第9話(4/4)

「……あーもうムカつく」


 途端に吉澤に対する腹立たしさが増してきた。


「ムカつくのはこっちのセリフなんだけど。……ってか何お前、ヒナちゃんのこと好きなの?」

「あぁそうだよ」

 一度神楽坂先輩のことに納得が行ってしまうと、そう認めることは容易かった。


 どれだけあざとくても、計算の上だと知っていても、俺は練習に過ぎなくても、好きになってしまう。それだけ姫宮雛という人間は可愛かった。


 由優に似ているから親しく出来ると誤魔化していたが、単純に彼女に惹かれていただけだったんだ。そして由優に似ているから恋愛対象に入らないと思っていたのもそう。自分を守るためにそう思おうとしていただけだった。


 だから吉澤への怒りの理由も単純明快。俺にとって大切な存在である姫宮が傷付いたから。それとたぶん、吉澤に対する失望。


「あーもう、本当なんでてめぇみたいなクズに姫宮が執心してたんだ」

「……あ?」

 クズという直接的な悪意に反応して、吉澤の表情が固まる。


「……お前、名前は?」

 吉澤は水飲み場の縁から腰を浮かしながらそう訊ねた。


「有栖優也」


「……有栖君、恋バナはもっと誰にも聞こえないとこで話したいよなぁ?」

 その言葉を合図に、隣に座っていた二人も立ち上がって俺を囲うようににじり寄る。


「…………」


 程なくして、俺は体育館裏へ連れて行かれていた。体育館の外壁を背にして三人に囲まれる。

 予想通りすぎる展開に俺は少し笑いそうになる。腹立ちと口封じを兼ねてのリンチだろう。


「有栖君さぁ、君二年生だよね? ちょっと先輩への態度がなってないんじゃないかなぁ?」

「そうそう。そんなんだと社会出てから苦労するよ?」

「優しいリューヤ先輩が教えてくれるってさ」

「そういうこ……とッ!!」

 吉澤の右手が俺の腹に入った。


「――――ぅぐッ!」


 跪くほどではなかったが、軽く息が詰まった。


 続けざまにローキックが入る。さすがはサッカー部。パンチとは比じゃないくらいに重たい一撃だ。左足に力が入らなくなりふらつくが、どうにか倒れるのだけは堪える。このまま続けられたらさすがにまずそうだ。




 けどまぁ、これくらいで十分だろう。




「……ってかさ、どこのどいつが先輩だよ」

「は?」

 吉澤が眉をしかめる。


 先輩。

 俺は膝に手をやり顔を伏せたまた、ただ一人の姿を、過去となった憧憬を思い浮かべて呟く。


「……先輩ってのはな、カッコよくなくちゃいけないんだよ。憧れでなきゃダメなんだよ」


 頼りになって、後輩想いで……何より誠実で。

 目の前にいるこいつとは真逆の存在だ。


「だからお前みたいなクズ野郎、先輩でもなんでもねぇ」

 俺は顔を上げると吉澤の双眸を見据え、吐き捨てるようにそう言った。


「ッ! 舐めてんじゃねぇぞオラ!!」

 吉澤の右の拳が、俺の顔面に向かってくる。


 ……神楽坂先輩からは、本当に沢山のものを教わった。勉強の仕方や組織運営のノウハウ、簡単な礼儀作法や弁論のコツ、交渉術に会話術。




 ――――そして、武術。




 俺は吉澤の右手をいなすと、空いた脇に右腕を回し込む。そして左手で吉澤の右手首を、右手で右肩を掴むと、殴りかかってきた勢いそのまま、地面へと叩きつけた。いわゆる背負い投げだ。


「――がはッ!」

 間髪入れず吉澤の身体を回すと、右腕は持ったまま関節を決めるように伏せさせる。


 呆気に取られている二人に視線をやる。


「まぁ姫宮に謝れってのはやっぱいいや。こいつ投げたらちょっとスッキリしたし」

 というか謝罪だろうが二度と姫宮に関わって欲しくない。


「ただ、金輪際姫宮に関わるな。……そしたらこれも公表しない」

 俺はポケットから取り出したものを見せる。


「……なんだそれ」

「ボイスレコーダーだよ。吉澤が姫宮で弄ぼうとしていたことも、お前らが俺に暴力を働いたこともバッチリ」


 実際は吉澤達に対峙する直前に起動させてるから、姫宮に関してどうこう言っていた言質は録れていない。


「くっ……」

 しかし二人は苦虫を噛み潰したような顔をしてくれたので、俺は吉澤を解放しその場を後にする。後ろの方で「クソが!!」と言って何かに当たる音が聞こえたが、追って来る様子はなかった。


「ふぅ……」

 俺は一つ息を吐く。先輩に散々鍛えられたけど、実戦は初めてだったからな。上手くいって良かった。


 姫宮はもう部室に戻っているだろうか。一応ゴミ捨て場を覗いてからにしよう。

 そう思って角を曲がると、


「…………お前、見てたのか」

「…………えへへ」

 中身が入ったままのゴミ箱を抱えた姫宮がそこにいた。


「先行っとけって言っただろ」

「あんな流れでおいそれと行けませんって」

「まぁそれもそうか……」

 しかし一部始終を見ていたということは、俺の想いも伝わってしまってることになる。


「あのさ、姫宮――」


「――やっぱり嘘はいけませんよね」


 俺の言葉を塞ぐように姫宮はそう言った。嘘、とは吉澤のことだろうか。あ、あぁ、そうだな……と曖昧な返答をする俺に、姫宮は言った。




「センパイ、お話があります」

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