壁を越えろ

 俺はその爆風に飛ばされそうになったところを、前にいた少女に抱き止められる。


「あ、ありがと……」


 お礼は言ってみたものの、どうして彼女がこの爆風の中、何事もなかったかのように平然と立ち尽くしていれたのかは疑問だった。


 これも、未来の技術が為せる業なのだろうか。


 それにしても、警備兵も警備兵だ。


 どうして人間が爆発したのだ。もしかして、背中に背負っていたバックパックが誘爆して、身体もろとも消し飛んだのだろうか。


「アザミ、早くその少年を抱えて逃げろ。今の爆発で間違いなく増援が来るだろう。それでも君の脚なら戦わずに逃げられるだろ?彼を護りながら戦うなんて器用なこと私にはできない」


 キザったらしい青年が、少女に逃げるように命令する。どうやら上下関係は、あの青年の方が上のようだ。


 彼女は俺を抱き抱えたまま、踵を返してこの場を離れようとする。


 その時、俺はあることを思い出し、慌てながら彼女に伝える。


「さっきまで、警備兵は二人いたんだ。どっかから狙っているかも」


 俺の慌てた様子に彼女が咄嗟に辺りを見回そうとしたその瞬間、付近のビルの三階辺りが突然爆発した。


 危険を察知した俺たちは揃ってその場所に視線を向ける。すると、爆煙の中からこの世界にきてから出会ったどの人間よりも巨大な男が現れた。


「おい、お前たち。作戦を完遂するまで気を抜くんじゃない。特にアザミは見てたんだから、二人いたことを知っていただろうが」


 そう言いながら歩み寄ってくる巨体の男の右腕は、まるで義手として改造されたような、巨大な砲身が取り付けられていた。


 その砲口からは硝煙が漏れ、先程の爆発がその腕から放たれた砲弾であったことは想像に難くない。


 俺がその砲身を眺めていたことに気がついたのか、男は自らの視線も砲身に向けながら、無表情で俺に告げる。


「こんな物騒なもん見るのは初めてか?まあ今は色々と我慢してくれ。とにかく生きてこの場を逃げるのが最優先だ」


 そう言うと、砲身は身体の中に吸い込まれるようにその身を短く縮め、そこに金属製の腕が構築されていき、最後は人と同じような皮膚に金属が覆われていく。


 そして、人間の腕と何も変わらない腕がそこに構築されていた。


 男は掌を閉じたり開いたりしながら感覚を確かめている。どうやら神経も通っているらしい。


 俺は砲身が腕に変わっていく様を、驚愕の表情を浮かべながら見入っていた。流石未来の技術といったところか、出てくるもの全てが規格外過ぎる。


「アザミ。俺たちのことはいいから、お前は真っ先にこの区を抜けろ。十三区を抜けたら八区のアジトへ向かえ。俺たちもそこへ向かう。増援は俺たちが食い止める」


 そうだ、これで終わりではないのだ。


 ここにいた二人は倒すことができたが、先程青年が言っていたように、この騒ぎを聞き付けて増援が必ずくる。


 そこまで考えて、俺はとあることに気が付いて一気に血の気が引くのを感じる。


 『倒す』なんて柔らかい表現に勝手に脳内変換されていたが、要は目の前で行われたのは人殺しではないのか。


 あまりにも非現実な光景に感覚が麻痺していたが、俺は人が死ぬところを目の当たりにしてしまったのだ。


 ここにいるのは、そんな人殺しを何の躊躇いもなく行える者たちなのだ。


 今自分の目の前で起きているのは戦争なのではないだろうか。


 本当に、この者たちに付いて行ってもいいのだろうか。


 様々な思考が脳裏を過るが、識別番号のない自分がここに残ったところで殺されるだけなのだ。ならば、少しでも生存確率が高い彼らを信じるしか、自分に残された道はない。


 だが、こちらの考えなど微塵も意に介さず、状況は刻一刻と変化していく。


『パターンレッド、パターンレッド。戦闘行為が行われています。住民の方々は直ちに屋内へと待避し、施錠を徹底して下さい。繰り返します。戦闘行為が行われています。住民の方々は直ちに屋内へと待避し、施錠を徹底して下さい』


 先程までとは比べ物にならないほどけたたましいサイレンが鳴り響き、回転灯の速度も扇風機でも回しているかのような速度で、赤い光を辺りに撒き散らす。


 同じ赤でも伝わってくる緊張感が格段に違っている。


「向こうも動き出した。アザミ、急げっ!!」


 巨体の男の表情にも多少の焦りが見えるような気がする。


 戦い馴れていそうな彼らが緊張感を滲ませるということは、それだけ今の状況が不味いということだ。彼女も俺を抱えたまま、巨体の男の言葉に頷く。


「わかりました。では、御武運を」


 言葉と共に彼女が脚を一歩踏み出し地面を力強く蹴った瞬間、俺は頬の肉が引きちぎられるような痛みに襲われる。


 地面を蹴った彼女は自動車に劣らないほどの速度を生身で出したのだ。


 そのせいで、慣性でその場に残ろうとする力が俺の頬を引きちぎれんばかりに引っ張っていった。


 俺は咄嗟にその場に残った男二人に視線を向けるが、既に小さく見える程の距離まで離れていた。


 流れていく景色はあまりにも早すぎるため、まるで水の中の景色のように、流れていくビルの群れが揺らめいていた。


 言葉を話そうものなら、口から顔面が真っ二つに避けてしまうのではないかと思えるほどだった。


 俺が捕まりそうになった巨大な二本の柱の間を、分厚い鋼鉄の壁が競り上がっていく。


 先程彼らが話していた区というのが、この壁で区切られた地域のことを指しているだろう。


 つまり、この壁が越えられなければ、俺たちは袋のネズミとなるわけだ。


 だが、既に鋼鉄の壁は人間の脚力で飛び越えられる高さを優に越えていた。それでも彼女は速度を落とすこと無く壁へと突撃していく。


 そして壁との距離が残り数メートルとなり、このままの速度で行けば一瞬でぶつかると俺が恐怖に怯えて目を瞑ると、彼女は地面が割れるほどの脚力で地面を蹴り、宙へと翔び上がったのだ。


「嘘だろおおおおお!!」


 まさか生身で空を翔ぶ日が来るとは思わなかった。


 たった一度脚を踏み込んだだけで、数十メートルという高さを翔んでしまう少女を、回りに見たこともない機械仕掛けの街並みが拡がっているにも関わらず、俺はジッと見つめていた。


 俺の目には、彼女がまるで正義のヒーローのように映っていた。


 この世界では、こんな少女が当たり前のようにいるのだろうか。


 この世界が未来なのだとしたら、俺たちはいずれこんな人間になることが出来るのだろうか。


 俺が彼女の姿に見とれていると、彼女は鋼鉄の壁を足場に次の区へと脚を踏み入れた。そして、俺は彼女からとある事実を告げられる。


「落ちますよ」


「へっ?」


 本日何度目かの呆けた返事をした俺は、不意に足元へと視線を落とす。そこにはやけに小さく見える人々が、俺たちを見上げていた。


「もしかして…………」


 その時の俺の悲鳴はきっとこれまで野球で声を出してきた賜物だったと思う。

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