第14話 三人目の魔法少女
「そろそろ三人目の魔法少女が登場してもいい頃じゃ……」
「授業中――――ッ!」
僕は教科書を叩くように閉じて立ち上がり、教室の入口からこちらを覗くありすちゃんの手を引いて廊下に出た。笑顔でそこに立つありすちゃんと千紗ちゃんをじろりと睨む。
「授業中! 今! じゅ、ぎょ、う! 学生の本分! 分かるかい!?」
「ええ、新しい知識を学ぶことはとても素晴らしいことよね。ところで、三人目の魔法少女についてなのだけれど」
「話を聞け!」
思わず頭を抱えて床にうずくまってしまった僕は絶対に悪くない。
時刻は昼過ぎ。五時間目の授業中だった。閉じられた扉の向こうからは生物の先生が授業を再開する声と、「先生の授業つまらないかなぁ……」と困ったような嘆きが聞こえてくる。後日職員室に菓子折りを持って謝りに行くべきかと本気で悩んだ。
授業中に突撃されるのはこれで二度目。まさか、魔法少女が増えるたびに同じことが起こるのではあるまいかと思うとぞっとする。三人で終わりにしてほしいと切実に願う。
「君達も授業中のはずだろう」
「お昼休みからずっと三人目の魔法少女のことを考えていたら、気が付いたら皆もういなくなっちゃっていたわ。どこで体育の授業をやっているか、分からないのだもの」
「サボった」
堂々とサボり宣言をしてくる二人に溜息しか出てこなかった。まともに授業を受けている僕の方が、むしろおかしいのだろうか。
ありすちゃんと千紗ちゃん、それから腕に抱かれたチョコは三人目の魔法少女について楽しげに話している。千紗ちゃんまで魔法少女の話に食いつくのは意外だった。あれほど荒唐無稽な話だとばかにしていたのに。けれど自身も魔法少女に変身したのだ。そうなった以上無関心ではいられないだろう。
まるで子供時代に戻ったかのような顔で喜々として話す彼女達を見て、僕は僅かな憂いに眉をしかめた。
魔法少女という名の怪物はその数を増やしてしまった。驚異的な存在が一体だけでなく、二体も。
SNSでは早速千紗ちゃんが変身した怪物のことが話題になっていた。誰かが道路を走る彼女を撮影していたのだ。あまりの彼女のスピードと撮影者の動揺によりその映像は一瞬の残像くらいにしか見えなかったけれど、その一瞬が、逆に怪物の恐ろしさをぞっと引き出していた。
高校に現れた怪物、商店街にまたも現れた怪物、夜の街を駆ける新たな怪物。
連日ニュースで彼女達のことが報道される。平和で目立たぬ街だった僕達の住む楽土町は、またたく間にその知名度を上げていく。
けれど、その怪物の正体が偽りの魔法少女であることを知っているのは、この世で僕だけだ。
「……………………」
僕だけが知っている。
「ピンク、イエロー、ときたら次はブルーよ。とっても知的で大人っぽい子! 水を操る魔法で、敵を一網打尽にしちゃうんだから」
「あれだろ、アニメだと大体生徒会長とかあたりが変身するやつだ。うちの生徒会長は……あ、男じゃん。できんの?」
「魔法少女になりたいと願えば性別なんて些細なことよ!」
そりゃ怪物になれば性別なんて些細すぎることだろう。
変身した自分の姿を魔法少女だと認識しているのは、ありすちゃんだけではなくなんと千紗ちゃんもだった。彼女達には自分が怪物になっているという自覚がないのだ。
魔法少女に変身すると皆の頭がどこか壊れてしまうのだろうか。
だとすると、『魔法少女』という存在は、思っていたよりも随分と厄介なものじゃないのか。
「……………………ん?」
考え事をしていると視線が下がる。そこでふと僕は、ありすちゃんの足元を見て目を丸くした。彼女は靴を履いていなかった。学校指定の紺色のソックスしか履いていない。
「ありすちゃん、靴は?」
「下駄箱からいなくなっていたの。朝から」
お散歩中かしらね、と本心からそう思っている声でありすちゃんは笑う。僕と千紗ちゃんは眉間にしわを寄せて、まじまじと彼女の足を見つめた。生徒達の靴跡で汚れた廊下はべたついて、お世辞にも綺麗とは言えないものだ。
