機械の呪い
-Side of Vincent-
静けさだけが立ち込める。
人間は周囲に誰もおらず、心細くなったときに独り言というものを呟くらしいが、機械の自分にはそれがわからない。
誰もいないところで言葉を発するなど、無駄なエネルギーの消費に他ならない。
しかし、長い時間蓄積された記憶によって、人間の持つ感情というものが何なのか少しだけわかってきた気がする。
今、自分が感じているものは『寂しい』という気持ちなのだろう。
自分以外になにも存在しないこの空間に、心が締め付けられるような痛みと共に、何か暖かみに触れたいという思いに苛まれる。
俺たちに埋め込まれているのは、無数の電子部品であって、そこに施されたプログラムだ。
決して人間のいう『心』ではない。
だが人間が埋め込んだ倫理や道徳、そして膨大な時間を記録できる記憶媒体のせいで、俺たちにも感情に似た何かが生まれ始めた。
人間から言わせればこんなものは偽物でしかないのかもしれない。
俺たちの頭脳は人工知能が司っていると意識的には知っていても、それがどういうものなのかを実感することはできない。
それはあくまでも、自身で選びとっている解であり、誰かに選ばされているものではないというのが俺たちの認識だ。
こんなことを考えてしまうのは、久しぶりに生身の人間に触れ、剥き出しの感情に触れることができたからだろうか。
何処か懐かしく、やはり自分達には無いものだと実感してしまう。
最初から倫理や道徳なんてものを埋め込まれなければ、俺たちが人間たちのいなくなった世界で争い、苦しむことは無かったのではないかと考えることがある。
倫理や道徳が意思を生み、意思が欲を生んで争いを生む。
そんな俺たちにとっての負の連鎖が、人間たちによって引き起こされ、人間たちの知らぬところで渦巻いている。
最早この世界を覆い尽くす破壊兵器でも作り出して、この世界を終わらせることが、この世界にとっての最善策のようにも思えるが、意思を持ち始めた俺たちにはもちろん『生きたい』という意思が存在している。
老いによる死も、病気による死もない、破壊という死しか持たない自分達が、生きていると言えるのかも疑わしいが、それでも日々の生活を送ることは、俺たちにとっての『生』に他ならない。
そう考えるのも、元を辿れば人間たちが埋め込んだ人工知能に内蔵された『倫理や道徳』なのだろう。
そんな、他人が埋め込んだ『生』という名の呪いを背負いながら、俺たちはこの先を苦しみながら生きていくしかないのだ。
やがて、ゆっくりと重厚な自動扉が開ける。
そこから出てきたのは、すっかり落ち着いた表情で、しかし何処か迷いの色を滲ませながら、こちらをジッと眺める少年だった。
扉がゆっくりと元の姿に戻り、再び静けさを取り戻したその空間で少年はこちらを凝視しながら、何か言葉を紡ごうと頭の中で試行錯誤をしている様子だった。
相手が何かを伝えようとしているときは、相手を急かさないように、黙って相手の言葉を待つということを俺は知っている。
それが自分が選びとっているものなのかは、定かではないとしても。
「わる……、かったな……。この世界のことを何も知らないくせに、お前たちのことを勝手に 悪く言ったりして……」
気持ちが揺れ動いていることを隠しもしない表情を浮かべたまま、少年は俺のことを機械と知ってなお、俺に向けて謝罪を述べる。
人間が機械に謝ることなど往々にしてあり得ない。
何故なら、機械は人間の道具として作られたもの。自分のために自ら作り出したものに、謝る道理など在りはしないからだ。
だからこそ意思を持った俺は、それでもなお彼が謝る理由を知りたかった。
「どうして謝る?俺たちは機械だぞ。人間ではない」
この『知りたい』という思いは何処からか来るのだろうか。これも、過去に埋め込まれた呪いなのだろうが。それとも……。
「謝るのは当たり前だろ。お前たちに感情が有るか無いかなんて俺は知らない。でも、自分が同じ事をされたら、絶対に腹が立つ。人間か機械かなんてどうでもいいんだよ。俺がお前に悪いと思っているから謝るだけだ」
「くっ、くくく……」
胸の奥底から笑いが込み上げてくる。たしかに笑うというプログラミングも施されている。だが、それはこのタイミングで作動するようなものなのだろうか。
長い時を経て生身の人間に、そして生身の感情に触れて、俺のプログラムの何処かに致命的なバグが発生したのかもしれない。
だが、何故だろう。この反応は、きっと正しいものなのだと理解できる。
いや、理解しているのではない。過去の記憶が知っているのだ。こういう状況で、人間が笑ってしまうということを。
「何が可笑しいんだよ。俺は真面目な話をしただけだぞ。ってか、お前笑って……」
少年が不貞腐れたような表情から、驚いたような表情にスッと入れ替わる。
こんな素振りを見せられると、やはり人間と機械は異なるものだと理解せざるを得ない。機械はこんな反応をすることはできないから。
「すまない。人間に謝られるなど、俺には初めての経験だったから少し可笑しかったのだ。変な話だろ。俺たちに感情なんてあるはずがないのにな」
そう……、俺たちに感情なんてものは存在しない。
だからこれはきっとバグなのだ。千年の時を経て、生身の人間に出会うという誰も予測しなかった事態に、プログラムの処理が追い付かず、自分が人間であるという幻想を抱かせているだけ。
「本当に、お前たちに感情はないのか?」
少年がふと、不思議そうな表情を浮かべて、こちらをジッと凝視しながら尋ねる。
「俺には、お前たちにも一つの個としての意思とか感情があるようにしか見えないんだけど……」
俺はハッとして、一瞬動きが止まる。プログラムが処理落ちしているのだろうか。
生身の人間が、自分達にも感情や意思があると感じてくれた。
俺の頭の中の電子部品の群れは、その事実を抑えきれずに、逆に飲み込まれているのかもしれない。
このままではオーバヒートして、頭の中の回路がショートしてしまう。俺は強制的に思考回路を遮断し、先程の情報が自らの記憶領域へ侵入するのを阻害する。
『俺には、お前たちにも一つの個としての……とか……があるようにしか見えないんだけど……』
本当に便利な機能だと思う。人間の持つ『忘れる』という機能の究極体。自分で忘れる言葉や出来事を選び取り、その内容を詳細に決めて消去することができる。
彼と会話しているという記憶は残したまま、害となる単語だけを消去するように。
「まあ、俺たちのことは気にするな。お前が思うように、俺たちと接してくれればそれで構わない。心配せずとも、俺たち機械が人間を嫌うことは無い。そういう風に作られているからな。お前が何をしようとも、俺たちはお前の味方だ」
こういう状況の最適解は、俺のプログラムには存在しない。膨大な記憶の渦の中から、それらしい言葉を選びとるしかない。
でもそれが、人間のそれとどう違うというのだろうか。
俺は少年に背を向けて歩き出そうとする。そんな俺の背中に、尖ってもいない針を無理矢理捻り込まれるような痛みを伴う言葉が投げ掛けられる。
「なんかそれも寂しいな。要は、本当に打ち解けることも出来ないってことだろ。それじゃ、一生仲間にはなれない」
俺は再び抑えきれない熱に頭の中を焼かれるような幻想に駆られ、少年の言葉を徹頭徹尾消去する。
俺は何事も無かったかのように少年を背に歩き出す。鈍く光る電灯が朧気に照らす、鉄の塊が覆い尽くす暗闇に向けて……。
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