世界の終わり

「もちろんその子供も、急性血中暴血細菌濃度異常症に感染するんじゃよ。そして何の倫理や道徳もない子宮の中の赤子が、少しでも意思を持てばどうなると思う?」


 その先は、もう容易に想像が出来てしまうようで怖かった。そしてそうなれば、人はもう子孫を残すことが出来ずに、滅んでいくのをただただ待つしかない。


「まあ、その顔はわかっておる顔じゃな。そう、意思をもった赤子は、只の興味本意で自分自身や母親を傷つけ、死に至らしめるのじゃ。そうなれば、もう人間に子孫を残すことなど出来はしない。後はただ老いて朽ちていくだけじゃった」


 ようやく話終えた安堵と、久しぶりに過去に触れた哀しみの溜め息が画面越しの彼女の口許から漏れ出す。俺は何も言葉を発することが出来ずに、ギュッと皮膚に爪がめり込むほどに拳を握りしめていた。


「どうじゃ?これで機械が支配する世界の完成じゃ。人々は自然に淘汰され、自然の影響を大きく受けることのない我々だけが残された世界ということじゃ」


 俺はきっとその数年間を小指の先程も理解できていないだろう。


 言葉だけで語られたところで、それを想像することは容易に出来ることではない。それでも、これだけの恐怖感を悪寒として背筋に感じることが出来るのだ。


 それを実際に見てきた彼女たちは、一体どれ程の思いをその胸に秘めているのだろうか。それとも、機械の心では何も感じることはないのだろうか。


「一つだけ質問してもいいか?震災の際、その、急性血中暴血細菌濃度異常症だっけか……。それが発見されるまでの間、次々に人が死んでいったんだよな。もしかして、既に俺もいつ死んでもおかしくない身体になってたりするのか?」


 俺はギュッと胸元を抑えながら、額に汗を滲ませて彼女に問い掛ける。答えによっては、俺はいつ訪れるかもわからない死を、覚悟しなければならないのだ。


「ひとまずその心配はいらん。震災後に彼らを死に至らしめたのは、もちろん急性血中暴血細菌濃度異常症が原因じゃが、それを引き起こしたのは人々の精神力の弱さじゃ」


 精神力の弱さと聞いて俺は心臓が跳ね上がるのを感じる。この世界に来てから何度もこの世界と自分との乖離に苛立ちを覚えていたからだ。


「震災の避難生活のせいでプライベートは失われ、食事も十分に取れず、人々はストレスを着実に積み重ねていった。そして、心が弱いものは、行動に起こさずとも心の中で思ってしまうのじゃよ。もう死んでしまいたいと……」


 それ以上の言葉は最早必要なかった。これまでの話と、今の話を聞けば、自ずと人々がなぜ次々に死んでいったのか、その答えは明白だった。


 自らの、そしてお腹の中の赤子の血液が暴れ出し、自らをそしてその親を傷つけるからこそ、その細菌は『暴血細菌』などと呼ばれたのだろう。


 そうだとすれば、彼女が言うように、今の俺が直ぐにでも、急性血中暴血細菌濃度異常症が原因で死ぬことは無さそうだ。


 だって俺は一度も死んでしまいたいとは思っていないから。死んでしまうとは何度も思ったが、自ら命を断とうなどとは考えたことはなかったから。


「他に質問は?」


「そんなの山程あるに決まってるだろ」


 そう……、これまで彼女が話してくれたのは、あくまでも機械の支配する世界が誕生した経緯だけだ。その後、何がどうして俺がこの世界を救わなければいけないのか、その説明は一切されていない。


「まあ、そうじゃろうな?なら言い方を変えるとしよう。これまでわしが話した中で、他に質問はあるか?」


 まあ、現実世界でもよく『ここまでで質問はありますか?』と聞かれることはあるが、そんな直ぐに質問を思い付けるほど、俺は理解力に長けている方ではない。


「まあ、話してくれたとこまでってんなら、とりあえず、質問はないけど……」


 俺は何処かはぐらかされたような気がして、少し納得いかないような表情を浮かべながら、小さく頷いて見せる。


 すると、まるで写し鏡のように、画面越しの彼女は満足げな表情を浮かべながら、俺と同じように小さく頷いた。まあ、写し鏡とは言ったものの、その表情は正反対のものだったが。


「ならばひとまず休憩としようか」


 その言葉はまるで大学の講義の途中のようで、なんだか懐かしさを感じて少しだけ安堵の気持ちが胸を温めた。


「わしはこれからそちらのアジトに向かうことにするとしよう。直接あって話したいことも沢山あるのでな。それまでの間に、他の奴等とのコミュニケーションを取っておけ。最初の様子だと、色々と勘違いもあったじゃろ」


 まあ、ヴィンセントには色々と酷いことを言ったような気がする。


 この世界のことを何も知らないで、自分の中の不安や怒りを全て彼にぶつけてしまったのだから。それこそ、彼はそんなことは何も気にしていないかもしないが。


「そういえば、名前くらいは教えてくれよ」


 俺はふと、未だに彼女の名を聞いていないことを思い出す。ヴィンセントたちにも名があるように、アンドロイドの彼らにも皆、名前があるはずだ。


「わしの名は『エヴァ・メンシュハイト』。まあ、主の好きなように呼んでくれて構わんよ。主の名も、主の口からは聞いておらんかったな」


「俺の名前は『五十嵐 亜希斗』。正直、あまり期待はしないでほしい。運動には多少自信はあるけど、戦争は別だ」


 俺はそのまま地面の底に沈んでいきそうなほど重たい声音でエヴァに返事をする。


 異世界転生されたときは、込み上げてくる興奮に自分を抑えるのも大変だったが、この世界に足先だけでも突っ込んだ今、来たときと同じような気持ちではいられない。


「期待はせんよ。信頼はさせてもらうがの」


 俺は画面越しの彼女に背中を向けて、吐き捨てるように返事をする。


「勝手にしやがれ」


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