赤色の警告
「大丈夫ですか?こんな道端で倒れているなんて、どこか故障したのですか?」
まだ似非女神への怒りが消えないまま急に話しかけられたために、一瞬鋭い視線を向けてしまったが、この人に罪はないと思い直し、なんとか自制心を働かせて平静を装う。
「いえ、何でもないので気にしないで下さい。ちょっと転んだだけなんで」
そう言うと、声を掛けてくれた少しやせ型の中年の男性は、酷く不思議そうな表情をしながら俺のことを眺めてくる。
「転んだだって……?不思議なこともあるんですね」
そう言いながら、特に笑う訳でもなく俺の元を去っていった。
転んだことが不思議なことってどういうことだ?
彼の言ったことはよくわからないが、自分がいた世界とは違う場所なのだから、転ばない技術が完成していてもおかしくはないのかもしれない。
それにしても、落ち着いて男性との話を改めて思い返してみると、違和感がある会話だったことに気が付く。
だいたい故障したのですか?なんて人に対して尋ねる言葉では無いような気がするが。俺が言うのも何だが、この世界の常識は俺がいた世界とは酷くズレているのかもしれない?
「あっ……、そういえば……」
普通に言葉は通じるんだな、と改めてこういう異世界転生のご都合主義を実感する。
こういうのは大概、勝手に翻訳されているようなものだと俺は認識しているので、おそらくは、その変換に齟齬が出て『故障』なんて言葉が突然出てきたのだろうと自分の中で飲み込むことにする。
まあ、異世界の常識を悪く言っても仕方がない。その辺は自分が異端者であるのだから、こちら側の常識に合わせるしかないだろう。
「ひとまず言葉は普通に通じることも確認できたし、ここでこうやって自分だけで考えていても仕方がない。少しは辺りを見回ってみるか」
俺は取り敢えず立ち上がってもう一度辺りを見回す。
それにしても、近未来を絵に描いたような世界だ。
ビルが所狭しと立ち並び、空に張り巡らされた透明な道を、空を飛ぶように乗り物が闊歩している。皆決められたように同じ衣服に身を包んでおり、争いなど興味が無いといったような平和そうな表情をしている。
「ここのどこに救う余地があるって言うんだよ。もう皆充分に幸せそうじゃねえか」
俺は辺りを見回しながら、周辺を歩いてみることにする。
ここなら何か戦いになったりすることは無さそうだし、まずはその世界がどういう場所であるかを知らなければ。
それにしても、なかなか楽しそうな世界ではある。戦わなくて済むと言うのなら、こういう世界に迷い混んだのも悪くはない。
現代の日本にも立ち並ぶ四角い形のものあれば、円柱のような丸いビルや、三角錐の細長いピラミッドのようなビルもある。
だが、一戸建ての家のような建物は見渡す限り存在しない。建ち並ぶもの全てが背の高いビルで、人口密度の高さを彷彿とさせる。
今俺が歩いているのは側道なのだが、道路の中心部はベルトコンベアのような自動道路がずっと先まで延びている。
「こんな楽な生活してたら、みんな太りそうなもんだけどな」
そう呟きたくなるのも仕方がない。通りすぎる者は皆、中肉中背の何の個性もない身体つきをしている。肥満もいなければ病弱そうな華奢な身体つきも存在しない。
「やっぱり、この世界は健康管理も完璧にされてたりするのか?」
それでも個性を見つけようと思えばそれなりに違いはあるのだ。もちろん表情はそれぞれ異なるし、身長もある程度差はある。女性に限れば、胸の大きさなんかも人それぞれだ。
それにしても、ラバースーツのような衣服に身を包んでいるため、女性の胸に関しては現代よりも強調されていて、人によっては非常に眼を惹き付けられる。
胸の大きい女性が横を通れば、思春期の俺は息を呑まずにはいられない。自分も同じような衣服に身を包んでいるので、下半身も気になって仕方がない。
俺は深呼吸をして、高まった鼓動を落ち着かせながら頭の中を整理する。
情報を集めるには中心街に行くのが常套だろう。どこの時代でも世界でも、情報が集まる場所が中心部なのは変わらないはずだ。
俺は通りすぎる人々の中から、なるべく穏やかそうで話を聞いてくれそうな人を選びながら声を掛ける。
「すみません。ここの中心街って、どうやって行けばいいですか?」
なるべく気さくな態度を取りながら、下手な作り笑いを浮かべる。
別に何の他意もないけれど、周囲に何人かいたにも関わらず、少し距離のある場所にいた綺麗な顔つきの女性に訪ねてみた。
しかし、その女性はこの前の男性と同じように特に表情を変えることもなく、自らの側頭部を指でツンツン指しながらこう言った。
「そんなのここに聞けばわかるでしょ。そんなこともできない欠陥品なんて、この街にはいないと思うけど」
そんな失礼極まりない言動に俺が唖然としながら固まっていると、俺には全く興味が無いと言うようにどこかへと去って行ってしまった。
いくらなんでも欠陥品は失礼過ぎやしないか。いや、また翻訳ミスかもしれないけど。
確かに俺は頭が良い方ではない。けれど、そこまで言われる覚えはないし、そもそもあの人は俺の学力なんて知らないはずだ。どれだけ綺麗なお姉さんだからといって、こちらの沸点もそこまで高くはない。
沸点を迎える寸前でなんとか踏みとどまった俺は、自分が改めてこの世界では異質なのだということを思い知る。
落ち着いて考えれば、相手が失礼なのではなく、俺だけがこの世界の常識に染まっていないだけなのかもしれない。
この世界の人間はきっと、俺よりもずっと進化しているのだ。
転ぶなど在り得ない行為で、地図は全て頭の中に入っている。もしかすると、某検索サイトが常に頭の中に入っているのかもしれない。そう考えると、自然と怒りも収まっていく。
「あの似非女神、絶対に間違えただろ。あんまり出来が良さそうな女神じゃなかったからな。早く出て来て、間違えたからもう一回飛ばし直しますって言いに来てくれよ」
そんなことを言いながら、門のように立ちはだかる二本の巨大な柱の間を通ろうとしたその瞬間、突如として事件は起こった。
『識別番号取得不可。識別番号取得不可。直ちに所属を明らかにし、識別番号を提示して下さい。繰り返します。識別番号取得不可。識別番号取得不可。直ちに所属を明らかにし、識別番号を提示して下さい』
突然辺り一面が赤い光で包まれ、けたたましいサイレンが鳴り響き始める。
周囲のビルの側面には、赤い光のラインが何本も浮かび上がり、柱の上では赤い光が鳥籠の中を逃げ惑うように回転し続けている。
「な、なんだ?一体何が起こって……」
いくら常識が違うといえど、これだけはわかる。
俺は今、危険な状態に陥っていると……。
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