第94話 被験体

 僕達がダイダルの門をくぐった瞬間、警報がけたたましく鳴り響く。

 その音を聞き、アレクもクラリスも身構えた。


 まさか……。帝国兵に偽装したのがばれたのか。


 一瞬、その可能性が頭をよぎったが、どうもゴメスの様子からはそれを伺えない。


 今ゴメスは竜車の窓から顔を出し、何事かと喚き散らしている。僕達の正体に気付いてはいなさそうなので、ダイダル領に入った瞬間にこの街の兵士達にばれるという事はないだろう。


 竜車の足を止めていると、正面から帝国兵が駆け寄ってくる。やはり僕達の正体に気付いた様子はない。


 なので帝国兵に事情を聞いた。


「一体何事ですか」


「む、その竜車。お前達は司祭様の護衛か。実はな、これから実験を行おうという時に被験体が逃げ出したのだ。なので今魔族兵と共に探している。お前達も司祭様をお送りしたら捜索を手伝ってくれ」


「了解です」


 それだけ告げると帝国兵は足早に立ち去った。とりあえず僕達が偽装した事がばれたわけではないようで胸を撫で下ろす。だが、この街では被験体と呼ばれるものが逃げ出したという事だ。

 果たしてそれがどれだけ大ごとなのか分からない。


 僕は御者台を降りるとそのまま車内にいるゴメスへ確認を取った。


「司祭様。先程、この街にいた被験体が逃げ出したそうです。ご指示を頂けますでしょうか」


「なっ……! なんですとっ!? それは本当ですかっ!? あぁ、なんてことだ……」


 そう言ったきり、ゴメスは頭を抱えてうずくまってしまう。


「あ、あの、司祭様……。我々はどうしたらよいでしょうか……」


「あ、ああ。ええ。失礼、取り乱しました。とりあえず貴方達は私をあの魔界樹の元に送って下さい。それからは逃げた被験体を探しに行って下さい。……必ず見つけ出すようにっ!」


 それだけ言うとゴメスはぶつぶつ言いながら遠くを見つめてしまった。


 被験体の事や色々確認をしたかったがゴメスからはもう聞けないだろう。


 御者台に戻り魔界樹に竜車を進める。街の中は騒然としていて、帝国兵や魔族の兵がひっきりなしに走り回っていた。



「ねえ、クラリス。その被験体が逃げたって事はそんなに大ごとなんだろうか。こんな沢山の人が探すなんて……」


「その被験体、ゴメスの言っていた実験に使われるものだったんじゃないか? その実験が成功すれば世界を揺るがす事になる、つまり実験が失敗すれば……」


「ゴメス自身の命が危うい……。まあゴメスの事はどうでもいいんだけど、それでもこの人数は多いような気がする」


「被験体自身が非常に危険な生き物なのかも知れないね。ドラゴンとか」


 ドラゴンだったらおいそれと逃げ出せないだろうし、仮に逃げてもすぐに見つかる気がする……。


 そう考えたが、それは言わずに黙って魔界樹を目指す。


 魔界樹の根本には帝国兵の詰め所があり、辿り着くなりゴメスは奥に消えて行ってしまった。


「送迎ご苦労。お前達はすぐに消えた被験体の捜索に当たって欲しい」


 詰め所の隊長らしき人物が出てきて、僕達にそう告げる。



「承知しました。捜索にあたり対象の情報を教えて頂けないでしょうか」


 隊長が一瞬訝し気な顔をするが、すぐに特徴を僕達に伝える。


 逃亡した被験体は魔族の女。

 身長は140cm程で、実年齢は百歳を越えているが、見た目は十代前半との事。

 赤い髪に赤い目、頭に二本の小ぶりな角が生えている。



 この情報を聞いた時、正直僕たちには見分けがつかないと思った。

 ここにきて魔族を初めて見て、確かに人間とは違うけど誰が誰だか判別がつかない。分かるのは男か女か、大人か子供かくらいだ。


 それでも、目的の人物は子供の女の子、そして赤い髪と目をしてるという事だけ覚えて僕たちも捜索に向かう事にした。


 本当ならこんな事をしてる場合ではない。だけど、捜索に参加しないと変に疑われてしまうし、捜索のどさくさに紛れて本来の探し物をすればいいとクラリスから言われ、僕たちはしっかりと捜索をする事にした。




 捜索を続ける事二時間。一向にそれらしい人物を探せない。クラリスにも確認するが、本来の探し物も見つかっていない様だ。


 何度目になるか分からない路地を曲がった時、正面にうずくまる影が現れた。その影は茶色のローブを纏い、小さくなって震えている様だった。


「……人?」


 僕の疑問にアレクがすぐに反応した。


「もし。大丈夫か?」


 アレクはすぐそばに寄り問いかける。アレクの問いかけにうずくまった人はゆっくりと少しだけこちらを向いた。


 ……肌が青い。ちらと見えたその肌は、全てが青かった。具合が悪いとかではない。これは魔族によくある肌の色だ。そして対照的な真っ赤な髪の毛と真紅の瞳。


 これは……。

 恐らく、逃亡した被験体と呼ばれていた魔族だろう。


 どうしたものか。僕たちの目的は探し物であり、それはエリスを生き返らせる為に必要なものだ。帝国と魔界の実験用被験体を探すふりをして、僕たちは自分たちの探し物をしていたのに。

 なんという皮肉だろうか。


 この子を連れて行ったら、帝国の実験が行われてしまう。その結果次第では人間界で戦争になるかも知れない。

 かと言ってこの子を連れて逃げると僕たちが探しているものを見つけるのは難しいだろう。


 短い時間の中で僕は頭を巡らせる。

 その思考を破ったのは再びアレクの言葉だった。


「お前、怪我をしているのか?」


 よく見ると、その子は額から血を流しており靴もはいていない。ガクガクと震えるその姿は、寒さによるものだけではないのだろう。


「……ハクト。その子を保護しよう」


 クラリスが突然そう言い出した。この子を保護する、という事は必然的に僕たちが探しているものを諦めると言う事だ。この子も放っておけないが、それでも当初の目的と違う事に僕はクラリスを問い詰める。


「クラリス、この子を連れていたら僕たちが探しているものを探せないよ。それじゃあなんの為に魔界に来たか分からないじゃないか……」



 クラリスが僕の問いに一瞬押し黙る。そして告げた。


「大丈夫だ。その子が私達の探していたモノだ。その子がいれば、きっとエリスは蘇る」




 クラリスのその言葉にアレクは雷に打たれた様に打ち震え、そして僕は何故だか嫌な予感がして止まらなかった。

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