ちょっと変わった後輩の女の子達。不思議な力で変身する魔法少女。知名度を上げていく怪物。街の崩壊、負傷者、死者……。
そこに加わる「いじめ」という問題に、僕の頭はズキリと痛みを訴えた。
「湊、かわいい子達に好かれてんじゃん」
放課後、ホームルームが終わった途端僕の席にやってきた友人はそう言った。
言葉自体はからかうようなものでも、彼の表情と声色は不安げだ。慰めるように背中を叩かれ、僕は思わず大きな溜息を吐いて机に突っ伏した。
「大丈夫か? あの子達……おれもちょっと噂聞いてるくらいだったけど、実際に見るとマジで……その…………」
「やばいだろ?」
「やばい」
姫乃ありす、犬飼千紗。
北高校一年生として春に入学したばかりの彼女達は、六月を迎えた今現在、この学校中でも悪い意味で話題の生徒達だった。
生まれつきピンクの髪や金色の髪をした人間など、少なくとも日本にはいない。黒や茶が埋め尽くす学校内で奇抜な髪の色はあまりにも目立つ。
そのうえ犬飼千紗は暴力、カツアゲ、喫煙飲酒、部活動の乗っ取りなど過激な言動で皆から恐れられる完全な不良であり。
姫乃ありすは常に外れた思考回路、妙な発言、一般的な常識とは程遠い行動などから周囲に「ゆめかわちゃん」「不思議の国のありすちゃん」などと揶揄され遠巻きにされている子であり。
つまりはどちらも「やばい子」として有名になっていた。
「どこで目を付けられたんだ? 最近よく一緒にいるって聞いてたけど」
「ちょっとした事情で…………」
「気を付けろよ。お前、変なところでお節介なんだ。あの子達からすりゃ、いいカモだろ」
僕は返事の代わりに苦笑を返した。
カラオケにでも行くか、という友人の誘いを断って僕は図書室に向かった。少し調べものをしたかったのだ。
図書室では数人の生徒が勉強をしているだけだった。本に音を吸収されたような静かな空間に、時折紙をめくる音だけが聞こえる。久方ぶりの静かな空間というものにほっとした。最近は、ありすちゃんやら千紗ちゃんやら、騒がしい場所にいることが多かったから。
しかし図書室にはあまり入ったことがない。探している本がどのあたりにあるか分からず、僕はカウンターの図書委員に声をかけた。
「すみません。本の場所を教えてほしいんですけど」
「あっ、はいっ」
カウンターでポスターを描いていたらしい図書委員の子がパッと顔をあげる。と、眼鏡の奥の瞳が丸くなって、驚いた色で僕を見つめた。
「…………ん? あれ?」
僕もまた彼女を見て目を丸くした。
長い黒髪と眼鏡をかけた顔には覚えがある。彼女ははじめて怪物が現れたあの日、図書室で一緒に震えていた女の子だった。
君は、と思わず大きな声を出してハッと口を手で塞ぐ。無事だったんだね、と今度はもう少し声量を落として彼女に微笑んだ。
「う、うん。そっちも無事だったみたいで……よかった……」
恥ずかしそうに小さな声で言って彼女は俯いた。背中まで伸びた髪が、サラリと肩に流れる。垂れた毛先が、胸元の二年生カラーの青いリボンをくすぐった。
あのときは結局、気が付いたら病院で目覚めたわけで、彼女の安否は不明だった。心配していたのだけれど、目の前にいる彼女は目立った怪我もしておらず、ようやく無事を確認できてほっと安堵する。
「医学関係の本ってどこにあるかな。場所が分からなくて」
「えっと、こっちです。案内するね……」
彼女は作業の手を止め立ち上がる。机上に置かれたポスターが僕の目にとまった。可愛らしいタッチのイラストで描かれた女の子と男の子が、モンスターらしき生き物から必死で逃げ、「落ち着いて避難を!」と呼びかけているものだった。
「この棚にある分で全部、だったかな……。ごめんなさい。まだ本の整理が終わっていなくて」
案内された本棚にはほとんど本が入っていなかった。六段あるうちの三段分しか本がつまっていない。
