第2話「『いじり』と『いじめ』」

「なあ、一発ギャグやれよ」


 クラスメイトの山田くんはにやりと笑って僕にそう言いました。山田くんは六年一組の中で一番身体が大きくて、力があります。体育のときに活躍するのもいつも彼です。


「……何やったらいいのか解らないよ」

「それを考えるのが、おまえの仕事だろうがよ」


 山田くんはそう言って、僕の頭を小突きました。

 周りで見ていたクラスメイトたちはからからと笑います。何が面白いのかは解りません。けれど、僕を馬鹿にしているのだろうということは解りました。


「まったく使えねえ愚図だな」


 山田くんはそう吐き捨てました。

 僕はいつもそうやって「いじられ」ていました。




 僕に対する「いじり」が始まったのは、小学五年生になってすぐのことでした。


「おまえ、お笑い芸人に似てね?」


 山田くんが言った何気ない一言がきっかけでした。クラスメイトたちは彼が何か冗談を言えばころころと笑い、彼が怒ればしんと黙り込みます。彼はこのクラスの「王様」でした。


 彼が僕を「お笑い芸人」だと言えば、僕は「お笑い芸人」にならなければならなかったのです。しかし、僕は普通の小学生で彼を喜ばせられるような面白いギャグを言うことはできませんでした。


「はん、つまんねえやつ」


 彼から「つまんねえやつ」という烙印を押されれば、それをはがすことはできません。なんたって、彼は「王様」なのですから。その日から、僕はことあるごとにギャグを求められ、それに応じられなければ、頭を小突かれるという日々を送っていました。




 六年生に入ってからもそれは続き、少なくとも卒業まではこんな日々が続くのだろう。そんなことを思っていたある日のことです。


「おまえら、そういうのやめろよ」


 いつものように「いじられ」ていた僕の間に割り込んだ人が居ました。


「なんだよ、相葉。なんか文句あんのかよ?」


 それは相葉くんというクラスメイトでした。彼とは六年生のクラス替えで初めて同じクラスになりました。それまで、僕は彼とは話したこともありませんでした。


「そんないじめみたいな真似やめろよ。だせえぞ」


 彼は山田くんのように特別身体が大きいわけでもなければ、足が速いというわけでもありません。特に目立ったところもない普通の小学生でした。だからこそ、彼が「王様」に盾突くような真似をしたことに、皆が驚きました。


「おもしれえ。俺に歯向かったら、どうなるか教えてやるよ」


 山田くんはそう言って、相葉くんの肩を掴みました。


「体育館裏に来いよ。そこでやろうぜ」


 しかし、相葉くんは彼の手を振り払って言いました。


「行かない」

「なに?」

「行く理由がないからな」


 そう言って、彼は僕の方を振り向いて言いました。


「嫌なことがあったら、ちゃんと嫌だって言った方がいいぞ」


 それだけ言って、彼は山田くんを無視して、教室を出ていきました。


「なんだあいつ?」


 周りのクラスメイトたちはぽかんとした表情で顔を見合わせていました。

 一人、山田くんだけが、強く拳を握りしめていました。




 それから、まもなく、相葉くんへの「いじめ」が始まりました。

 彼の教科書が掃除用具入れの中に突っ込まれていました。

 彼のリコーダーが窓の外に捨てられました。

 彼の体操服はごみ箱に捨てられていました。

 しかし、彼はどんなことをされても、声を荒げることもなく、淡々とそれらを拾っていました。




 ある日、僕は中庭を上履きでうろついている彼を見つけました。僕はその背中を黙って見つめていました。しばらくすると、彼は僕に気が付き、近寄って来ました。


「やあ。悪いけど、この辺りで僕の靴を見かけなかったかい?」


 僕は黙って首を振りました。

 彼はため息をついて、言いました。


「そうか、じゃあ、もう諦めて今日は上履きで帰ろうか」


 そんなことを、彼はまるで着ていく服を選ぶときのような何気ない調子で言うのです。

 僕は思わず言いました。


「悔しくないの?」


 それは僕がずっと気になっていたことでした。

 彼はどんなことをされても、決して声を荒げたり、暴れ出したりしなかったからです。

 すると、彼はにこりとさわやかに笑って言いました。


「僕に標的が向いているうちは、君がいじめられることもないだろう」


 彼はこの期に及んで、そんなことを言うのです。


「僕はお父さんから言われてるんだ。『弱いものは助けなさい』って。だから、僕がこうしていることで、君が救われているなら、まあ、それでもいいかなって思うんだよ」


 僕はもう我慢の限界でした。

 僕は思わず、両手で彼の肩をぐっと掴みます。そして、彼の瞳をまっすぐに覗き込んで言いました。


「違う……」

「え?」

「勘違いしている」


 きっと、彼は自分を「いじめ」ているのは、山田くんだと勘違いしているのでしょう。

 それは間違いです。

 なぜなら、彼に嫌がらせをしているのは、僕だからです。

 彼の教科書が掃除用具入れの中に突っ込んだのは僕です。

 彼のリコーダーを窓の外に捨てたのは僕です。

 彼の体操服をゴミ箱に捨てたのは僕です。

 彼の靴を焼却炉に突っ込んだのだって、僕なのです。


「なんで……?」


 僕の告白を聞いた彼は驚きに目を見開いていました。


 僕は「いじめられ」ていたわけではありません。ただ「いじられて」いただけなのです。


 もちろん、僕が今の境遇を喜んでいたというわけではありません。山田くんに対する怒りは深いです。彼が死んでくれたら、僕はきっと小踊りするでしょう。それくらいには、彼を恨んでいます。


 けれど、僕がそれ以上に辛かったのは、僕を哀れむ視線でした。


「いじめられて可哀そうだね」


 そんな感情を、美しい想いを、高い壇の上からぶつけられること。それこそが何にも及ばない、最大の侮辱なのです。


 どんな理不尽な目に合わされるよりも、「可哀そう」と思われるただそれだけのことが、僕には耐えられなかったのです。


 あまつさえ、相葉くんは、自分のことをまるで「ヒーロー」のように考えていました。彼は僕を出しにして、「ヒーロー」の世界に酔っていたのです。そんなことが許されてなるものでしょうか?


「僕は山田くんなんかより、ずっとずっと君が嫌いだ」


 山田くんは死んでほしいと思っているけれど、相葉くんのことは殺してやりたいと思っていました。


「善人なんて居ちゃダメなんだ。そんな善人が居たらいけないんだ」


 あるものがまっすぐかどうかを判断するためには、まっすぐな定規がないといけません。まっすぐかどうかを知りたくなければ、すべての定規を壊してしまわなければならないのです。


「僕は君が『嫌だ』」


 嫌なことがあったら、ちゃんと言った方がいい。

 彼が言った通りに、僕は彼に告げました。

 そして、僕は彼に背を向けて、走り出しました。




 僕は小学校を卒業するまで「いじられ」続けました。

 相葉くんとは、その後、二度と口を利くことはありませんでした。

 ただ、僕は彼のまっすぐな瞳が、歪んだあの一瞬の彼の表情をずっとずっと心の奥底に刻んで、この腐った世界を泳いでいこうと思うのでした。

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