第57話 深夜のあいさつ
梶さん達はお家の前までタクシーを呼んでくれていました。梶さんご夫妻の家は中心部で、昼間であれば宿まで徒歩で帰れる距離だと成田さんは言いましたが、私は土地勘がな いので方角も距離感もわかりませんでした。ですがパリ中心部は割合狭い範囲であると聞いたことがありました。
「わかってますよ、ちゃんと送りますよ。行き先が一緒なら楽だけど、ゆりかのアパートも私のホテルまでの通り道だし先に送っていけばいいよね。」
特に私が何か言ったわけでもありませんでしたが、成田さんは言いました。
「なにも言ってませんけど・・・そうですよね。」
タクシーに乗り込みながら、成田さんは運転手の方に行き先を伝えていました。
「でも、私もだいぶ眠くなっちゃったから。ゆりかのところで降りちゃって少し休ませてもらおうかな。」
成田さんは謎の提案をしてきましたが、寝言のようなものかと思いました。
「今度はそう来ましたか。がんばりますね・・・だめですけど。」
そう答えつつも、私は成田さんが独身であったことを思い出しました。しばらく忘れていましたが、急に嬉しくなりました。
前日よりも、成田さんのことを好きになっていました。怖そうに見えたのに、本当は優しい人だと感じていました。世界中を旅していて、パリまで来てくれたこと、いろいろな場所へ連れて行ってくれたこと。フランス語も英語も堪能で、見た目は妙に迫力があって、むやみにセクシーで、なんだか心落ち着かないけれど・・・
深夜のタクシーの中、隣に座る男性を盗み見ながら、遅ればせながらどきどきしました。
やっぱり成田さんはかっこいい・・・怖いけど、すごくかっこいい。
「ゆりか、ほら、着いたよ。わかる?あの看板だよね?」
夜でわかりにくかったのですが、確かに私の予約したアパートホテルの看板がありました。
「成田さん、明日はお帰りなんですね。おかげさまで、すてきな時間をすごせました・・・本当にありがとうございました。」
正直に言えば、ここでお別れになってしまうのが残念に思えました。
「うん、そうだね・・・さて、じゃあもう眠いからゆりかの部屋で寝ていこうかな・・・いや、嘘だよ。そういうのダメだもんね。」
成田さんは本気で言ったわけではなかったらしく笑いました。
「私も、何度もふられる根性はないからね。今日はこれで。」
夜でしたから、もうサングラスはしていませんでした。本当は、成田さんの目を見てしまうと、もう昨夜のようには抗えない気がしました。
「・・・じゃあ、また札幌でね。そうだ、せっかくだからフランス式で。」
成田さんは私の肩に手を置き、彼の頬を私の頬に寄せました。もう一方の頬のとき、彼はゆっくりとキスをしました。
私が固まっていると、おやすみ、とフランス語で囁きました。ときどきフランス語なのは計算づくなのでしょうか。魅惑な声と言語が相まって心を揺るがせられ、ずるいと思いました。
私はおやすみなさい、と伝えてタクシーを降りました。彼は手を振り、タクシーはサンラザールの方向へ走り去ってゆきました。あのかすれた低い声がまだ耳に残っていました。
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