避難勧告
突然の周囲の様子の変化についていけずに、俺は狼狽しながら周囲を見回す。どこの世界でも、赤が危険を示す色というのは変わらないはずだ。
あれだけ平和に流れていた時間が一変し、壮絶な戦場へと変わり果てる光景を想像してしまう程、荒々しい音と色が街の隙間を駆け巡る。
俺は慌てて周囲に視線を巡らせる。
慌てていたせいで、目に映る情報のどれだけを整理できたのかもわからない。それでも、確かなことが一つだけあった。
辺り周辺の人間たちの視線の全てがこちらに向けられているのだ。
この状況を理解し難い俺は、何度か周囲を見回すが結果は変わらない。
「このサイレンの原因って、俺、なのか……」
まさか予想だにしていなかった。
異世界転生されて、まだこの街のことを何も知らない内に、いきなりこの世界の敵認定をされるなど、誰が予想するだろうか。
そうだ、これはあれだ……。負けイベントってやつだ。一度拘束はされてしまうものの、実は皆良い奴で、仲間として戦うとかいうあれだ。
俺が皆の視線を受けながら、現実逃避の思考を巡らせていると、やがて、ビルを走る赤い光の線が増殖し、再び何処からか機械音声が鳴り響く。
『一定時間認証番号を提示されない場合、如何なる理由も省みず、排除活動へと移行します。繰り返します。一定時間認証番号を提示されない場合、如何なる理由も省みず、排除活動へと移行します』
冷たく感じるほどに感情の込められていない機械的な音声が背筋を舐める様に這い、この言葉に嘘偽りがないのだと俺の心に釘を刺す。
「おいおい……。いくらなんでもハードモード過ぎるだろ。あの似非女神、なんて世界に飛ばしやがったんだ」
ここを動かないのが一番危険だと自らの脳が警鐘を鳴らしている。
スポーツをしていると、嫌でも危機察知能力というものが身に付くのだ。
俺がこの場を離れようと一歩前へ脚を踏み出した瞬間、これまでのサイレンのけたたましい音に混じりながら、空気を切るような異質な音が耳をつんざく。
そんな音をかき鳴らして俺の目の前に現れたのは空飛ぶ人間だった。
他の人間たちとは明らかに異なる分厚い宇宙服のような衣服を身に纏いながら、その背中にはバックパックが装着されており、そこにあるブースターの推進力で浮いているようだった。
だが、そんなことを考えている場合ではない。
もっとヤバイものが、彼らの右手には握られていた。黒く塗りつぶされた金属の塊。俺に向けられた奈落の底からは死を運ぶ臭いが漏れ出していた。
「最後の警告だ。認証番号を提示しろ。さもなくば、如何なる理由に関わらず、お前を排除する。これは脅しではない。繰り返す。認証番号を提示しろ。さもなくば、如何なる理由に関わらず、お前を排除する」
肉声を向けられて先程の機械的な警告がさらに現実味を増す。
俺はここで殺される。異世界転生をしてたったの数時間で死ぬ主人公など、俺の知る物語には存在しない。
「これが、現実ってやつか……。実際に異世界転生したところで、あんなに上手く立ち回れる奴はいないってか……」
俺はブツブツと独り言を呟きながら相手の動きを待つ。
彼らは恐らく警察のようなものなのだろう。飛翔する二人の男が躊躇なくこちらに銃口を向けるが、それに対して誰も言及することはない。
むしろ、俺を奇異の目で見る者たちがほとんどだ。
こちらにも交渉の余地を与えるつもりなのか、直ぐにその銃口が火を吹くことはなかった。
けれど逃がすつもりは全く無いと言うように、銃口を下ろす気配は微塵もない。
仕方なく俺は両手を挙げて戦闘の意思がないことを示し、交渉を持ちかける。そもそも両手を上げるという行為が、この世界で通じるかは不明だが。
「済まないが、俺は認証番号なんてものを知らない。そもそもこの世界がどういう場所なのかも知らないんだ」
知らないで許されるのなら、それこそ目の前の彼らは必要ないだろう。それでも、こちらにはあまりにも手札が無さ過ぎるため、素直に現状を話す他無いのだ。
「認証番号を知らないだと。そんなはずがあるか。認証番号がなければこの国に足を踏み入れることすら許されないはずだ。貴様がテロリスト共でない限り、認証番号がわからないなどと言うはずがない。認証番号は提示できないのだな?」
そんなことを言われても無いものはどうすることもできない。
俺は歯を噛み締めながら、浮遊する彼らをただただ眺め続けた。
こちらの沈黙を肯定ととったのか、浮遊する二人は周囲の住民に避難勧告をし始める。
「これより、識別不能者を排除する。周囲の方々は直ちに屋内へ避難し、施錠を徹底して下さい。繰り返します。これより排除活動へ移行します。周囲の方々は直ちに屋内へ避難し、施錠を徹底して下さい」
周囲の民間人がまるで流れ作業のように避難を始める。こういう時は普通、阿鼻叫喚に包まれるものかと思っていたが、この世界ではそうはならないようだ。
まるで避難訓練を日頃から練習しているかのように迅速な避難が始まる。
周囲の人間が避難を完了してしまえば俺に逃げ道はない。
逃げ出すとすれば今をおいて他にないだろう。民間人に被害を加えることを警察がするはずがない。避難勧告をしているのだから、その常識はこちらでも通用するはずだ。
そう思った俺は咄嗟に踵を返して走り出す。
とにかく人の波に紛れて、奴等が入れそうにない屋内やビルの隙間を駆け巡るしか生き残る道はない。
「何なんだよ、この世界の秩序ってやつは!!何の理由も聞かずに殺すのが、この世界の常識なのかよ」
愚痴を溢さずにはいられない。生死を彷徨っているにも関わらず、怒りが心の奥底から込み上げてくる。辺りが赤く染まっているので、気持ちが余計に興奮しているのかもしれない。
「待てっ!!」
カチッという引き金を引いた音と共に、俺に向けられた銃口が火を吹いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます