第141話 その後

 成田さんと別れた後の私は、気持ち落ち込むこともあったのもの、須藤と別れた時ほどには沈み切ってはいませんでした。


 あの頃は私が須藤に執着していましたし、なのに否応なく別れざるを得なくなり、同時に職を失ったせいもあり心を病んでしまったものでした。


 ですが成田さんとの別れは、私が成田さんへの愛情を失くし、彼を見切った形でした。辛い気持ちもありましたが、人としての彼を受け入れがたく、切り捨てたこちらの傷はそれほど深くはありませんでした。


 私には大好きな英語の仕事があり、勤め先の人間関係や個人で催している教室の生徒さんたちとの関係も良好でした。


 そしてなにより、ナミさんをはじめとした修繕仲間と過ごす時間があったので、むしろ私は清々として元気に過ごしていました。ナミさんのおかげで、最初の物件を購入してから1年も経たないうちに、3軒めの家の購入も検討しつつありました。


 成田さんと別れてからは、彼に気を遣わずとも休日は物件を見学したり、他の仲間の物件で働きやすい環境になりました。


 ですが時おりナミさんが心配そうに私を見ていたことには気付いていました。ナミさんはそれなりに鋭い人なので、私や成田さんの異変を察知するところがありました。


「ところでゆりかサン、大丈夫なんですか・・・?」


 この日は鈴さんの物件で屋根のペンキ塗りをしていました。鈴さんは昼食の買い出しへ出かけていました。


「髪、ずいぶん短くしましたよね。だいぶ見慣れましたけど・・・」


 髪の毛は自分でひどい切り方をしてしまい、その後美容院へ行きました。自分で切ろうとして失敗した、と苦しい言い訳をしたものの美容師の方は驚いていました。


「ええ、おかげさまで元気です。髪は、短いのも似合うって言ってくれる人もいますよ。でもやっぱりもう、ご存じでした?成田さんとは別れましたけど平気です。あの人は元気にしていますか?」


 ナミさんに聞くことでもないのでしょうが、やはり同じ職場なので聞いてしまいました。


「そうですね・・・まあ、大丈夫ですよ。よくあるので。うちの社長、ああいう感じですし・・・いくらか落ちているかもだけど、仕事も忙しいですし、ちょっと出かければ出会いもあるようですしね。」


 きっとそうに違いないと思いました。成田さんほどの男性ならば、女性は次々と惹きつけられてしまうのはと想像できました。


「ただどうしてか、成田さんって長く続かないみたいで・・・でもゆりかサンは頑張っていた方だと思うけど・・・」


 少し言いにくそうに、ナミさんの言い方はフォローなのかそうでないのか、奇妙な言いぐさに可笑しくなりました。


「そんなに、入れ替わり激しいんですね。じゃあきっと、すぐによろしくやっていることでしょうね。」


 なんでもないことのように笑いたかったのですが、うまくいきませんでした。成田さんにとって、私は歴代の彼女のひとりでしかないことにも気持ちが折れてしまいそうでした。


 私はあの人のことを真剣に愛したかったけれど・・・


 だめだった。結局、縁のない人だったのだ。


「ゆりかサン、ワタシは・・・なにもできなくて。ゆりかサンが幸せそうでも、傷ついていても、見てることしかできなくて、すみません・・・」


 暗い顔つきで言葉を漏らすナミさんを前にして、私は戸惑いました。


「あの、ナミさんのせいじゃないですから・・・どちらかと言うと、私が成田さんにひどい事しちゃったし・・・私の方が、いろんな人のこと傷つけてばかりなんです。そういう人間なので・・・」


 だから、ナミさんに優しくしてもらえる立場でもないのに。


 ですがいつだってこの人は私に良くしてくれました。見返りもなく、いつでも。


「彼にお子さんがいたと聞いてしまって・・・ひどいと思ってしまったんです。子どもを捨てる人とは、私は・・・」


 ナミさんは黙り込んでいました。ふと思い出していました。


「・・・もしかして、ナミさんはご存じだったんですか。成田さんにお子さんがいること。前に、家族のことを聞いた方が良いと言っていましたよね。」


 ナミさんは辛そうな顔をしました。


「ごめんなさい・・・ワタシも、詳しいことは知らなくて・・・だいぶ前に、成田さんが赤ちゃんの写真を見せてくれたことがあったんです。でもその時も、成田さん、はっきりとは言わなくて。はぐらかされました。もしかしたら、という程度にしか・・・」


 ずっと、ナミさんは知っていたのかもしれない。そんな気がしました。でもナミさんは、ナミさんなら、言わなかったかもしれない。私と成田さんのことに、外から口を挟むようなことはしない。そういう人だと思いました。


「ゆりかサンと成田さんはお似合いだと思っていました。成田さんがゆりかサンを好きなのは最初からわかっていたし。ふたりが幸せならと願っていました・・・」


 私は何も言えなくなって、胸の内でこみ上げてくる感情を抑え込んでいました。


 ナミさんは、どうしてこういう人なのでしょうか。ただそばにいて、見つめて私が幸せでいるのを願っていてくれる。


 私はずっと、それを感じながら、甘えてきただけで。


 初めから、ナミさんだけに会えていたら良かったのにと思いました。


 最初から、ナミさんだけを好きでいられたら良かった。


 成田さんの彼女ではなくて。須藤よりも、貴之よりも前にナミさんと出会って、ナミさんだけを好きでいられたら良かったのに。


 この人は純粋すぎて、私には痛いのです。


 そんな風に思っていてくれたと、知るほど辛くなるのです。


 私には、とうていそんな価値などないと思い知らされます。


 私はこの人には、とても似つかわしくはなくて。


 私はふさわしくない。


 私のような、冷たく汚れ切った人間が、この人を想うなど・・・


 そんな思いばかりがよぎるのでした。


 この人を求めたくなる自分を、戒め続けていました。

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