第44話 美術館
「まあ、せっかく着いたので入りましょう。」
成田さんは臆することもなく扉を押して、その建物に足を踏み入れました。
年季の入ったクラシックな建物で重そうな扉でした。見慣れた自動ドアではなく、私だけでは足を踏み入れるのに躊躇しそうでした。やはり成田さんが一緒で良かったと思いました。
建物に入るとすぐに受付があり、成田さんは係の人に挨拶をして、あっという間に入場券を買っていました。驚いたことに、フランス語でなにやら会話もしていた様子でした。
「チケットどうぞ。荷物置き場もあるらしいけど、特に預けるものもなさそうですね。」
何気なく入場券を手渡されました。私は少しもやもやしました。
「私が買おうと思っていたんです。ちょっと、待ってくださいね。」
バッグから財布を取り出そうとしていると成田さんに手を抑えられました。
「外国で財布は出さない方がいいですよ。ゆりか先生、私と一緒の時はそういうの気にしないで。」
涼しげに諭され、スマートな言葉と気遣いでしたが、素直に了承できるわけでもありませんでした。
「でも、やっぱり気になっちゃうじゃないですか。だったら後で、ランチをご馳走させて下さい。前も夕食をご馳走になったので。」
そのように主張すると、成田さんに困ったような笑顔を向けられました。
「ゆりか先生、ほんとに気にしなくてもいいのに。私もそれなりに稼いでますから。求職中のひとにおごってもらうのも嫌だし。」
痛いところを突かれ、確かにそう思われても仕方ないと気付きました。職なしの状態を知られているのは肩身の狭いものでした。とはいえやはり、余裕のある人はかっこいいと思いました。
「・・・すみません。じゃあ、こちらでは甘えますけど・・・札幌に戻ったらなにか、お返ししますから。早く仕事を見つけて、決まったら成田さんにご馳走します。」
きまり悪く思いつつ、なんとかそう答えました。
「ゆりかってけっこう真面目だね。ほんとに気にしなくていいのに。じゃあ、出世払いということで。」
成田さんは時おり私を呼び捨てにして、からかい気味に言いました。
「期待してなさそうですね・・・一応、英語の仕事もあるし、生徒さんも増えたので、他の仕事も見つかれば安泰ですけど・・・でも成田さんには踏み倒すことにします。余裕そうですもんね。」
私もつい、意地悪を言いたくなりました。
「おや、ひどいな。ちゃんと取り立てますよ。仕事柄、あれこれやっていますから。督促の電話から、延滞が続けば給料差し押さえの手続きも・・・」
薄笑いで返され、やっぱりこの人は悪魔かもと心をよぎりました。
「専門用語やめて下さい。どれだけ利子つける気なんですか・・・そういえば成田さん、フランス語できるんですか?」
先ほど彼は受付の方と会話をしていたのを思い出しました。
「ああ、少しは話せます。旅行なら困らない程度ですけど。若いころ勉強したので。」
ただでさえ魅惑的な成田さんが、フランス語まで操るなんて完璧すぎると思いました。
「そうだったんですか・・・フランス語ができるなんてかっこいいですね。そんな人、初めて見ました・・・」
フランス語のことも特別でしたが、彼のように捉えがたい雰囲気を持つ男性には出会ったことがありませんでした。
「そうですね。そう言われたくて頑張ったみたいなところはありますね。美女の気を引くためにできることはなんでもやります。」
涼し気な顔つきながら、女たらし満載な言いぐさでした。
「もう・・・抜かりないですね。美女がいいんですか。」
成田さんのような人でも女性の気を引きたいものかと思いました。
「ゆりかがいいな。美女ってゆりかのことなのに。」
彼は急に真顔になって私を見つめ、短く呟きました。
「え・・・そんな・・・えーと、ありがとうございます。しょうがないですね。」
率直な言葉にどきりとしました。
「しょうがないってどんな返しですか。これだから美女は。」
彼は愉快そうに笑うと私の顔を覗き込みましたが、こちらは内心どきどきして、心落ち着かなくなりました。やはり危ない状況かもしれないと思い知らされていました。
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