第20話 秘めたる力

 俺達はなんとか無事に森を抜けだした。厳密にはシグレが深手を負っているが、命に別条はないはずだ。



 カールを放り出し、傷の治療を始めたシグレに問う。



「副団長、私とエリスで奴を討伐したいと思います。許可を頂けますか」


「だ、ダメだそんな事! 見習い騎士にそんな事は認められない、っ──」



 シグレは答えながらも苦痛に顔を歪める。


「ではどうするというのですか。他の騎士達で奴を討ち取れるのでしょうか。副団長、貴方が万全ならそれも可能でしょうが、既に他の騎士の方々は戦意を喪失しております。このまま我々が退けば、この辺り一帯に相当な被害が及ぶでしょう。ご決断を」


 シグレは苦々しい顔で俺の言葉を反芻する。そして一つ息を吐くと、団員の名を呼ぶ。



「ジョセフ! ダニエル! こっちに来てくれ」


 呼ばれた二人は逞しい体つきをした精悍な騎士だ。しかしこの事態に顔色を青くし、沈痛な面持ちでシグレを見つめている。


「お前たち二人で、この見習い騎士達をサポートしてくれ……。この二人はキマイラに勝つ秘策があるそうだ……。危なくなったら、二人を抱えてでも、逃げてくれ」


 シグレの言葉に二人の騎士は見つめ合って頷く。流石は王都に駐屯する騎士団だ。強大な敵であっても恐れずに立ち向かうべく、腹を括ったらしい。


「先輩方、お手を煩わせて申し訳ありません。最善を尽くします」


「こちらこそ危険な役割を任せてしまいすまない。本来は我々騎士の役割なのに……」


「先輩方、ボク達も見習いですが、騎士です。やれる事を全力でやりましょう!!」


 絶望的な状況にも関わらず、エリスは笑った。その笑顔に釣られて二人の騎士の固かった表情もいくらか柔らかくなる。


 勝てないかも知れない、死んでしまうかも知れない。だが、騎士として戦う為に俺達は再び剣を取る。




 その時、メキメキっと音を立てながら木々を薙ぎ倒し、森の中から勢い良くキマイラが飛び出して来る。


 口に咥えていた血塗れのヨーゼフは、既にもういなくなっていた。



「……っ! エリス、どうする!?」


「この広場では危険だね! 森の中で戦おう!」



 俺とエリスは護衛の騎士を伴って、逃げてきた森の中へと駆け込む。

 キマイラに対して攻撃を仕掛け誘導し、なんとか森に誘い込む事に成功した。


 だが、俺はまだ肝心の作戦を聞いていない。走りながら並走するエリスに問いかける。



「エリス、実際問題あいつとどうやって戦うのだ! こちらも視界が悪いぞ」


「ボクが引き付ける。アレクは全力の一撃をお見舞いして欲しい」


 そこからエリスはざっくりと作戦を説明する。


 森の中であればあの巨体では素早い動きは出来ない。アイツの圧倒的な速さと力を、この森を盾にして戦う事で奪おうと言うのだ。

 そしてエリスが囮りになり、隙を付いて俺が全力の一撃をお見舞いする算段だ。


 随分と大雑把な作戦だが、果たしてそんなに上手くいくのか……?


「大丈夫、ボクを信じて! それと、ボクが信じてるアレクを、自分自身を信じて! そうすればきっと剣は応えてくれるから!」


 そう言いながらエリスは弓矢を放ち、キマイラの注意を引きつける。そして森の中へと消えて行った。


 キマイラは二手に別れた俺達のうち、作戦通りエリス達を追いかけて行く。


 俺達の姿が完全に見えなくなるまで暫く木陰に身を隠し、気付かれない様に気配を殺してキマイラに近づく。

 キマイラは必死でエリスを追いかけており、多少の物音がしてもこちらの事を気にする様子もない。


 林立する大木達をその太い前脚で薙ぎ倒し、エリスに迫るキマイラ。

 その爪を紙一重で躱し、挑発している様に見えるエリス。あちらの護衛の騎士は、このやり取りに肝を冷やしている事だろう。



 ──もう一歩、後少し!


 あと半歩で剣の間合いに入る時、キマイラの尻尾、蛇の頭がこちらの存在に気付いた!



