複雑な気持ち
「付いてこい」
ヴィンセントは一言それだけいうと、部屋の角に備え付けられた簡素な自動扉へ向かって歩き出す。
慰めの言葉など一つもない。端から期待などしていなかったが、それでも今誰かに慰めてもらえたら、どれだけ気持ちが楽だろうかと感じた。
彼らにはわかるはずのないこの気持ちはいったいどこにぶつければいいのだろうか。
俺は黙ったままその後を追い、ヴィンセントと二人で部屋へと入った。
「なんで、感情が無いはずなのに……、あれじゃまるで俺が……」
整理しきれないままに負の感情が次々と込み上げてくる。俺がどれだけ苦しんでいようと、彼らにはそれを気遣う優しさというものはそもそも存在しない。
それがわかっていたとしても、抗わずにはいられないのだ。この胸を締め付けるような痛みを刻む感情に……。
「過去の記憶が、彼らをああさせている。俺たちはあの力で、人間たちがどうなっていったかを鮮明に記憶している。そして、その力を向けられた人間がどう反応していたのかも……」
つまりそれは彼らの恐怖ではなく、彼らが視界に収め記憶として刻まれた人間の恐怖。彼らはその本質を理解しないまま、ただそうするものなのだと、再現したに過ぎない。
そうだと言葉では理解できても、それは彼らの恐怖として俺の目には映ってしまう。俺はこれまで人の恐怖を映し出すものに出会ったことが無いのだから。
「何なんだよ……。戦えって言ったり、力を使うなって言ったり……」
俺は無意識の内に、力強く拳を握りしめていた。意識をすれば痛みを伴うほどに。
「悪いとは思っている。俺たちは、その場での最適解を選びとることしかできない」
ならばあれが、彼らにとっての最適解だったというのか。感情が無いのであればいっそのこと、何も反応しないでほしかった。
そうだったら、俺もこんなに傷つかなくても済んだはずなのに。
「お前たち人間のように、相手の気持ちや感情を理解して言葉や行動を選ぶことはできないのだ。俺たちには気持ちも感情も存在しないのだから……」
俺は不意に彼の視線と自らの視線を交わす。彼の言葉が、まるで人間のように尻すぼみになっていくように感じたから。
けれど、そこには感情の色を一切感じさせない真っ直ぐな瞳がこちらを向いているだけだった。
そんなことに俺は失望を覚えてしまった。彼だけは違うと、彼だけはわかってくれると、どこかでそんな意味のない希望を抱いていたのかもしれない。
「なあ、俺がここを出るって言ったら、お前は素直にここから出してくれるのか?」
頭では理解しているのに、彼らに失望を抱いてしまう自分に失望をした俺からはもう、強気な言葉は出てこない。それが逃げだとわかっていても、逃げることだけが頭の中を埋め尽くしていた。
たった数時間顔を合わせていただけだが、やはり俺とアンドロイドたちとは根本的に何かが違う。
同じ人間の容姿をしているにも関わらず、その根元が違うことに息苦しさを覚えずにはいられない。
このままここにいれば、俺はおかしくなってしまいそうな気がしてならない。そうならないためにも、俺は今すぐにここを出るのが最善なのではないかと思う。
だからこれは決して逃げなどではない。
「別に止めはしない。お前の意思は尊重しよう。だが、ここを出てどうするつもりだ?統一政府の区画に戻れば、次は誰も護ってくれはしない」
俺の口から全てを諦めるような冷たい笑いが漏れ出す。
それが何に向けられたものだったのか、俺にすらわからなかった。
守ってもらわなければ生きていけない自分の無力さか、はたまた最初から自分を利用することしか考えていない彼らのやり方か。
いずれにしろ、俺には選択肢など残されていない。それだけが、嘘偽りのない事実だった。
「ふっ……、俺の意思なんて、端から関係ねえじゃねえか……」
絶望という言葉が俺の頭の中を埋め尽くしていた。
俺の味方など誰もいない。そもそもこの世界の住人ではない俺を味方と思ってくれる者などどこにもいるはずがないのだ。
俺は突如現れた異分子。それが例え誰かに求められ、救世主として現れたとしても、世界は異分子をそう簡単には受け入れてはくれない。
「なあ、俺はどうしたらいいと思う?」
自分でも何をしているのだろうと疑問を覚えずにはいられなかった。
それをアンドロイドの彼に聞いてどうする。彼らが導き出すのは計算結果でしかないのだ。確立と事象から導き出される計算結果。
確かに彼らが導き出す答えは俺が導き出す答えよりも間違いなく正しいのだろう。
けれど、そこに俺が求める答えは決してない。
むしろこの答えを聞けば、俺はもう運命の歯車からは逃げられなくなるような気がして……。
「いや、なんでもない。人の心の在り方を、お前たちに相談するなんて馬鹿げているよな」
これ以上踏み込むのは辞めよう。
俺が自分で考え、抗うことを忘れない為にも。人間に与えられた権利を失わない為にも。
俺はそれ以上何も言わず、自動扉の向こうへと足を踏み出した。
俺の背中を見つめるヴィンセントは言葉を発することも、俺を呼び止めることも無かった。
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