無への目覚め
「……っつう…………」
俺は頭を抑えながら目を覚ます。布で覆われた金属の塊に頭を打ち抜かれた記憶から頭を抑えてみたのだが、どうにも痛みを感じることはない。
あれはやはり夢だったのかと思いつつも、ふと周りを見渡すとそこは真っ暗で何もない、所謂『無』の世界だった。
「はっ…………?」
あまりの衝撃に突っ込みどころかリアクションを取ることすらできなかった。
「俺はさっきまでマウンドの上に立っていたよな……。なんだこれ?夢か?」
というかこれが夢じゃなければなんだというのだ。こんな『無』の世界がこの世にあってたまるか。怖すぎるわ……。
一先ず、恐る恐る周りに手を伸ばしながら何かないものかと確認してみるが、何度手を伸ばしてみても、空を掴むだけで何も得ることはできない。
夢というにはあまりにも意識がはっきりとしすぎている。けれど、この現状を現実と言うにはあまりにも現実味がなさすぎる。
「もしかして、俺死んだのか……」
色々と思考を巡らせれば巡らせるほど、そういう結論に至ってしまう。
こんな無の世界は現実には在りえなく、これだけ意識がはっきりしているいうことはこれは夢ではない。だというのなら、これが死んだ先にある世界だというのだろうか?
野球は十分に楽しんだし、これからは野球以外のことに取り組みながら楽しく人生を謳歌していこうと思っていた矢先に、まるで野球が離れることを許さないように、俺の命は奪われてしまった。
「ふっざけんなよ。残りの大学生活は、色々と趣味に没頭したりしながら、合コンしたりして彼女を作って、それなりの企業に就職して、楽しく過ぎていくはずの俺の人生計画がああぁぁ……」
俺は頭を抱えながら、悲鳴にも似た叫び声を上げる。こんなところで終わるなんてあんまりではないか……。
まだ彼女の一人も作ったことがないのに、まるでヤンデレ彼女の『野球ちゃん』を振ったら、そのまま鈍器で頭を殴られて死んでしまった、みたいなヤンデレ死亡ルート。
「まだ終わってないゲームとか、続きが気になるマンガとかいっぱいあったっていうのによぉ」
俺は野球をする傍ら、野球を忘れたいときや休日のゆっくりしたいときには、そう言った娯楽に興じていた。
そんな訳で、まだ確定した訳ではないが、恐らく俺はこんな未練タラタラのまま死んでしまったらしい。いずれはマウンドの上に化けて出てやらねばならない。
「それにしても、死んだら地獄か天国があるんじゃなかったのか……。なんだここは……?」
独り言だとわかっていても、声を発していなければ心細くて仕方がない。自分でも無意識の内に声量が大きくなっている気がする。
俺は仕方なく一歩踏み出し、辺りを探索することにする。ここで留まっていたところで、事態が好転することは無さそうだし……。
しかしもしかすると、この状況がこれから無限に続いていくのかもしれない。そう考えると、あまりの寒気に身震いすら感じる。
一歩を踏み出すが、自らの足音すら聞こえない。波すら感じられない無の世界。
もしかすると、声も実は出ていないのかもしれない。生前の記憶がこうすればこういう音が聞こえると、勝手に認識しているだけなのかもしれない。
本当に何もない『無』の世界。温度を感じることも、音を聞くこともできない。歩けば歩くほど、自分が独りしかいないという事実を突きつけられているようで、心細さが増していく。
「おい……、誰かいないのか……。いるなら返事してくれ……。だれかぁ……」
今にも泣き出しそうな気弱な声を漏らしながら歩みを進める。
だが、歩くほどに自分がやっていることの無意味さを思い知り、その歩幅が着実に狭まっていく。
「頼むよ……、誰かいるんだろ。お願いだ、返事をしてくれ……」
孤独というのがこんなにも苦しいものだとは思わなかった。普段から野球をしない時は、家に引き籠って独りの時間を謳歌していたから、孤独はむしろ好きな方だと思っていたが、『無』の中の孤独はあまりにも苦し過ぎた。
涙は出るのに目頭に熱を感じない。涙を拭ってみても温度は感じず、ただそこに流体が存在するということしか感じることはできなかった。
もう心が押し潰されそうになり、全てを投げ出してしまおうかと諦めかけたその時、俺の前に一筋の光が差した。
その光には、まるで無の世界から自分を引きずり出してくれたような暖かさがある。
俺はその一筋の希望に向けて、すがりつくように掌を伸ばす。その光が差しこむ先に、人の形をしたシルエットが浮かび上がり、どこからともなく声が響き渡る。
「目覚めなさい、迷える子羊よ」
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