第8話(6/6)

 そして俺達は、これでもうこの祭りは十分満喫した、ということでバス停に向かって歩き始めていた。


「んひひ~♪」

 姫宮はご満悦の表情で袋を掲げ、金魚の動きを見ている。


「よぅし。今日から君達は“うさぎ”と“帽子屋”です!」

「なんだそれ」

「この子達の名前に決まってるじゃないですか」

「ますますなんだそれだ」

 ネーミングセンスが無いうんぬん以前に謎過ぎる。うさぎの方はまぁ、金魚に付けるのはどうかと思うがなくはない名前だ。ただ帽子屋ってなんだ。店じゃん。


「あ、もしかして不思議の国のアリス?」

「結衣ちゃん正解! 有栖センパイが取ったんで、あやかってみました」

「ふーん」

 うさぎは分かるけど、帽子屋なんて出てきたっけ。


「ってか名付けるのはいいけど、見分けつくのか?」

 片方が黒いデメキンとかならまだしも、二匹とも赤いし、大きさも同じようなものだ。


「愛があればだいじょーぶですよ♪」

「そんなもんか」

「そんなもんです♪」

 まぁなんであれ、自分ゆかりの名前を付けてもらえるというのに悪い気はしなかった。


「藤和はなんかペットとか飼ってるのか?」

 隣を歩く藤和に訊ねる。


「はい。ロングコートチワワを一匹」

「チワワか」

 実に可愛らしいチョイスだった。


「名前はなんて言うんだ?」

「チョコです。毛色がチョコレートみたいなのと、なんだか甘い匂いがしたので」

「へぇ」

 安直だが普通に可愛らしくて良い名前だ。


 どうせここで姫宮が「うぁー……そういうのが正解か……」とか言うんだろうな、と思ったが意外なことに突っ込んで来ない。それどころか……


「姫宮?」


 隣を歩いていたはずなのに、そこに彼女の姿はなかった。なぜか後ろの方にいる。


「どした?」

「あ、なんでもないです。すぐ行きます」

 そう言って小走りで駆けてくるが、


「……っ!」


 顔をしかめ、足が止まる。


「ヒナちゃん大丈夫?」

 藤和も心配そうに姫宮の元へ駆け寄る。


「どうした?」

 俺がそう訊ねるも、姫宮は「えぇっと、そのぅ……」と何やら歯切れが悪い。


「…………お、怒らないでくださいね?」

「はぁ」

 一体何を怒るというのだ。


「じ、実はその……鼻緒を切れやすく細工したって言ったじゃないですか」

「まさか切れたとか?」

「い、いえ……センパイに叱られたのでちゃんと切れないように歩いてました。ただ……」

「ただ?」

「変に力入れてたので、靴擦れしちゃいまして……」


「…………やっぱお前アホだろ」


「怒らないでくださいよぉ!」

 見ると姫宮の右足は、親指と人差し指の間に血が滲んでいた。靴擦れにしてはかなり重傷だ。かなり我慢していたんだろう。


「自業自得なのは分かってますから! 気にせず行きま――ぃッ!」

 まともに歩けそうにないのは明らかだった。ここからバス停までは結構な距離がある。


「はぁ……」

 俺は嘆息すると、姫宮の前でしゃがんだ。


「えっと、センパイ、これはつまり……」

「……おぶってやるよ」

 平静を意識して言ったその台詞に、なぜか藤和がきゃぁと声を漏らしていた。


 一方で姫宮は何も言わなかった。俺の目前にあるのはアスファルトで、姫宮がどんな表情をしているのかも分からない。段々といたたまれない気持ちになってきた頃、首元を二本の腕が掠めた。柑橘系の甘い香りとともに、確かな質感が背中に到来する。


「……じゃあ、お願い……します…………」

「……おう」


 すんなりと立ち上がれたことに驚く。およそ負荷というものが感じられなかった。俺の感覚を刺激するのはそう、耳元にかかる吐息だとか、両手を圧する柔らかな太ももだった。

 それらをなるべく意識の外に追いやろうと、俺は歩くことに集中する。姫宮が持つ金魚の袋と、脱いだ下駄が目の前で揺れていた。


「……重くないですか?」

「全然」

「……怒ってないですか?」

「別に。……馬鹿だとは思ってるけど」

「うぅ……」

 風邪の時もそうだが、本当に馬鹿で阿呆で自業自得なのに、どうしてか世話を焼いてしまう。そしてどうしてか苦じゃなかった。


「あの……センパイ……」

「なんだ?」

「……恥ずかしくないですか?」

「…………お前がそれを言うか」

 祭りも終盤とはいえ、往来はまだまだ沢山ある。しかも姫宮の容姿だ。先ほどから視線は痛いほど感じていた。


「……なんかごめんなさい」

 二人して羞恥し、おのずと言葉少なになる。藤和もそんな雰囲気だからか黙って歩いていた。


 祭囃子の音が遠い。


 夏だというのに存外冷たい風が頬を撫でる。


 ふいに、笑ったような声が聞こえた。


「なんか言ったか?」

「いえ、別に?」

「……そうか」


 ひとたび会話をすると、背中に姫宮がいることを酷く実感する。

 なるべく無心に努め、バス停まで辿り着いた。


「もう大丈夫です。あとはバスと電車ですし、駅からはタクシー使いますから」

「そうか」

 姫宮を降ろし、服を正す。背中にはじっとりと汗を掻いていた。


 もう背負っていないのに、妙な雰囲気は変わらない。

 たった五分程度の出来事で上塗りされ、それ以前のことが思い出せない。

 いや、今この瞬間さえなんだか曖昧だ。

 まるで俺が誰かに背負われているような、地に足がつかないふわふわした感覚。


 ……それは俺が家に着くまで続いたのだった。

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