女神降臨

「目覚めなさい、迷える子羊よ」


 そんな慈悲深いお言葉とは裏腹に、まるでアニメ声のような高くて幼げのある声が耳を撫でていく。鼓膜が震えるその感覚に懐かしさすら感じる。


 光の先に視線を向けると、そこには白い衣を身に纏った美少女がいた。桃色の髪は少し低い位置で左右に結わえられており、顔は幼さを残した少しだけふっくらとした頬に大きな瞳。


 まるで、二次元の美少女を体現したような姿がそこにはあった。というか幼女である。


 しかしこのときの俺は、身なりがどう考えてもおかしいことに、あまりの安堵から気付くことができなかった。


 自分以外の誰かがいたというあまりの嬉しさに、その美少女を女神でも見るような恍惚とした視線を送りながら見つめていると、少女は少し苦い顔をしながらこちらへと歩み寄る。


「何をそんなに呆けた顔でこっちを眺めとるんじゃ。そんなに寂しかったのか?」


 美少女の割に、話し方は以外とおっさんみたいだな、という失礼な感想を抱きながら、膝をついて涙目で少女を見つめていた。


 そんな少女は俺の目の前まで辿り着くと、腕を組んで見下ろすような位置を陣取る。


「君は、何者なんだ?」


 感情をようやく抑えることに成功した俺は、ひとつの疑問を投げ掛ける。


 少女はなんだか偉そうな笑みを浮かべると、少しもったいなさげに間を置いてから、ようやくその可愛らしい小さな口を開いた。


「わしは女神じゃ!!死んでしまった主を、別の世界へと送り込むためにここへ来たのじゃ」


 それにしてもこの話し方だと、女神の威厳みたいなのが欠片もないな。本当に女神らしかった登場シーンは一体……?


「そのしゃべり方で女神って、なんか俺の女神像がぶち壊しなんだけど……」


 と思ったら口に出してしまっていた。


「主の女神像がどんなものかは知らんが、偶像は所詮偶像ということじゃよ。現実を知れ」


 どうやら向こうのお気に召さなかったようで、少し不貞腐れたような態度を取られた。というか幼女に現実を諭されるとは……。


 などと次は口にでないように気を付けて考えを巡らせていると、俺はあることに気付いた。


 死後の世界に女神……。まさか、これは……。夢にまでみた、あの展開では無いのか……。


「もしかして、異世界転生か!!そうなのか」


 このときの俺はいったいどれだけ目を輝かせていたのだろうか。だって、嬉しかったんだから仕方がないじゃないですか……。


「あれって本当に起こるもんなのか?ただの妄想の産物じゃなかったのか?」


 そんな感じで突然興奮し始めた俺を、少女は少し引き気味な表情で眺めながら、面倒臭そうに応える。


「ああ、それそれ。異世界転生じゃったか?そんな感じじゃ……」


 あまりにも投げやりな態度に、少しだけ心が痛む。そういうものを知っている者からすれば、これほどに盛り上がる展開はないのだ。


 俺がそんな少女の態度に少しだけ腹を立てていると、瞳を俺から横に流しながら少女がボソッと小言を漏らす。


「もっと立ち直れなくなるまで放っておいた方がよかったかの?どうにもこういうのは面倒で嫌いじゃ」


 放っておいた方が……、それを耳にしてしまった俺は、もう口を出さずにはいられない。まさか、あの状態の俺を、あろうことかどこかで眺めていたとでもいうのか?


「君、どこから見てたの?」


 立ち上がった俺は何とか怒りを笑顔の裏に隠しつつ、頬のあたりをピクピクさせながら少女に尋問の態勢を取る。


 少女は『しまった』と言わんばかりの苦い表情を浮かべると、気まずそうに人差し指で頬を掻きながら、貼り付けたような笑みを浮かべて応えた。


「えっと……、主が目覚めて辺りをうろうろとしていた辺りから……」


「って、最初っからじゃねーか!!」


 もう突っ込まずにはいられなかった。たぶん、食い気味で突っ込んでいたと思う。女神のようなとか言っていたけど撤回だ。この女ただの無慈悲で非道な人でなしだ。


「しょーがないじゃろ、面白かったんじゃから」


「なんもしょーがなくねーよ!!こっちは心細くて、そのまま死んじまうかと思ったんだぞ!!」


 寂しさのあまり幼女に泣きつく大学生って客観的にみたら酷い絵面だが、この時の俺は客観的に自分をみる余裕など欠片もありはしなかった。


「主はうさぎか!!寂しくて死ぬ人間など、聞いたこともないわ。だいたい、この世界では死という概念など存在せぬわ」


 その言葉に時が止まったかのように俺と少女が向き合う。


 勢いよく突っ込んでいた俺も、この言葉には一呼吸置かずにはいられなかった。


「死の概念が存在しないって、どういうことだよ?」


 少女は俺が多少落ち着きを取り戻したことを確認すると、背を向けて少しだけ離れていく。


「死というのは肉体があって始めて成立する概念じゃ。けれど、今の主にはその肉体がない」


 そんなことを言われて俺は慌てて自分の身体を確認するが、そこにあるのはこれまで二十年以上を共にしてきた四肢だ。


「肉体が無いって?なら、ここにある俺の身体は一体何なんだよ?」


 彼女は首だけをこちらに向けて応える。


「それは主の記憶が魅せている幻じゃ。わしには主の姿など見えておらん。ただ、ふわふわと飛び交う光の球が見えているだけじゃ」


「………………」


 一時の沈黙の時間が流れ……。


「ええええええええぇぇぇぇぇぇぇっっっっ!!」


 俺の叫び声だけが、『無』の世界にこだました。

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