなと思った。白いはずの布地は薄汚れ、真新しいシミが付いているけれど。


「意外とシビアなんだね。魔法少女は」

「あら。私だって、中途半端な気持ちで世界を救おうとしているわけじゃないのよ」

「そうだね。ごめんよ」

「強い思いがあれば誰だって魔法少女になれるわ。勿論湊先輩だってなれるわよ。どう? 魔法少女になってみない?」


 僕は『魔法少女』に変身する自分を想像してみた。触手や牙が生えたゴツゴツとした体の怪物……。

 いや、と首を振る。変身した彼女達は自分の姿をちゃんとした魔法少女だと認識している。僕もきっと、己の姿はドレスアップをした可憐な少女に見えてしまうだろう。あいにく可愛いリボンよりは鋭い爪や牙の方に憧れている。それに怪物だって、自分がなるのではなく遠くから見ている方がいい。


「じゃあ、結構声をかけない人もいたんだ」

「今のところは全員に声をかけているけれど」

「ん?」

「だって、人々は誰もが素敵な夢を持っているでしょう!出会う人みぃんな強い思いを持っているんだから」

「……そっか。じゃあ、千紗ちゃんも強い思いを抱えている子だって、最初から分かっていたから勧誘したんだ」

「彼女はそれ以上に、一番魔法少女にふさわしいものを持っていたから」

「ふさわしいもの?」

「髪がイエローだったじゃない!」

「そっ…………かぁ」


 また、ありすちゃんの足が宙に浮く。ふわふわと空に昇っていく彼女はそのまま降りることなく、雲の向こうへと消えた。

 強い思いがなければ魔法少女にはなれない。僕は雨海さんの姿を思い浮かべる。図書室で静かに本を読む、自己主張の少ない、穏やかな子。

 彼女にはどんな熱い思いがあるのだろう。

 僕はそんなことを思いながら、軽やかに廊下をスキップするありすちゃんの背中を追いかけた。




 映画研究部に行くと、チョコがクッキーをむさぼっていた。

 チョコがクッキーを食べる。言葉だけ聞くとなんだか不思議な響きがあって面白いなと僕は笑った。現実逃避だ。お菓子が山盛りになった皿に並ぶ緑色のクッキーに、頭が重い痛みを訴える。


「お邪魔します」

「おう。早く扉閉めろや」


 ソファーに座る千紗ちゃんは溜息を吐き出した。吐息に絡まった紫煙が部屋を青白く濁らせる。部屋に充満したイガイガする煙に僕は喉を唸らせた。

 スクリーンに古い映画が流れている。警察官である主人公が上司に対して、違法薬物の危険性を熱く語っている。チョコは楽しそうに映画を見ながら、大麻入りのクッキーをまた一枚齧った。


「映画って面白いねぇ! ぼくゲームやアニメは好きだけど、映画は見たことなかったよ」

「お前、映画研究部来といてむかつくこと言うな。今日はそこの棚の一段目に入ってるやつ全部見るまで帰んな。安心しろよ。初心者向けの作品ばっかだからよ」

「二十作以上あるけど…………」

「泊まれば?」


 えんえん泣きながらチョコはクッキーを飲み込み、また次の一枚に手を伸ばす。その隣に座るありすちゃんも、クッキーをおいしそうに食べていた。

 まだ慎重にしか歩けない僕を置いて、彼女はさっさと先に行ってしまった。僕達の距離は時間にして約数分。けれど数分もあれば甘いクッキーは何枚だって食べられる。彼女とチョコの胃に沈殿する緑色の草を想像し、僕は諦めてかぶりをふった。


「ありすちゃん、それくらいでやめときなよ。夜ご飯が入らなくなるよ」

「甘いものは別腹だから大丈夫。先輩もいかが? 腹ごしらえして、街へ魔法少女の探索に行きましょう!」


 僕は嘆息して、彼女が唇に押し付けてきたクッキーから顔をそむけた。

 もう薬物はやめるんじゃないのか、と横目で千紗ちゃんを見れば、彼女は掠れた笑いで肩を揺らす。煙草の煙が笑いに合わせて、ク、クツ、と途切れては広がる。


「魔法少女になるからって、薬売りをやめる気はねえよ」

「でも引っ越しの費用集めにやってたんだろう? それなら……」

「そりゃ急いで金を稼ぐ必要はなくなった。前ほど躍起に商売はしない。だけど、小遣い稼ぎにゃこれ以上楽なのはねえよ。ガールズバーで働いて、たまに薬売って、酒と煙草代にさせてもらうさ」


 僕は千紗ちゃんに何かを言おうとしたけれど、結局何を言いたいのか自分でも分からず、ただ肩を竦めた。


「捕まらないようにね」

「『やめろ』じゃなくて?」

「……嫌がる相手に無理矢理商売をするのは、やめてね」


 テーブルに散らばっていたお菓子の包装紙を手で集め、ゴミ箱に捨てる。無造作に捨てられていた吸い殻と灰が包装紙に隠された。

 僕が今この部屋を出て職員室に向かい、「映画研究部がラリってます」と告げて先生を引っ張ってくれば、多分この学校から映画研究部という言葉はなくなる。この学校から薬物の存在もなくなる。

 だけどそれをしないのは、千紗ちゃんがいなくなるのが寂しいからか、彼女の報復が怖いからか、隣で大麻を食べているありすちゃんがいるからか、僕の制服に濃く煙草の香りがしみついてしまったからか。

 分からないけれど。僕は、職員室には行かなかった。


「ねえ千紗ちゃん。クッキー以外のお菓子は作らないの?」


 ありすちゃんが言った。見れば、いつの間にかお菓子が乗っていた皿は綺麗になっている。さっきまでポテトチップスやチョコレートや大麻クッキーが山盛りになっていたのに。彼女の膝の上で、チョコが丸く膨らんだお腹を擦って、歯に挟まった欠片を爪で引っ掻いていた。歯、あるんだ。


「薬中の部員が勝手に作ってるだけだから知らねえな。元々お菓子作りが趣味だってんで持ってきてたお菓子に草混ぜてみたら、ドハマりでやんの。それからずっと混入菓子作って持ってきてはここで食べてるけど……前はブラウニーで、今回はクッキー。ハマったらずっと同じやつしか作んねえ。次いつ別のもん作るかは未定だな。食いたいなら自分で作れば?」

「そうね!」


 ありすちゃんは立ち上がり、かと思うと僕と千紗ちゃんの手を引っ張った。目を丸くしたまま僕達は彼女に引っ張られて部屋を出る。どうやら、僕達をどこかへ連れていく気らしい。


「あ、ありすちゃん? 今度はなにをする気?」

「家庭科室に行きましょう。あそこなら、好きなだけお菓子を作れるわ」

「はぁ? おま、作るなら勝手に……おいこら!」


 ありすちゃんの足は止まらない。家庭科室は旧校舎の二階にある。図書室の前を通っていく必要があった。せっかく歩いたのにまた戻るのか、と肩を竦めつつ必死に足を動かす。ありすちゃんの奇妙な提案に振り回されることに、不本意ながら慣れてきている自分がいた。

 そうしてようやく家庭科室にたどり着いた僕達は、扉の前でピッキングをしている女子達に遭遇する。

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