第122話 秘めた心

「そういえば、ナミさんには言おうと思ってたんですが・・・私、会社での英語レッスンは今月でおしまいになるんです。残念ですけど・・・」


「え?そうなんですか?それはまたどうして・・・他のお仕事が忙しいとか?」


 彼は驚いたように聞き返してきました。


「成田さんから、今後は外国人講師の方のレッスンにしたいということで・・・皆さん実践的な英会話ができますし、上達できると思います・・・やっぱりネイティブの方に習えるなら、その方がいいでしょうね。」


 成田さんの会社のクラスを辞めたくはありませんでしたが、レッスンを依頼していた成田さんの意向であれば仕方ないのでした。


「え~、そうなんですか。イヤだなぁ、外国人の先生なんて・・・ゆりかサンだからやってるのに。ワタシはもう行きませんよ。」


 ナミさんは気乗りしない様子でした。


「そんなこと言わないで下さいよ・・・ナミさんだったらネイティブの先生とも、いろいろお話できると思います。早川さんや杉山さんも随分上達されていますし。」


「早川さんは最初からやる気でしたもんね。他の人は続けるかもですが、ワタシはもういいですよ。仕事さぼる時間だったのに、本当に勉強させられたらたまりませんよ。」


 にべもない様子のナミさんでした。


「そんな、私のレッスンは勉強の時間じゃなかったんですか・・・?」


 仕事をさぼる時間・・・確かに雑談の時間も少なくなかったので、交代させられてしまうのかと思い当たりました。


「そうは言ってませんけど・・・ところでゆりかサンは、うちの社長となにか揉めたとか、そんなわけじゃないんですよね?」


 ふとした拍子にナミさんに尋ねられ慌てました。


「え?いいえ、そんなことはないです・・・」


「言い寄られたとかでもないんですか?」


「えっ・・・?」


 ナミさんからの奇妙に鋭い質問に窮地に追い込まれていました。


「あの、ナミさんだから言いますけど、他の人には言わないでおいてくれますか。」


 成田さんに、私達がお付き合いしていることは秘密にして欲しいと言われていました。ですがナミさんには言わなければと思いました。


「しばらく前から、成田さんとお付き合いさせてもらっています・・・でも、成田さんは言わないでおいて欲しいということで・・・」


 言いたくはなかったのですが、ナミさんが何かを気付いているのであれば、ごまかすのは嫌でした。私が告げると、彼は表情を変えず、少しの間沈黙しました。


「なるほど・・・そういうことじゃないかなと思ってました。」


 あまり抑揚のない声でした。


「そういうことというのは・・・」


「いえ、大したことではないです。ゆりかサンが来た時から、そんなことになる気がしていましたから。ある意味予想通りです。」


 ナミさんはどうということもない様子でした。予想通りという言葉も少し気になりました。私が成田さんと今のような関係になることを、ナミさんは予想していたのだとしたら複雑な気持ちでした。


「そうだったんですか・・・」


「うちの社長、けっこう恋愛体質ですから。前から、事務の女の子と付き合ったり・・・でも別れるとやめちゃうから、何度かそんなこともあって懲りたみたいだけど。事務の人が早川さんになってからは社内も安定してますよ。」


 そんな背景があったのかと思いました。成田さんは職場恋愛の常習犯だったようです。でもそういったことが起こりそうなのも想像に難くはありませんでした。


「あ、ゆりかサンには言わない方が良かったですよね。いえ、うちの社長はおカネもあるし、いい男だと思いますよ。うーんでも、彼のご家族のこととか、ご存じなんですか?」


 ナミさんは少し心配そうな顔つきになりました。


「えーと、実はちょっと、ややこしそうだと思っています・・・でもまだ、詳しいところはよくわかっていないのですが。」


 成田さんのご家族について、わずかに話されたことがありましたが、詳しく知りたい気持ちにもなりませんでした。


「そうでしたか。ちゃんと、聞いてみたほうがいいと思いますよ。まあワタシは、ゆりかサンが幸せならかまわないけど・・・」


「ありがとうございます。会社で皆さんに会えなくなってしまうのは淋しいですが、ナミさんには貸家のことで、これからもお世話になります・・・今後もよろしくお願いします。」


 貸家の修繕活動を続けていて良かったと思いました。会社でのつながりがなくなっても、ナミさん達はお付き合いを続けてゆきたい仲間でした。


「そういえば、成田さんはワタシのやるような築古のセルフリフォームはいい顔しないんじゃないかな。ゆりかサンがやるとなると、どうなんでしょうね?」


 ナミさんはいろいろご存じなのだと思いました。成田さんは自力で修繕することには反対していました。時間がかかりすぎるというのが主な理由でしたが、やり始めてみると面白いことをこの仲間たちは実感していました。


「たしかにあまり賛成していないみたいですけど・・・でも、私にとっても大切なことで から。生活もかかっていますし。」


「そうですね。不動産投資もいろんなやり方がありますけど、その人に合ったやり方でいけば良いとワタシも思います。」


「私は、ナミさん方式しか選択肢がなかったです。でも築古物件、今は好きですよ。手練れの師匠たちもいますから。ナミ先生のご指導のもと、とうとう実践編になりますね・・・」


「弟子を取った覚えはないけど・・・まあいいです。ゆりかサンにはお世話になっていますから応援します。これからですよ。」


 そう言葉をかけられ、不意に気持ちが熱くなりました。この人はどうしていつも、こんなに優しいのかと思いました。


「ナミさん、私もナミさんのこと頼りにしています・・・これからも。」


 そう告げた時、なぜだか切ない気持ちになりました。


 私はこの人に惹かれているのかもしれないと気づき始めていました。

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