ご褒美

 身体中の痛みを感じて俺はゆっくりと瞼を開く。


 おぼろげな俺の視界に映し出されたのは、視界を覆い隠すほどの双丘。頭は何か柔らかいもので支えられており、とても気持ちがよく、このままもう一度眠りについてしまいそうになる。


 それにしても、俺の視界を覆い尽くすこれはいったい何なのだろうか。


 あまり見覚えの無いものに、俺は思わずそれに手を伸ばして感触を確かめる。プニプニとした柔らかい感触を掌に感じつつ、眠気眼の俺は寝起きのぼうっとした頭でそれが何なのかを考えてみる。


 頭の下には柔らかくスベスベとしたものがあり、視界には柔らかい双丘。


 少しずつ覚醒してくる頭の中に、それら二つの物を並べていくと、じわじわと額が冷や汗に覆われていく。


 俺の考えが確かならば、今俺が行っている行為は相当ヤバい。


 俺は現実逃避をするように瞼を閉じて、再び眠りの世界へと落ちようとする。


 だが、そんなことが許されるはずもなく、すっかり聞き慣れた幼女の声が俺の眠りを妨げる。


「おい、何を二度寝を決め込もうとしとるんじゃ、主は。それとも永眠が希望かの?」


 含みのある声音が俺の耳に襲い掛かる。


 その声は鼓膜を通して背筋を冷たく撫でていき、俺は身震いをせずにはいられなくなる。周りの皆がどんな顔で俺を見ているのかが怖くて、俺は眼を開けることを躊躇いながら、ゆっくりと瞼を開いていく。


 そこにあるのは、やはり大きな双丘と、そして視線の端にうっすらと見える、企み顔をした桃色ツインテールの幼女だった。


 俺は思わず飛び起きて正座をすると、間違いなく俺を膝枕してくれていた女性に、顔を見ることもなく土下座をする。


「すいませんでしたあああああああ。でも、悪気はないんです、寝ぼけていただけなんです」


 俺は怒涛の勢いで謝罪をすると、頭を上げることなく目の前の女性の言葉を待つ。すると、アザミと比べるととても柔らかく、優しげな女性の声が俺の鼓膜を震わせた。


「いえ、そんなにお気になさらないで下さい。何かが減る訳でもありませんし」


 その柔らかい声音に、思わず俺は顔を矢継ぎ早に上げ彼女の顔を凝視する。


 そこにあったのは、母性溢れる優しげな笑みを浮かべた女性の顔だった。アザミと比べれば、これが本当に機械なのかと疑いたくなるほど、感情の色が見える表情を浮かべていた。


「初めまして。私はアキト様のお世話係をすることになりました『サラ・メリエール』と申します。どうぞ、良しなに……」


 彼女は本当に俺の行為など何も気にする様子もなく、とても落ち着いた佇まいでゆっくりと頭を下げて俺に挨拶をしてくれる。


 そんな彼女の姿に呆然と見蕩れていたことに気付いた俺は、慌てて自分も挨拶をする。


「あ、えっと、俺の名前は『五十嵐 亜希斗』です。よ、よろしくお願いします」


 そのお姉さん然とした姿に、思わず敬語になってしまっていた。いや、それよりも先ほどの罪悪感が理由かもしれない。


 自己紹介をしながらも、さっき自分がやってしまった行為を思い出して、俺は一気に赤面する。


 目の前の視界に入るあの豊満な胸を、俺は鷲掴みしてしまった訳で。しかし、彼女も気にしていない、と言っているのだから、これ以上掘り返しても墓穴を掘るだけだ。


「サラは戦闘用アンドロイドではなく、いわゆるメイドロボと言う奴だ。戦う為ではなく、人に奉仕するために作られたアンドロイドじゃ」


 エヴァはやけに丁寧な口調で説明すると、咳払いをしてから再び口を開いた。


「まあ、奉仕と言っても、性的なものでは無いがな」


 腕組みをしてふんぞり返って、弱みは握ったぞと言わんばかりの態度で、俺を見下ろすようにそんなことを口にする。まあ、そう言われても仕方がないことをしたのは事実なのだが……。


 俺は反論することもできずに歯噛みしていると、背後に気配を感じて咄嗟に振り返る。そこにいたのは、すっかり腕が綺麗に戻ったアザミだった。


「大丈夫ですか?最後の蹴りは申し訳ありませんでした。勢いで思わず……」


 どうやらアザミにも悪いと思う所はあるようで、相変わらずの無表情ではあるが、しっかりと頭を下げて謝ってくれる。現実世界ならば、お前謝る気無いだろと言ってしまいそうだが、彼女となれば話は別だろう。


「気にしないでくれ。修行なんだから、そういうことだってあるさ」


 自分がやった行為は棚に上げて、まるで自分に非がなかったかのように振る舞う。どうせ彼女は気になどしていない。彼女には恥ずかしいという感情は存在しないだろうから。


「博士の提案により、今日はこれで終わりにすることになりました。貴方も歩けるのでしたら、今日はアジトに戻りましょう」


「わかったよ。まあ、これ以上やれって言われても、身体がボロボロでたぶん無理だろうけど……」


 俺は少しだけ恥ずかしそうに頭を掻きながら、ちょっとした弱音を吐く。これくらいの弱音は吐いても罰は当たらないだろう。それくらいに今日は頑張ったと思う。


「後さ、今日の訓練をやり遂げたご褒美が欲しいんだけど、いいかな?」


 俺はアザミに向けて一つだけお願いをしてみようと試みる。まあ、こんなことを言えば、茶化す奴が間違いなく一人はいる訳で……。


「なんじゃ?あれだけ、しっかりと握りしめておいて、あれでは足りんとでも言い出すのか?」


 人間らしいエヴァと、人間味に掛けるアザミを横に並べてみると、やはり面倒なのは機械よりも人間だとはっきりと確信する。


「別に構いません。もちろん私に出来ることならば、という条件付ではありますが」


 訓練は俺のために行われていたものだし、正直ダメ元のつもりで聞いてみたのだが、アザミは案外何の弊害もなく受け入れてくれる。


「本当か……。ありがとう」


 俺は驚きと嬉しさが混じりあい、思わずアザミに接近してしまうが、アザミは特にいやがる素振りは見せずに、俺に向かって問い掛けてくれる。


「それで、何がお望みですか?」


 俺は意を決して、ご褒美の内容をアザミに告げる。


「その『貴方』っていうのを止めてくれないか」


 俺の望みがあまりにも小さかったことに驚いているのか、それとも俺の言葉に対する理解に苦しんでいるのか、彼女は少しの間を経てから問い返す。


「では『アキト殿』はいかがですか?」


「いや、もっと無いから……」


「では『アキト』では?」


「呼び捨ては確かに嬉しいんだけど、それは急に距離を詰め過ぎなような……」


「では、『アキトくん』とお呼びしましょうか?」


 そう小首を傾げながら問い掛けられた瞬間、一瞬ではあるが心臓が跳ねた気がした。


「うん、それがいい。そうやって呼んでくれ」


 俺は精一杯の笑顔と共に、アザミに向けて親指を突き出す。


 俺のその笑顔に彼女が答えてくれる訳もなく、少しは期待したけど、これまで程の落胆を覚えることはなかった。


「では、『アキトくん』と呼ばせて頂きますね」


 けれどその瞬間、彼女が一瞬だけ笑顔になったように見えたのは、俺の期待が見せた幻影だったのだろうか……。

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