暴血細菌
「では、もう少しだけ昔話をしよう。先程人間が新たな力に目覚めたという話はしたな」
その力が何なのか、気に掛かりながらも聞かなかった俺は声を出すことなく小さく頷く。
「そもそも、急に人間が進化することなどありはせん。変わったのは、この世界そのものじゃった」
目の前の幼女は、その容姿とは不釣り合いなほど大人びた表情を浮かべながら、遠い日を思い出すように天を仰ぐ。
「ある日この世界は予想だにしない巨大な地震に襲われた。建造物は軒並み崩壊し、大地はひび割れ、多くの死者を出した。じゃが、その地震はそれだけに留まらず、さらに大きな傷跡をわしらに残していったのじゃ」
ゆっくりと眼を閉じながら、彼女は痛みに耐えるように歯を噛み締める。その姿は、最早幼女のそれではなかった。
「地震の脅威は過ぎ去り、ようやく復興へと動き出そうとしていた人々に、まるで悪夢から目覚めることを何者かが拒んでいるかのように、原因不明の病気が蔓延したのだ」
彼女の深刻な表情につられて、俺の背筋にも身震いをするような緊張感が走り、無意識の内に喉をならして息を飲んでいた。
「『急性血中暴血細菌濃度異常症』。これは後々付けられた名前じゃったかの。その大地震のせいで、とある細菌が何処からか湧き出してきたのじゃ。その細菌の名は『暴血細菌』と呼ばれるものじゃった」
現実世界では聞いたこともない細菌の名を呼ばれても、それが何を引き起こしたのかは皆目検討もつかなかった。
けれど、それが人間が滅ぶ原因となったのだとしたら。自分の世界でも歴史上で何度も原因不明の感染症が蔓延することはあった。その中には人間を滅ぼしてしまう勢いで蔓延したものもある。
病気が人を滅ぼすということは決して無い話ではないのだ。むしろ、機械が人を滅ぼすよりも、余程可能性のある話だと思う。
俺はただ神妙な表情を浮かべて黙ったまま、彼女の次の言葉を待った。
「多くの人々が謎の死を遂げたのじゃ。突然、意識を失って倒れ、そのまま絶命する者が後を絶たんかった。恐らく人口の三分の一くらいが、その感染症で死んでいった。そして、多くの死者を解剖した結果、内臓や血管が破裂したり切断されていることがわかった。そして、彼らの血中には異常な濃度の暴血細菌が採取された」
俺は思わず胸の辺りを抑えて、凝視してしまう。そんな病気が蔓延した場所に、生身で入ってきた自分は大丈夫なのかと。
「結果論を言っておこう。暴血細菌は血液を操ることが出来る細菌じゃったのじゃ。暴血細菌を異常に接種した人間は、自らの血液を硬質化や形状変化など、自分の身体の一部のように扱うことが出来るようになるのじゃ。しかし、震災後の彼等はそんな事は一切知らず、無意識の内に自らの内臓や血管を傷つけ、死に至ってしまったのじゃ」
そこまで説明されてようやく、彼女が最初に語っていた、人間が手に入れた新たな力というものが何だったのかを理解することができた。
そんな俺のハッとした表情に、画面越しの彼女も小さな笑みを浮かべながら話を続ける。
「そう。それこそが、人々が得た新たな力じゃった。結局どういう原理かは解明出来んかったが、暴血細菌を接種した血液は地上のどんな鉱物よりも硬くなることがわかったのじゃ。最早我々アンドロイドなど、戦闘力としては何の役にも立たなくなってしまった」
そして、俺はあることに気付く。なぜ俺がこの世界に呼ばれたのか。どうしてこんな未来の世界に、どう考えても足手まといになる自分が異世界転生されたのか。
「まさか……」
「そう、そのまさかじゃ。主をここに呼んだのは他でもない。この機械が支配する世界において、その身に紅き血を宿す主は、最強の戦力になるということじゃよ。主にはその血液で、この世界を、いや、彼らを救ってほしい」
彼女が言いたいことはわかる。
だが、この世界に転生されて間もない俺に、急にこの世界を救ってほしいと言われても、そもそも何から何を救えばいいのか、何も理解できていないのだ。
そもそも今目の前にいる彼女や、一応は俺を助けてくれた彼らが、本当にこの世界にとって正しい行いをしている者たちなのかどうか、それすらもわからないのだ。
「待て。世界を救うとかそういう話は後だ。それよりも、最終的にどうして人間が滅んだのか、まずはそれを教えてくれ」
なんとなく全てを話した気になっていた彼女は、虚をつかれたような反応をしながら、椅子に深く座り直して、体勢を整えると再び話を続け始める。
「そうじゃったな。震災の犠牲者が約三分の一、その後欲に溺れた人間たちの戦争による犠牲者がさらに三分の一、そして最後の三分の一は子孫を残すことが出来ずに、老いて死んでいったんじゃよ」
俺はいつの間にか、彼女が話すことに驚きを感じなくなってしまっていた。彼女が話す非現実的な話も、そんなことも有るのかもしれないくらいに思うようになってしまっていた。
「急性血中暴血細菌濃度異常症になった女性が子を孕んだら、どうなると思う?」
その答えが恐ろしいものであることを容易に想像できた俺は、言葉を発することができずに息を飲んでその答えを待ち続けた。
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