第70話 会社訪問

 忘年会パーティーの後、年が明けてまだ間もない頃でした。ある平日の夕方、初めて成田さんの会社を訪問しました。市内中心部にあるビルの1階でした。


「桜井と申します。ご紹介がありまして、英語レッスンの件でうかがいましたが・・・」


 少し緊張しつつ、対応してくれた方へ名乗り出ました。


「ゆりか先生、お待ちしていました。迷わずこられたようで良かったです。どうぞ。」


 奥の方から成田さんが現れ、中へ案内してくれました。


「お邪魔します・・・ほんとに大通から近いんですね。とても便利な場所ですね。」


 事務所内を興味深くあちこち見回しました。市内の一等地にある、まだ新しそうな綺麗なオフィスでした。


「ちょっと、まだ人数がそろっていませんが・・・授業はそこの商談用のスペースでしてもらえたらと思います。お茶はいかがですか?」


 奥の方にパーテーションで区切られたテーブルと椅子のあるコーナーがありました。テーブルの端にコーヒーマシンが備え付けられていました。


「ありがとうございます。ちょっと早めに来てしまって・・・コーヒーいただきます。自分でやりますね。」


 そばにあった紙コップをセットして、マシンのボタンを押しました。


「英語を習うのはその時に参加できる社員で、日によってメンバーが変わるかもしれません。事務の方は乗り気のようで、毎回参加したいと言っています。」


 黒っぽいスーツ姿の成田さんはこの日も素敵に映りました。この頃はだいぶこの人の存在感に慣れてきたせいか、怖さ加減も薄れていました。


「今日はまず、お試し的に体験していただけたらと思っています。皆さん、続けたいと思って下さるかはわかりませんし・・・他のクラスもそのようにして、まずは感触をうかがっているんです。」


「うちの場合は業務の一環なので、トライアルは必要ないですよ。今日から毎週、続けていただくつもりで予定を組んいます。」


 成田さんは既にレッスンを依頼してくれるつもりのようでしたが、彼の想定するような授業ができるとは限らないのにと思いました。


 レッスンの人数は4名までということでしたが、日によって人数は変動しそうだと聞いていました。人数に関わらず1回の授業料は定額にしていただいたので、悪くないレッスン料を頂けることになっていました。


「そろそろ時間ですね。ご参加の方はいらっしゃいますか?」


 コーヒーを頂き、しばし雑談していたらレッスンの時間が近づいていました。


「あ、そうですね・・・いまのところは・・・早川さん、こっちに来てくれる?」


 成田さんは事務の女性らしい方に声をかけました。早川さんと呼ばれた方は、ノートとペンを携えてこちらへ来てくれました。


「はじめまして。早川と申します。今日は英語を習えるということで楽しみにしていました。前から興味はあったのですが、なかなか腰が重くて・・・覚えは悪いと思いますが、よろしくお願いいたします。」


 早川さんは50歳代ぐらいの優しそうな女性でした。やる気になってくれていたようで嬉しく思いました。


「はじめまして、桜井と申します。成田さんとはスポーツクラブつながりで、ご紹介いただきまして・・・こういう場所でのレッスンは初めてで緊張しています。他の方もいるのでしょうか?」


 先ほど応対してくれた若い男性が奥にいましたが、参加メンバーではないのだろうかと思いました。


「杉山君は、急ぎの仕事が残っているらしくて・・・あと、ナミも来るって言ってたね。そろそろ戻ると思うんだけど・・・」


 少し歯切れの悪い様子で成田さんは早川さんに尋ねました。その方が来るとしても、いずれにしても参加の人は少ないのかもしれないと思いました。


 実際は、やはり社員の方たちは英語に興味がないのかもしれないと思いました。今までユキちゃんや京子ちゃん、他の生徒さんたちもレッスンを楽しいと言ってくれましたが、それなりの動機やモチベーションがあってこそでした。ここはどうやら、やりにくい環境かもしれないと頭をよぎりました。


「他の方が戻るまで待ちましょうか?急いではいませんので・・・」


「いや、時間どおり始めましょう。私も参加させていただきます。」


 椅子を引き、成田さんは席につきました。どうやら彼も参加するようでした。フランス語も堪能ですし、英語も流暢に話す方でしたから、初心者向けの授業ではレベルが合わないかもしれないと思いました。

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