第56話 パリの友人

 その日の晩は、パリにお住まいであった成田さんの友人のお宅へお邪魔しました。それもまた私にはありえない事態で興奮のしどおしでした。成田さんはチョコレート専門店とお花屋さんへ寄ってお土産を買いました。そういったお店に一緒に訪れるのも新鮮なひとときでした。私もなにかお土産をと思い、マカロンを買ってみました。お宅訪問のプレゼントを買うのは心ときめくひとときでした。


 成田さんの大学時代のお友達ご夫妻はパリ市内の美しいアパルトマンにお住まいでした。外観は歴史的な建物ながら、内部はエレベーターなどもあって近代的に改装されていました。玄関のドアを通るとモールディングの施されたクラシカルな雰囲気の内装でした。薄いブルーの壁が美しく、天井の高いところも素敵でした。


 成田さんのお友達は日本人で、奥様はフランスの方でした。成田さんが花を差し出すと彼女は嬉しそうにフランス語で声をかけ、彼にフランス式の挨拶をしました。両側の頬にキスをするような仕草に面食らいましたが彼は慣れた様子で話しながら、奥様に挨拶を返しました。まるで映画を観ているかのように絵になる光景でした。


 ソフィーさんというその奥様は私にも優しく微笑みかけてくれて、淡いブルーのまなざしに吸い込まれそうでした。薄い色合いの柔らかそうな金髪を揺らしながら、彼女は私にも顔を寄せ、彼女の頬が私の頬に触れました。はじめまして、とフランス語で囁かれ、不思議なよい香りがしました。嬉しいような恥ずかしいような、舞い上がった心地で固まっていました。


 成田さんの大学時代の友人であるという梶さんもまた、雰囲気のある男性でした。ソフィーさんのような魅惑的なフランス人女性を奥様にするのは並ならぬことではないでしょうか。理知的で穏やかそうな佇まいの方でした。


 居間に案内されると、ワインやビールなどのアルコールや、ナッツ等のおつまみを勧められました。夕食前に軽く飲んだりつまんだりすることをアペリティフと呼ぶそうです。ソファーの他にもいくつか心地よさそうな椅子が配置されていました。


 成田さんが気安くうちとけた様子で梶さんとお話するのを興味深く眺めました。スポーツジムでは彼が他の人と話すのをほとんど見たことがなかった気がします。学生時代からの友人というのは気のおけない、安心できる存在なのかと想像できました。


 最初は成田さんと梶さんと日本語で話しましたが、ソフィーさんが来ると日本語を少しと、私のために英語も話してくれました。ただ私の英語力も甚だ怪しいところでした。


 そのうち私以外の方はフランス語で話し、時おり成田さん達が私を見て笑っていて、どうやら自分の噂をされているような気がしました。皆さんフランス語を話すのは素敵でしたが、何の話だろうかともやもやしました。


 しばらくアペリティフを頂いたあと、ダイニングスペースへ案内され移動しました。テーブルセットやカトラリー、揃いのお皿も驚くほど洗練されていました。私もたまにはフレンチレストランへ行ったこともありましたが、まさかご家庭でこのような夕食の風景があろうとは想像していませんでした。


 ソフィーさんが腕をふるったフランスのお料理に感動しました。きちんとしたコース形式で準備されていました。


 野菜のスープと魚介のテリーヌが前菜でした。家庭でテリーヌを作るなんて信じがたい状況でした。メインは牛肉の煮込み料理で、バゲットやワインもすすめてくれました。メインのあたりでかなりお腹がいっぱいのところ、さらに何種類ものチーズの盛り合わせが出現し、見たことのない色や模様のチーズに手を伸ばさずにはいられませんでした。本当にお腹がいっぱいになりましたが、洋ナシのデザートとコーヒーもしっかりと頂きました。コーヒーのタイミングでお土産のチョコレートやマカロンも添えられていました。


 すべてが夢のような時間でした。まさか、実際のパリのお宅を訪問して、このようなおもてなしを受けるなどとは想像の余地もありませんでした。


 夕食後も成田さんは梶さんご夫妻との話は尽きず、かなり長居をしていました。もう日付が変わろうかという時間になり、私はやきもきしました。こんなに遅い時間まで、成田さんはともかく私もご一緒している身として心配になってしまいました。


「・・・成田さん、そろそろ、おいとました方が・・・ずいぶん遅くなっていますけど・・・」


「うわ、もうこんな時間か。明日早いんだった。もう行かないとね。」


 先に帰っていいよ、などとは言われずほっとしました。そのように言われてもひとりでは帰る道もわからず、言葉もわからないのでどうすることもできなかったと思います。


 自分の語学力は残念でしたが、現地の方達と交流ができたことは素晴らしい体験でした。とびきりの、特別な夜でした。


「梶もソフィーも、札幌に来るときは連絡してね、ご馳走するから。やっぱり和食かな。」


 成田さんはお二人に声をかけました。


「梶さん、ソフィーさん、今日は本当にありがとうございました!もし札幌に来ることがあれば、私の家にも来てください。でも、こんな素敵なお家じゃなくて、狭いアパートですけど・・・おでんかお鍋なら、たくさん用意しますから。」


 素晴らしいおもてなしで夢のような時間でした。私もお礼を伝えました。


「えっ、私もまだゆりかの家に行ったことないのに。おでんかお鍋、悪くないね。」


 梶さんご夫妻に伝えたのですが、成田さんがいち早く反応しました。


「あ、そうですね・・・成田さんも良かったら。いろいろご馳走になりましたからね。」


「なんでまた、ついでみたいな扱いかな。けっこう尽くしてるのに。」


 成田さんは低い声で、ぼそぼそと言いました


「ふたりとも、仲良くね。成田がゆりかさんみたいな人と一緒に来るなんてね。こちらこそ、楽しい夜でした。またいずれお会いしましょう。」


 梶さんが感じよく言葉を返してくれました。物腰柔らかで素敵な方でした。


「ソフィーさんのお料理、本当に感激しました。このお家もとても素敵でした。素晴らしいおもてなしをありがとうございました。」


 帰り際もソフィーさんがフランス式の挨拶をしてくれました。二度目とはいえやっぱり嬉しいのと恥ずかしいのとで、固まっていました。

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