本物の笑顔

「そう言えば、サラのことじゃが、お前が思っているような感情などありはせんぞ」


 アジトへの帰り道、突然エヴァが容姿には似つかわしくない重苦しい声でこちらへと投げ掛けてきたのはそんな言葉だった。


 その言葉が意味するところを俺は理解できずに、その意図を彼女に問いかける。


「どういうことだよ?」


 エヴァは『自分でも気づいておらんのか』と小さくため息を吐きながら、少し哀れみの込められた視線をこちらに向けてきた。


「お前さんが、彼女の笑顔を見て、安堵の笑みを浮かべていたのは自分でも気が付いておるか?」


 そう言われて、彼女との会話や仕草を思い返してみる。


 確かに俺は彼女が浮かべた笑顔に一筋の希望を感じていたのは事実だ。それが表情に出ていたのだとしてもおかしくはない。


 そこまで深く考えてはいなかったが、無意識の内にそんな安堵の気持ちがあふれ出していたとしてもおかしくはないくらい、俺も追い詰められているのかもしれない。


 それにしてもエヴァはそんな小さな表情の機微を感じ取っていたのだろうか。それとも、俺は思った以上に表情に出ていたのだろうか。


 いずれにせよ流石の観察力だと感心する。


「それはまあ、自覚はある……」


 俺が恥ずかしさを隠すように頬を少しだけ掻きながら答えると、先程よりも軽い声音が返ってくる。


「まあ、あれがサラの胸を揉んだことによる下卑た笑みである可能性も捨てきれんが……」


 エヴァは瞼を細めて軽蔑するような冷たい視線を向けながら、そんな俺の失態を蒸し返そうとする。それにしても、本当に柔軟な表情だ……。


「いちいちそれを掘り返すなよ……」


 俺が引きつった表情でエヴァの方を向くと、片方の口端だけを吊り上げて、その容姿とはベクトルの全く違った楽しそうな表情を浮かべる。


 彼女は本当に機械なのだろうか?


 他のアンドロイドたちと比べてその表情の種類が多彩すぎる。他のアンドロイドたちにボスのように扱われるあたり、他のアンドロイドとはどこか違うことに疑問はないが、それにしても彼女は人間味に溢れている。


 彼女の次に位が高いであろうヴィンセントですら、その表情はほとんどなく、どうしても人間味を感じられないというのに。


「まあ冗談はさておき、彼女の笑顔は所詮プログラムの一部じゃ。先程も言ったが、彼女はあくまでも人間に奉仕するためのアンロイド。つまり人間に安らぎを与える為に、人間に対して笑顔を浮かべなければならないというプログラムが施されておるのじゃ」


 俺が彼女に抱いた希望は、人間のエゴによるものだったということだ。俺自身が人間なのだから、そう感じてしまうのは仕方のないことなのだろう。


 確かに、無表情で奉仕をされるよりも笑顔で奉仕をしてくれた方が数倍嬉しい。それはアザミと見比べても間違いないだろう。


 だが、誰かのエゴを無理矢理に押し付けられた彼女に、そんな希望を抱いてしまった自分に少しだけ腹が立った。


「無理矢理笑わされているって、どんな気持ちなんだろうな……」


 そんな怒りからか、俺は思わずそんな言葉を漏らしていた。その答えは、本当はどこかでわかっていたはずなのに。


「気持などというものは存在しない。我々はあくまで機械なのじゃから。心は人間、いや……、生物だけに与えられた神の恩恵。我々の存在は『生』への冒涜。そんな者たちに心など与えられぬよ」


 エヴァは自分の存在を『生』への冒涜だという。確かに彼女たちに寿命はない。戦わなければいつまでも死ぬことなく生き続けるのかもしれない。


 俺の世界の機械はそんな長く動くことはないのだろうが、この世界の『オーディニウム』という存在が、それを可能にしているのだろう。


 けれど、そんな彼らを生み出したのは人間だ。俺たちの世界で最も『生』を謳歌していた人間たちが、彼女たちを生み出したのだ。


 なのに、自分たちの存在が『生』への冒涜なのだと、そんな哀しいことは言わないでほしいと俺は思った。


 けれど、その言葉を言う資格は、彼女を作り出した人間である俺にはありはしない。だから口から出かけたものを、俺は歯噛みしながら飲み下した。


「まあいずれにせよ勘違いはせぬことじゃぞ。無駄な希望は、後の絶望をさらに大きくしてしまう。ただな……」


 そこで彼女は一度言葉を切ると、相変わらずその容姿に似合わない優し気な表情をこちらに向けて、その続きを口にした。


「彼女たちにも学習機能というものが付いておる。それもまた、我々に与えられた呪いなのかもしれない。じゃが、何かを学びたいと渇望するその思いが、我々アンドロイドを大きく変えることはある」


 無駄な希望は抱くなと言っておきながら、彼女はその希望を俺に提示した。ということはつまり、それは無駄な希望などではなく……。


「『心』というのは機械同士では得ることができないものじゃ。じゃが、今はお主がおる」


 そう言いながら、エヴァは俺の胸のあたりに人差し指を当ててきた。


「本当の『心』を持ったお主がならば、彼女たちに心というものを教えてやれるかもしれぬ」


 希望を抱くなと言っておきながら、本当に希望を抱いているのは彼女なのかもしれない。


「お前さんの頑張り次第では、あの者たちが本物の笑顔を手に入れることもあるかもしれんの……」


 その希望は俺にとって大きな希望だ。そうなればどれだけいいかと、この数日渇望してきた。


 だが目の前の彼女にとっては、俺などとは比べ物にならないほどに大きなものなのかもしれない。千年以上もの間、この世界を見てきた彼女にとっては……。


「可能性があるなら、俺は頑張ってみるよ。エヴァとの約束もあるしな」


 俺とエヴァはお互いに笑みを浮かべながら視線を交わし、太陽が沈む地平線を背にアジトへの帰路を歩いていくのだった。


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