第125話 大切な人

 その夜、成田さんから自分の家へ帰るように告げられました。彼は私と一緒にいたくなかったのでしょう。私も同じ気持ちでした。ほとんど言葉も交わさないまま、遅い時間に自宅へ戻りました。


 その後も成田さんから連絡はありませんでした。私からも彼に連絡を取らないままでした。


 英会話教室の仕事やカフェ教室のレッスンをしている間は気が紛れましたが、仕事をしていない時間はなにかをする気力も起きませんでした。沈んだ気持ちのまま数日過ごしました。


 あんな成田さんは嫌だ・・・


 気持ちふさいだままの日々でした。成田さんに会いたくないわけではないのに、自分から連絡する気になれませんでした。彼から歩み寄ってくれるならばとは思いましたが、私の心も鬱屈したままでした。


 相手が自分の思うようでない時に背を向けるのは、本当の愛ではないからかと悩みました。普段は優しくて素敵な人なのに、理不尽に怒りをぶつけてくる時のあの人を受け入れられない自分は、愛のない人間なのかと思われました。


 しだいに私は苦しくなっていました。成田さんも淋しいと思っているのか、それとも彼は怒ったままなのか・・・私にも落ち度があり、彼に歩み寄れないのも、自分の心が狭いせいなのかと自問自答しました。


 成田さんも、淋しい人かもしれないのに。他者を惹きつける魅力のある人でしたが、友人は少なく孤独なのかもしれないと感じていました。仕事で社員の方や取引先の人々と接することはあっても、ナミさんのように信頼できて助け合える仲間はほとんどいないのかもしれない。


 そんな人が、私を好きになってくれたのに。私は成田さんのことを二の次に、自分のやりたいことばかり優先して・・・


 さらに、誰にも言うつもりはないものの、ナミさんに惹かれている自分に気付いていました。成田さんが、私が彼らと一緒にいたいのだという言葉をぶつけたのも間違いではなかったのです。


 不実なのは私自身で、前から成田さんはそのことを敏感に感じ取っていたのかもしれません。


 でも私は成田さんと別れたいわけではありませんでした。成田さんが私の大切な人であるのに変わりはありませんでした。


 成田さんと心が離れているのは、こんなに辛いことなのに。


 彼と会う時、私はいつも彼のそばにいて、触れ合うのが好きでした。


 恋人になった人は、体を許した人は誰よりも特別な存在なのです。


 だからこの時も、私は成田さんを求めていました。


 やはり自分は彼を愛しているのだと思い知らされていました。

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