第58話 復讐

 人一人見当たらない王都の闇夜の中を、俺はエリスを抱えて走っていた。

 いや、走っていたのかさえ分からない。


 徐々に冷たくなっていくエリスの身体を抱きしめて、ただひたすらに足を前に出す。


 心は急いでいるのに、体は付いていかない。進む足は酷く重たく、まるで泥沼の中を歩いている様だった。



 どこをどう歩いて来たかはもう分からない。ただエリスを助けたい一心で屋敷に戻った俺は、屋敷の治癒術師を叩き起こしエリスの治療をさせた。




「急げ、早くエリスを治すのだ。傷一つ見落とすんじゃないぞ」


「……アレク様。申し上げ難いのですが、エリス様は既に……」


「うるさいっ! お前の役目は治す事だろう! 早く、早くエリスを治すんだっ!」


 治癒術師にはエリスを治療させたまま、屋敷の使いを王都中の治癒術師の元へ走らせた。

 夜中であっても、フリューゲル家の名前を出せば何人かは治癒術師が屋敷に集まってくるだろう。



 一人、また一人と集まる治癒術師。

 皆が額を突き付けて、エリスの治療にあたる。





 ……そうして得られた結果は、間違いなくエリスは死んでいると言う事だけだった。



「……なんでだ、なんでだよっ! なんでお前らは揃いも揃ってエリスを治せないんだっ! 誰か、エリスを、エリスを助けてくれっ……」







 それからの事は覚えていない。


 屋敷を飛び出した俺は、ふと気が付けば貧民街の中を歩いていた。まるでエリスの落とし物を探しに来たみたいに。


 無気力に歩いていると、道端に店を広げている露店があった。



 何故こんな夜中に露店が。だが今の俺にはそんな事を疑問に思う事も出来なかった。

 何かに惹き寄せられたかの様にその露店に近づく。



「……兄さん、いいねぇ。あんた良い匂いしてるよ。真っ黒な気配が渦巻いている。どうだい、見ていってくれよ」



 露店の店主と思われる男が声を掛けてくる。

 普段は絶対に近寄らない様な店だ。だがその時の俺には、その店が酷く魅力的に思えた。



 無造作に並べられている品の中から、一つの短めの剣を手に取る。それは鞘もボロボロ、刀身も真っ黒に塗られていてまともに切れるかすら怪しい。



「……惹かれるねぇ。多分その剣は兄さんにピッタリだ。それは本当は剣じゃない、呪われた魔導具だ。その魔導具で傷を付ければ、付けた傷の何万倍もの苦痛を与えられる、拷問には最高の道具だ。どうだい、気に入ったかい?」



 ……拷問用の魔導具。そうか、そうだな。

 今の俺にはこれほどの物はないかも知れない。



「……貰おう。いくらだ」


「いくらでもいいさ。兄さんがこれからも贔屓にしてくれりゃあな」


 俺は無言で、腰に付けている金貨の詰まった袋を放り投げる。

 男はそそくさと袋を懐にしまい、ニヤッと笑う。



 剣を手にしてじっと見つめる。呪いの魔導具。こんなお誂え向きな物はない。


 ……殺してやる。いや、殺すだけでは生温い。死んだ方がマシだと思うくらいに嬲って嬲って、嬲り続けてから殺してやる。


 ……待っていろ、ゴミ野郎共が。



 視線を戻すと既に露店はなく、男の気配すらなかった。

 まぁいい。俺は俺のすべき事をするだけだ。




 自分がどこに向かうのか、もう分からない。既にエリスの事すら頭に無く、ただ俺は殺す事だけを考えていた。





 ◆◆◆◆◆◆





 その日から、王都では連続猟奇殺人が続いた。


 被害者は男性ばかりで、その体には数え切れない程の傷が付けられていた。


 そして共通しているのは、どの遺体も体があちこち切られているのに、完全に欠損している部分はないということだ。


 指にしろ腕にしろ、その全ては鋭利な刃物で切られていたが、全て皮一枚で繋がっていた。


 骨は切られている。筋肉も腱も切られている。それなのに皮の一部だけは繋がっており、その遺体達は全長を何倍にも伸ばして街中を流れる用水路を堰き止めた。


 リンゴの皮を剥いたかの様にビロビロに延ばされた体は、とある日は二人、またあくる日は三人と徐々にその数を増やしていき、遂にその数は20を超えた。




 王都の治安を守る騎士団もこの事態を重く受け止め、王都中に戒厳令が敷かれた。


 だが、それでも殺人事件は止む事はなく、一人また一人と遺体は増え続けた。



 殺された男達にはいくつかの共通点がある。


 身元不明の者も少なくなかったが、身元が判明した者の多くは貧民街出身の者だった。


 貧民街出身以外の者では、所謂いわゆる破落戸ゴロツキと言われる、街中の鼻つまみ者ばかりであった。


 こうした事実が公表されると、一般市民は多少安堵する。中にはゴロツキを排除する義賊的犯行だと囃し立てる者もいた程だ。



 だが、市民の安堵とは裏腹に肝を冷やしている者達もいた。


 そうしたゴロツキに金を渡して、汚い裏の仕事をしていた貴族たちだ。

 貴族達は自分の手を汚さずに、対立する者を蹴落とす手段として暴力を好んで使った。その暴力の根源であるゴロツキ達が次々に殺されていく。


 自分が向けた矛への反逆としての殺人であれば、いつしかその牙は自身の喉元へと突き付けられるのではと、疑心暗鬼に陥る貴族達が続出した。



 そうして、猟奇的殺人事件は解決を見ないまま新たな犠牲者だけが増え続けた。

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