女神との邂逅

 アンドロイドと話すことに疲れた俺は居場所もなく、外の乾いた空気に吹かれながら、エヴァが来るのを待っていた。


 彼女の言葉だけが、唯一違和感なく、パズルのピースのようにピタリと心の隙間を埋めていく。それは彼女が他のアンドロイドとは違うからなのだろうか。


 しかし、彼女もまた千年の時を生きたと言っていた。人間が千年の時を生きられるとは、到底思えない。


「本当に、俺はこれからどうすればいいんだろうな?」


 こういう独り言も人間の特性なのだとヴィンセントが言っていた。


 そんなことを考えたこともなかったが、確かに誰もいないところで言葉を口にするなんて、労力の無駄以外の何物でもない。


 けれど、自分の声だったとしても、感情の色が滲む声というのはどこか安堵を覚えるのだ。


 俺は足元に落ちていた小さな小石を蹴り飛ばす。


 それは宛てもなく地面の凹凸に揺られながら、最後は何もない場所に寂しく留まる。俺はその石の行方をただジっと見つめていた。


 不意に目元に熱を感じて、俺は咄嗟に右腕で瞳を覆う。けれど、そこから流れ出す涙は、俺の意思とは関係なく腕を濡らしていく。


 周囲に人がいないことが、こんなに悲しく寂しいことだとは思いも依らなかった。


 自分は独りでも平気な人間なのだと思っていた。けれど、感情を含んだ言葉が無いことが、自らの心をどうしようもなく不安にさせていく。


 自分のよく知る人間の姿をした物たちはこんなにも沢山いるのに、それなのに感情に触れることができないことが、余計にその痛みを加速させていく。


「こんなことだったら……」


 俺がその言葉の続きを、口から吐き出してしまうことを躊躇っていると、待ち望んでいた声がその続きを代弁する。


「死んだ方がマシじゃった……か?」


 俺は思わず真っ赤に腫らした瞼を気にすることもなく、目の前の声の主を視界に捉える。


 白衣を乾いた風に揺らしながら、その姿には似付かわしくない大人びた表情を浮かべた幼女を。


「エヴァ……」


 俺は覚えたてのその名を、感情たっぷりに込めて、心の中の全てを吐き出すように、重たい吐息と共に呟いた。


「そんなことを、言わんでくれ……。確かにわしの私情も存分に含まれておるが、それでも、その根本は主を救いたいという気持ちからじゃった。時の悪戯と言ってしまえば、そこまでじゃが……」


 その言葉の端々には、俺が過ごしていた現実世界の人間と同じ、寂しさ、哀れみ、慈悲などの感情の色を感じることができる。


 それは彼女が他のアンドロイドとは違うからなのだろうか?それとも、他のアンドロイドにも、彼女の様になれる希望があるのだろうか?


「なら、俺が戦わないって言っても、それを受け入れてくれるのか?」


 彼女が俺を救いたいと思ってくれたのなら……。


「ああ、苦渋の決断ではあるが、それは主の意思なのだから仕方がなかろう。じゃが、戦わぬ者を置いておけるほど、我々にも余裕はない」


 俺はそれ以上何も言葉を紡ぐことができなかった。俺の口は次の言葉を紡ごうと小さく開きはしたものの、そこから言葉が吐き出されることはなかった。


 感情を滲ませる彼女ならば、彼らとは違う優しい答えをくれるのではないかと甘えていた。だが、そこから告げられたのは、彼らと同じ言葉だった。


 唯一違ったのは、彼女には言い辛い言葉を告げる時の重苦しさが感じ取られたことくらいだった。


 俺は脱力するように肩を落とす。


 ここだけが唯一の逃げ場だと思っていた。けれど、俺の逃げ場はどこにもなかった。逃げて殺されるか、戦って殺されるか。俺に残された選択肢はそれだけだった。


「どうせ死ぬなら、逃げるよりも戦ってはみんか?」


 俺の心を読んだように、彼女は優しげにそんな言葉を投げ掛ける。


「それに、わしらは負ける気など欠片も有りはせん。共に戦い、共に生き残ることを選びとってはくれんのか?」


 俺は彼女に視線を合わせることなく、俯いたまま地面に視線を落とし、拳を震えるほど力強く握りしめる。


「今はまだ、主が元いた場所との違和感に押し潰されそうになっておるかもしれん。じゃが、彼らとちゃんと向き合えば、彼らは必ずや答えてくれるはずじゃ」


 ヴィンセントたちとは違う、説得しようという意思の込められた力強い言葉。機械の言葉とは思えない感情が滲む言葉。


 俺は強張った身体を弛緩させると、ゆっくりと顔を上げて彼女と視線を交わす。


「なあ、お前は本当に機械なのか?」


 その問い掛けに、彼女の表情は一切の動揺を見せずに、淡々とした言葉で答える。


「私は、千年以上という長い時間、この世界を見てきた」


 それが答えだと言わんばかりに、彼女はそれ以上の言葉を紡ごうとはしなかった。俺はその言葉を肯定と飲み込み、彼女にもうひとつだけ問い掛ける。


「なら、あいつらだって、いつかはお前と同じように、感情を込めて俺と話してくれるようになるのか?」


 そんな問い掛けを反芻することで、俺は思わず小さな笑みを漏らしそうになっていた。まるで、どこかに戦うための、彼らと共に生き残るための理由を探しているようで。


 俺はいつの間にか、逃げるという選択肢を捨てようとしていた。どうやら、目の前の幼女アンドロイドにしてやられたらしい。


「必ず……、とは約束しかねる。けれど、やつらも生身の人間と触れあうことで、必ず何かしらの反応を見せるはずじゃ。それが、おぬしの望むものになるかはわからんが……」


「ならまだ、可能性は残されている訳だな……」


 俺は地面に視線を落とすと、何かを決心するように力強く拳を握りしめ、再び表情を上げながらエヴァに力強い眼差しを向ける。


「まだ、たった数時間しかここにいないのに、簡単に無理だって決めるのは俺らしくないよな。可能性が少しでもあるなら、俺はもう少し足掻いてやる」


 そう、この数時間で彼らの何がわかるというのだ。


 俺はまだ、彼らとちゃんと向き合っていない。足掻いて足掻いて、それでも駄目だったら、それはそのときに考えればいい。


 ここに残る覚悟は決まった。それでも、もうひとつだけ聞いておかなければならない。それがこの先、俺に何があっても生き残るために足掻く理由になるはずだから。


「俺は、元の世界に戻れるのか?」

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