訓練の幕開け
俺は思いきり地面を蹴って凄まじい速度で加速すると、一気にアザミに接近する。
パワードスーツの補助もあり、というかほぼパワードスーツのお陰で、俺では制御できないほどの速度で加速した。
一瞬その速度に驚きはしたものの、これまでに鍛えられた俺の運動神経が、必死にその速度に追いつこうとする。
『これならば行ける』と俺は独りでに確信していた。俺の身体は人間の反応速度を余裕で越えるほどの加速をしていた。
そんな動きに身体が耐えられるのも、このスーツのお陰なのだろう。
俺は真っ直ぐに手を伸ばし、もはや周囲の視線などは一切無視して、 欲望のままにある一点へと掌を突きだした。
恐らく俺の掌には柔らかい感触があるはずだった。俺の下卑た欲望が満たされているはずだった。これまで運動だけに人生を費やしてきたしょうもない欲望が。
だが、俺に与えられたのは、欲望満たした充足感などではなく、そんな欲望が吹き飛んでしまうほどの激痛だった。
アザミは接近した俺の前腕を平手打ちで叩き落とした。
彼女は脚部強化と聞いていたので脚だけに注意を払っていたのだが、彼女は何の躊躇いもなく掌で俺の腕を叩き落としたのだ。
「いっでええええええええ!!」
俺はあまりの激痛に、彼女の足元であるにも関わらずその場で地面を転げ回る。正直、腕の骨が折れていてもおかしくないほどの痛みだった。
俺をこんな状態にした張本人であるアザミは、俺を見下ろしながら告げる。
「たった一度防がれただけでもう終わりですか?早く立ち上がって下さい」
彼女の言葉に従うように、俺はめまいのする視界で身体をふらつかせながらも、何とか立ち上がる。
けれど彼女のそんな言葉を受け入れることができず、思わず反発するような口調で言い返す。
「あれで防いだだけだってのか?ふざけんなよ!!どう考えたって、攻撃だろうがこんなの。こんなので、訓練なんかになるかよ」
大人気ないというよりも、弱音を吐き散らしているだけの格好悪い男だった。
けれど俺もまだ、色々と飲み込み切れていないままで、感情が未だにグチャグチャと渦巻いているのだ。
「私はただ、あなたの腕を軽く払っただけですよ。脚を使っていれば、その肘から先は既にありませんよ」
俺の背中に電光石火のような勢いで悪寒が駆け抜ける。
自分では見えなくとも、俺の表情が真っ青になっていることがわかる。そんな青白い表情のまま、俺はまだ繋がっている自らの前腕を凝視する。
その瞬間、視界がぐらつき、真っ赤に染まった前腕が地面に落ちている幻想が俺を襲った。俺は思わず口許を抑え、胸から喉に這い上がる吐気を無理矢理に押し戻して嗚咽だけに留める。
背後からエヴァが近づいていることにも気がつかず、俺は嗚咽を抑えるのに必死になっていた。
「人間の常識で考えるでない。主が相手にしようとしているのは、人間ではないのじゃぞ」
エヴァは俺の背中を優しくさすりながら、決して優しくはない口調でそんなことを口にする。
嗚咽を必死に抑えながら、それでもどうしようもない俺のプライドが言い返さずにはいられずに、俺はエヴァの手を振り払って、彼女に喰って掛かっていた。
「いきなり機械の世界で戦えって言われて、そのうえ人間の常識で考えるなって言われたって、理解できる訳ねえだろ」
俺はこんな狂犬のように、ギャンギャンと吠え立てるような人間だっただろうか。
元の世界にいた頃はどれだけ大変な練習でも、黙って必死にこなしていたのではなかったか。
「主がこれから戦う世界は人間の世界ではない。じゃから、今まで持っていた常識は捨ててくれと言っておるのじゃ。そうでなければ、主が死ぬ。それだけは、わしも避けたい」
彼女が本気で心配してくれている、というのは直感で理解できる。俺のことを気に掛けてくれている時の彼女の表情は、他のアンドロイドとはどこかいつもと違う気がするのだ。
自分が独りで空回りしていることに、俺は少しだけ恥ずかしくなって彼女から視線を外す。それでもここで終われるような諦めの良さなど持ち合わせていない俺は、ゆっくりと身体を起こしながら彼女に告げる。
「悪い……。まだ心が落ち着いてないんだ。感情の起伏が自分でも抑えられてないんだと思う」
こんなに弱音を吐くのは、全然いつもの俺なんかじゃない。もっと平常心を保たなければ……。
俺は心を落ち着かせるために深呼吸をすると、パワードスーツが耳の裏辺りまで覆い被せるようになっていることを思い出す。
「なあエヴァ、このスーツがここまで伸びているのって、何か意味があるのか?」
俺は痛みが残った右手で耳裏辺りを抑えながらエヴァに尋ねる。
「本当は訓練の中で、自分で気付いて欲しかったのじゃが……、まあ、そこまで気付いたのなら教えてやらんでもない」
そう勿体ぶりながらエヴァは佇まいを直すと、俺が抑えていた部分と同じ場所を、指でトントンと叩いてみせる。
「このスーツがここまで伸びているのは、ここで脳の電気信号を読み取るためじゃ。そこから主の脳波を読み取り、思考だけでスーツを自らの身体であるかのように動かすことができるのじゃ。色んなところにギミックを用意してあるから、後は自分で見つけてみるがよい」
伝えることは伝え終えたというように、彼女は白衣のポケットに手を突っ込むと、それ以上口を開こうとはしなかった。
「そんな勿体ぶっている暇、今はないだろうが」
生きるか死ぬかの瀬戸際なのだから、そう思うのは当然だ。しかしエヴァは小さく首を左右に振るだけだった。
「時間がないからこそじゃ。他人から教えられて得た知識など、本番では百パーセントの力を発揮することなど出来はせん。だからこそ、その力を自力で見つけ、その上で実戦に活かす必要がある。わかるじゃろ?」
これまでスポーツで散々同じような経験をしてきたからこそ、彼女が言わんとしていることはなんとなくわかる。
他人から与えられた知識というのは、理解した気になっているだけで、ほとんどの場合はその本質を理解できずに、自らのモノとして応用することができない。
俺は少しだけ沈黙を保った後、ゆっくりとエヴァに賛同を告げる。
「わかったよ……。だったら、こうしている時間が勿体ねえ。こうなったら、どんどんいってやる」
俺はアザミに向けて臨戦態勢を取る。まだ右腕は重い痛みが残っている。だが、こんなものを気にしていたら、戦場で生き残ることはまず不可能だろう。
「いつでもどうぞ。私の準備はできています」
相変わらずの無機質な声。しかし、そんな声音を変えてやろうと思っている自分が心のどこかにいる。
ヴィンセントは言っていた。
彼らの感情は戦いの中で生まれると。ならば、俺がアザミを追い詰めることができれば、彼女の感情の仮面を剥ぎ取ることができるかもしれない。
「見てろよ。絶対に剥ぎ取ってやるからな!!」
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