隕石と怪物が出現したあの日から約一ヵ月がたった。校舎の工事はほとんど終わっているけれど、家庭科室や旧校舎の外通路など、まだ立ち入り禁止になっている場所もある。図書室だって部屋自体の修復は終わったものの、散らばった本を整理するなどの細かい作業はまだ時間がかかるのだろう。
限られた本の中から数冊を選び、近くの席につく。『人間の病』『奇病』『人体の不思議と健康』などのタイトルがテーブルに並ぶ。糊やテープで補修された本をめくりしばらく、僕はこっそりと溜息を吐く。
「…………やっぱりないか」
僕が調べたかったのは、「人体が別の生き物の姿に変わる」病気がないか、というものだ。
勿論それはあの魔法少女二人のことである。怪物に変身する彼女達の体は、もしかして新たな病気の一種ではないかと考えたのだ。
しかしながら当然、そんな病気が見つかるわけがない。僅かに似たような事例はあっても、骨の形成の異常により肩甲骨が翼のように隆起する病気。体毛のバランスが崩れ、手足だけが獣のように毛深くなってしまう病気。などのものであり、体が一瞬にして三メートルものの巨体になったり完全に獣化したり、などというものはなかった。
上手く探せないものだ、と唇を尖らせて、僕は
「あの」
「わっ!」
突然背後からかかった声に飛びあがった。振り向けば図書委員のあの子が立っていて、僕以上に驚いた表情を浮かべていた。
ごめんなさい、と上ずった声で謝罪を述べた彼女は、言いにくそうに口をもごつかせて僕と時計を交互に見やる。壁にかかっている時計を見ればもう六時半を回るところだった。そういえば入口の扉に、「しばらくの間は書籍整理作業のため閉館時間が六時になります」と書かれていたことを思い出す。
「ご、ごめん。すぐに帰るよ」
「ううんっ。こっちこそ、追い立てるようなまねしちゃって」
気が付けば勉強をしていた子達も全員帰っていた。廊下からは、帰宅する生徒達の声か、やけに騒がしい声が聞こえていた。
急ぎ帰り支度をはじめながら、彼女が僕の読んでいた本を見つめていることに気が付いた。僕はふと思いついて、質問を振ってみる。
「あのさ。僕今、ちょっと変わった病気について調べているのだけれど、君は何か知らないかな」
「病気?」
「うん。体が急に変化するような病気。短い時間で、体がそれまでの形と違うものになってしまうんだ。例えば、狼男みたいな」
「病気……狼男……」
「突然、手足が触手になったり」
「…………ええと、体が触手に変わるってことは、ない、と思うけれど」
僕は顔を赤くして口を閉ざした。ごもっともだ。
架空の話だよ、部活の撮影のための物語を考えていて、などと無理のありそうな言葉で誤魔化せば運よく彼女は納得してくれたようだった。
「そ、それなら『変身』とか『ジキルとハイド』が似たようなお話かも。どちらも不思議なお話なの。わたしは特に『ジキルとハイド』が好きかな。ジキル博士が作った、謎のお薬があってね……」
やはり図書委員という肩書き通り、彼女は本が好きなのだろう。饒舌に本について語り始めた。
けれど彼女は僕が見ていたもう一つの本に視線を向けた途端、口を閉ざした。怪訝に思い僕も本を見る。『いじめに負けない』と書かれたタイトルが目に飛び込んでくる。
その本はさっき書籍を選んでいた際、近くにあって目についた本だった。靴を履いていないありすちゃんの姿を思い出し、無意識に取ったものだ。こういうところがお節介だと言われるのかもしれないけれど。
ハッとして彼女を見れば、視線がかち合った。気まずげにそらされる視線に慌てる。どうやら誤解をされているようだと表情で分かった。
違うんだよ、と言おうと口を開いたそのときだった。
「だから、うざいんだよ!」
ガン、と大きな音がして僕と彼女は飛び上がった。廊下から聞こえていた声が更に激しくなっていた。ただの生徒達の談笑だと思っていたけれど、どうやら違うものかもしれない。
僕はそっと出口に向かい、薄く扉を開けて外の様子をうかがった。不良の喧嘩に巻き込まれでもしたらたまったものじゃない。だがその考えは外の光景を見た途端一瞬で消え失せ、僕は思い切り扉を開ける。
