第139話 壊れた愛

「落ち着いて・・・私が好きなのはゆりかだけだから。」


 思わず身を引きました。もう目の前にいる成田さんは、今まで知っていた彼ではなくなっていました。


 この人は・・・子どもがいて、でもお金だけ送って、自分は好きに生活していて・・・


 私をパリまで追いかけてきたあの時も、あの小さな女の子はまだ赤ちゃんで、お母さんはひとりで子育てをしていたんじゃないの?


 上の子がいると知っていて一緒になろうとしたのに、嫌になって放り投げた。お金さえ払えば済むと思って・・・


「もう、私の好きだった隼人さんじゃない・・・」


 彼の魅惑的な容姿も、大好きだった低くてかすれた声も、もう私には響きませんでした。


 この人に生活感がなく、他人を惹きつける優雅な魅力を漂わせているのも、自分勝手に生きているせいなのかと思えました。


「私は何も変わっていない。ゆりかが私のある部分を知ったかどうか、それだけだよ。」


 なぜだか冷静に、指摘するかのように彼は告げました。


 そうだ・・・ずっと、この人はこういう人だったんだ。私が好きになった成田さんも、嫌いになっている成田さんも同じ・・・同じ過去を持っている。


 でも、知ってしまったなら・・・


 彼の考え方や価値観、子どもに対するあり方を知ってしまったら・・・


 もう今までのように、この人に対して笑顔になれない。話せない。心開いていることなんてできるわけがない。


「あなたの子どもなんて産みたくない!あなたみたいな人の子なんて!」


 我を失って叫んでいました。彼の話を聞いてしまったなら、拒絶せずにはいられませんでした。子どもを捨てた人。父親なんていなくてもよいと言っている人。


 私がこの人の子を産んだら、私も捨てられるの?私はひとりでその子を育てるの?


 そんな未来なんていらない。


「ゆりか、落ち着け!」


 成田さんはテーブルを叩き、ごみ箱を蹴飛ばしました。彼も逆上していたのです。嫌な音が何度か部屋に響き渡りました。


「そういうところも、嫌なの!」


 私はヒステリックに叫びました。


「叩いたり、蹴ったり、壊したり・・・!そんなに壊したいなら、私もやってあげる!」


 泣きながら、わめくように言い返しました。


 私はテーブルの上のグラスを掴むと思い切り床に叩きつけました。前に、成田さんがやったように。ひどい音がして破片が飛び散りました。


 砕け散ったガラスを見つめ、こういう気分になるんだ、と思いました。成田さんが戸惑った表情で私を見ました。


 私はまだ収まらず、別のグラスも掴んで叩き割りました。もっと、壊すものはないかと探しました。


 もっと壊したい。めちゃくちゃにしたい。激しい感情がますます私を高ぶらせていました。


「ゆりか・・・わかったから・・・悪かった。」


 私の行動に、かえって成田さんは冷静になっているようでした。彼が私に近づいてきたので、逃げるように私はキッチンへ駆けてゆきました。


 引き出しを引いて、ハサミを取り出しました。


「やめろ、なにしてる・・・?」


 不気味なものを見るように、成田さんが呟きました。


 ほとんど衝動的に、私は自分の髪を掴んでハサミで切り、その髪の毛を床に投げつけました。続けて反対側の髪もわしづかみにして切りました。


「やめろよ・・・」


 彼は青ざめたような、憐れむような苦い表情を向けました。私は髪を切り続けました。彼の好きだった黒い髪を、めちゃくちゃに切って捨ててやろうと思ったのです。この人が傷つくように。彼を罰するために。


「もう、おしまい・・・さよなら・・・」


 この時、私は壊れていたのでしょう。


 叫んで、泣きわめいて、逆上して、壊して、髪を切って、彼を傷つけて。


 めちゃくちゃにして、その部屋を後にしました。

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