第50話 誘惑
しばらく歩くと、サンラザール駅が見えました。隣で歩く成田さんの横顔をそっと見ました。やはり、きちんと送ってくれるつもりだったのだと安堵しました。
「・・・さて。着いたよ。ここ、私が泊まっているんだけど、飲みなおしませんか?眠くなったら寝ていけば良いし。」
そう来たか、と思いました。私の宿もサンラザール駅から近いのですが、成田さんも近くのホテルを取ったと聞いていました。駅のすぐ目の前の、クラシックで立派なホテルでした。パリのホテルは小ぶりな所が多いと聞いていたものの、もちろんお値段次第で大きなところもあるのだろうと納得しました。
「・・・えーと、せっかくですが・・・素敵なホテルなので行ってみたいとは思いますが、遠慮しておきます・・・成田さん、今日着いたばかりでお疲れだと思いますし、私も明日は今の宿をチェックアウトしてオペラ座近くのアパルトマンへ移動するんです。荷物もまとめなきゃですし・・・」
丁重にお断りしたつもりでしたが、成田さんは意外そうでした。
「私は疲れてないけど。日頃からそんなに寝ないし、今朝も部屋で少し眠ったからまだまだ元気だし、遠慮はいりませんよ。」
確かに成田さんは元気そうにも見えましたが、そういう問題でもありませんでした。
「あの、でも、お泊りのところへ行くのはちょっと・・・なんていうか・・・」
そう言えば、と思い当たりました。成田さんは時に、はっきり言わなければ伝わらないと言われたことがあったような。この人は、私が単純に遠慮していると思っているのだろうか・・・?
「私はあなたのためにここまで来たのに。ゆりかはすぐそこにある私の部屋に来てくれないんだ?」
成田さんは心外であったようで、詰めるような口調になりました。彼は、私が彼の部屋へ寄るであろうと当然のように考えていたのでしょうか。今こそはっきりさせなければと思いました。
「成田さんが来て下さって嬉しかったですし、楽しく過ごせました。でも私達はお付き合いしているわけでもないですし、成田さんは結婚しているんじゃないんですか?なのでこういうのは・・・」
ずっと気になっていたことを、とうとう聞くことができました。
「えっ、結婚?誰がそんなこと言ったの?結婚したことはないけれど。ゆりかはあったかもしれないけど、私はないよ。」
驚いたような顔で聞き返されました。その後の成田さんの言葉を頭の中で
・・・結婚していない!本当に?成田さんが?
一瞬、嬉しく思いましたがまたいろいろと頭をよぎりました。今この時ばかりと嘘をついていたら?それよりも、そうじゃなくて・・・彼とは知り合って間もないので、そのような関係になれる気がしなかったのです。
「・・・すみません。私も早く聞いておくべきでしたが、知りたいような、知りたくないような気持でした・・・成田さんみたいな方が、独身のはずはないと思ってしまって。そうだったんですか。成田さん、結婚されてはいないのですね?」
今さらでしたが、それが事実ならば率直に嬉しいことでした。
「そんなことを気にしていたの?早く言ってくれたら良かったのに。そもそも結婚していたら、あなたのことを追いかけてパリまで来ないでしょう?」
意外そうな、少し呆れた風な口調でしたが彼は笑顔になりました。
「それも、そうですけど・・・」
「だったら、ゆりか、もう大丈夫かな?」
向き合って話していた成田さんは、ふいに手を伸ばし私の髪に指を絡ませました。
「え?だめですよ!ちょっと待って下さい!」
急に触られ驚いてしまい、思わず大きな声で言い返してしまいました。
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