「怒らないで。私達は三人目の魔法少女を探しているの。だけどあなたはどうやら、魔法少女にはなりたくないみたいね。不思議。だってあんなに可愛い姿に変身するのを望まない子がいるとは思えないもの。他になりたいものがあるのかしら。いいわ、応援してあげる。だってこの世には否定されていい夢など一つもないのよ。あなたの夢はなぁに? 私があなたの夢を応援してあげる。魔法少女としてあなたの夢とこの世界を守るのだから。大丈夫よ。怖がらないで。さあ、あなたの夢はなぁに?」
「ありすちゃん!」
僕は廊下に飛び出した。
そこには四人の女の子がいた。そのうち二人は見知った子だ。ありすちゃんと、千紗ちゃん。
見知らぬ二人の女の子達は、ありすちゃんの胸倉を掴んで壁に押し付けていた。僕を見てギョッと目を丸くしたけれど、ありすちゃんを殴ろうと振り上げていた手は、いまも空中にかかげられている。千紗ちゃんは少し離れた場所に立って、三人の様子をニヤニヤと見つめている。
パッと見ただけで被害者が誰かを察した僕は、大股に彼女達の元に行くと即座に頭を下げた。
「この子達が迷惑をかけてすみません」
「そっちの味方かよ」
僕に頭を下げられた見知らぬ女子二人は、戸惑った顔をしたものの、すぐに眉をつりあげ、まったくだよ、と怒りに声を荒げた。
「おい、話も聞かずに勝手にこっちが悪いって決めつけんな。あたし達が被害者だったらどうする?」
「…………すまない、先走った。何があったんだ?」
「魔法少女の勧誘よ。三人目を探して。目についた子全員に声をかけているの!」
「本当に申し訳ありませんでした」
僕はありすちゃんの頭を無理矢理下げて二度目の謝罪をした。バタバタと暴れるありすちゃんを見て、千紗ちゃんが腹を抱えて笑った。すぐ傍の階段に、カラカラと笑い声が落ちていく。
「千紗ちゃんもずっと付き添ってたなら止めなよ。何を思ってぼけっと見ているんだ」
「いや、うけるなって」
「この馬鹿野郎が」
放課後になってからずっとだよ、と笑う千紗ちゃんの言葉に眩暈がした。放課後になってから二時間程度がすぎている。その間ありすちゃんは目についた子全員に魔法少女の勧誘をしていたのか。
「うちらもう帰っていい?」
「あ、ああ。引き止めてごめん」
「マジ最悪。あーあ、こんなに時間食っちゃって。損したぁ」
わざとらしい嫌味を発して彼女達は大げさに肩を落とす。あ? と低く唸って千紗ちゃんが二人を睨んだものだから、僕は慌てて彼女が握った拳を掴んだ。
こんな所で暴力沙汰は起こしたくない。文句を受け入れるだけで済むなら、それでいいだろう。図書室の扉からそっとこちらの様子を伺っている委員会の子を横目で見ながら、僕は思う。
「ねえ、私はまだあなたたちの夢を聞いていないわ」
「ありすちゃん!」
だけどそう簡単に終わらせてくれないのが彼女だ。ありすちゃんはキラキラとした目の輝きを一層強くして彼女達に詰め寄る。はぁ? と怪訝に顔をしかめた彼女達は、明らかにその怒りを増幅させていた。
「いい加減にしろよ。なんだよさっきから、夢だの、魔法少女だの……!」
「うふふ。面白い顔。そんなに鼻をくしゃくしゃにして。なんだか豚さんみたいね」
サッと女の子の顔色が変わった。ありすちゃんはおそらく、何の悪気もなくそんなことを言ったのだろう。しかしその言葉は一般的に聞けば、ただの悪口でしかない。
ふざけるなよ、と女の子が怒号を放った。勢いのままに彼女はありすちゃんの胸を突き飛ばす。ありすちゃんは目を丸くし、後ろによろめいた。
場所が悪かった。
彼女の後ろには階段があったのだ。
「危ない!」
咄嗟に手を伸ばし、彼女を引っ張りあげた。
だけど彼女の体と入れ替わるように、僕の体はぐらりとバランスを崩す。
目を見開く四人と、図書委員の子が上げた悲鳴を聞きながら、僕は階段から足を滑らせた。
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