第12話 絶縁
ホテルを出て、朝食を取るのに街中のカフェに寄りました。まだ早めの時間だったため、開いているお店は限られていました。
大手チェーンのカフェにはモーニングメニューがありました。自宅ではまともな食事をしておらず、起きる時間も遅く、朝食を食べないこともよくありました。
間隔の狭い座席でしたが、朝のせいか空いていました。クロワッサンのセットを頂きながら、貴之といた時間のことを思い返していました。
思い切り、彼を傷つけることはできただろうか。
確認したいような気持ちでした。これまでは、彼になびかずとも、はっきり縁を断ち切ることもせず引きずっていたあの人のことを。
とうとうあの人を絶望させ、復讐を果たすことができたのだろうか。
ですがすっきりとしたとも感じず、感慨めいた思いには至りませんでした。
むしろ虚しいだけの気がしました。貴之の気持ちを踏みにじり、満足できたのかと言えばそうとは言い切れませんでした。彼を傷つけると同時に、自分自身をも削り落としたかのような痛みを覚えていました。
離婚し、再就職をして須藤と付き合い、思いがけずまた貴之と再会し・・・須藤と付き合いながらも、なぜだか完全にあの人を切ろうとはせずにいた自分を思い返していました。
つかず離れずの距離感で連絡をくれる彼を都合良く利用してやりたい思いと、須藤を嫉妬させるにはうってつけの存在かもしれないというたくらみと。結婚していた頃の恨みも尽きることなく、仕返しをしたいという思いも・・・いずれにしても、貴之に対してはろくでもない感情しかありませんでした。
ですが、心のどこかでは・・・私はやはり、貴之に対して切っても切れずにいる奇妙な感情を持ち合わせていたのかもしれません。
若かった頃、自分のすべてで彼を愛していました。初恋の人と、一生そばにいるつもりで籍を入れたのです。
そして結婚生活を続けるうちに、あの人の心が離れていることに、どれほど不安で追い込まれ、空回りをしていたことか。
あの人から求められないことに、どれほど悩んで絶望していたか。
そんな私を彼は無残に、決定的に打ちのめしたのです。
私はやはり、少しも癒えてなどいなかった。彼との生活を思い返すと、まだいくらでも恨み言が溢れて止まらないのです。
それなのに・・・
数年の月日を経て、再び貴之に抱かれた夜。私は痛いほどに、心震えていました。
すべてを失い、空虚に心荒んでいた私にとって、あまりに甘美なひとときでした。
この腕に抱いた彼の背中も、髪の毛も、いまだ冷たく見据える目も、あまりに鮮明に思い出され、怖くなりました。
体を重ねてしまったなら、愛しくならずにはいられませんでした。
それでも・・・
昨夜の貴之がいかに情熱的であったとしても、私を欲していようとも、やがてそんな思いも色褪せてしまうのだと。
もしかすると、昨夜のあの時間も、ただの幻に過ぎなかったのかもしれないと。
どこかでそんな思いがよぎり、私は自分を戒めていました。
気を抜けばふたたびすがってしまいそうな、男に依存してしまいそうになる自分が嫌でたまらなかったのです。
いかに心震えていようとも、愛されたという実感があっても、一時のことでしかないのならば。やがてふたたび傷つくくらいならば、すぐに壊したい、彼を切って解放してやりたいという思いにかられました。
カフェで朝食をいただいた後は、自宅へ戻りました。
玄関を過ぎ、リビングのドアを開けると、足の踏み場もないほどの散らかった部屋がありました。空気はどんよりと濁っていて、ぞっとするような光景でした。
床に散乱するものを足で少しずつどけながら、隣の寝室へ向かって進みました。バッグを放り投げ、上着を脱ぎ捨てベッドへ横になりました。そこだけはなんとか、ましなスペースが残っていました。
散らかり放題の部屋を眺め、皮肉に笑い出したくなりました。
こんな状態の私を、それでも貴之は一緒に暮らしたいと言えただろうか?貴之の知っている私は、いつも掃除を怠らず、日々の夕食をこしらえ、毎朝の朝食とお弁当の準備を欠かさない従順な妻であったはずでした。
彼とかつて住んでいたアパートへ戻り、その家もこんな風に荒らし放題にしてあげた方が良かっただろうか?
親切なことをしたと思いました。
これ以上ないほどに傷つけ、縁を切るのが互いにとって、おそらく彼にとってはいっそう親切だったに違いない。
濁った灰色の世界に落ち込んでいた私は、きっと彼をも引きずりこんで、沈めてしまいかねなかったのですから。
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