 尻尾はまるで大木の幹の様だ。その大柄な蛇の体を存分に呻らせて、勢い良く頭を突き込んでくる。


 相手の動向に注意していた俺は、横に飛び退ってかわす。しかし同行していたジョセフはそうはいかなかった。


 襲いかかって来た蛇は、軌道を変えてジョセフの足に噛みつく。

 蛇の顎に挟まれた足は、肉に牙が突き刺さり、えぐり、その咬合の力で骨をも噛み砕く。

 大腿骨を噛み砕かれたジョセフはその場でうずくまり、倒れ込んでしまった。


 そこに、体ごと反転して追撃を加えんとするキマイラ。その前脚でジョセフの頭をぎ取ろうと近づく。



 ……マズい、間に合わないっ!!



 剣を振るって追い払おうとするが、既にジョセフの目前まで前脚が迫っていた。


 その瞬間、キマイラが突然雄叫びを上げて体をのけ反らせる。


 何が起きたのかと後ろに目をやると、そこではエリスが木の幹の様な尻尾を切り落とした所だった。

 そしてそのままキマイラの臀部を突き、斬り、刺す。


 痛みに耐えかねたキマイラは再びエリスに向き直ると、今度はその凶暴な顎門をエリスに向ける。


 気を引く為に夢中で剣を振っていたエリスは、一瞬だが反応が遅れる。


 ──駄目だっ!! 今度こそ間に合わないっ!!


 エリスの眼前まで迫った魔獣の牙。その牙がエリスの頭を噛み砕くべく大きく開かれる。

 下顎がエリスの顔に触れる瞬間、側にいたダニエルが決死の覚悟で剣を振るった。


 その剣の切っ先は魔獣の目の下を掠める。それは動きを止めるには至らなかったが、生まれた一瞬の隙でエリスは難を逃れる事が出来た。


 だが、魔獣もエリスを最大の敵と見做したのか、その後の攻撃は全てエリスに集中した。

 俺達がいくら剣を振るおうとも、そんな事お構いなしにエリスにだけその爪を、その牙を向け続ける。


 そうして真綿を締める様に追い込まれたエリスは、遂にバランスを崩しその場に膝を着いてしまった。


 この瞬間を待っていたかの様に短く雄叫びをあげ、キマイラは全身を大きく伸ばしてエリスに襲いかかる。




 ──その時、俺の時間は止まった。




 魔獣の動きが── エリスの視線が── 騎士の剣が──



 全ての物がゆっくりと流れて、まるで粘度の高い水の中を泳いでいるみたいだ。


 エリスに向かって突き立てられる魔獣の爪。その鋭い爪の先がエリスの皮膚を突き破る瞬間に、再び俺の時は動き出す。



「うおおぉおぉぉおぉぉぉぉっ!!」



 腹の底から雄叫びを上げ、何千回も何万回も繰り返してきた動作を行う。

 その全ては無意識であり、どうしてそうなったのか分からない。


 それでも俺の体は勝手に動き、渾身の力を込めて『突き』を放つ。


 父にいなされ、エリスに払われた俺の突きは、眩い光を放ち、轟音と共にキマイラの腹に突き刺さる。



 初めに皮膚を。次に筋肉を。そして内臓を突き破り、骨までをも貫き砕く。

 そうして抜けた剣先は、まるで竜巻を纏っているかの様に捻れ、魔獣の体に巨大な風穴を開けた。




 剣が突き抜けた後、そこに残っていたのは真っ二つに裂けたキマイラの残骸と、返り血で血塗れになった四人の騎士だけだった。





 ◆◆◆◆◆





 足を砕かれたジョセフをダニエルが背負い、軽傷を負ったエリスに俺が肩を貸して森を出る。


 そこには、俺達の帰還を信じて待っていた遠征部隊がいた。


 負傷したシグレを治療し、突入の準備をしている者がおり、周りの警戒にあたる歩哨がいる。


 最初に俺達を出迎えたのは驚き。そしてどよめきが次第に歓声に変わる。



「お、お前たちっ……! よくぞ、よくぞ無事で戻ってきてくれたっ……!!」


 シグレが涙を堪えながら俺達に声を掛ける。


 決して無事ではないんだけどな……。

 そんな事を思いながら部隊の皆に近づいていった所で、俺の足は急に自分の体を支えられなくなる。


「アレク、アレク!! 大丈夫!?」


 急いで俺を抱き起こすエリス。



 ……ああ、俺は大丈夫だ。ちょっと疲れただけだ。

 だから少し休ませてくれ。




 そんな事を口にしたつもりだった。だが、それはエリスには伝わっていなかったのかも知れない。

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