第13話 貴族令嬢 エリス参上

 その日の晩はあっという間に眠りについた。

 普段から訓練はしているが、父との手合せは想像以上に体に負担を掛けた様だ。


 翌朝目が覚めると、今度は身体中を筋肉痛が襲う。ここまで酷い筋肉痛は久しぶりだ。

 痛む体をおして湯浴みをする。

 温かな湯で暖められた体は、幾分かマシになった。


 風呂を出て、父と母と共に朝食をとる。そこで父から唐突に告げられた。


「アレク、今日もお客さんが来るから、お前も同席しなさい」


 父宛に来る客で同席を求められる事は滅多にない。

 その滅多にない客は、何人かしか思いあたらないので、俺は誰が来るのかを何となく悟った。


「ミルヒシュトラーセ公爵家の方々ですか?」


 父は黙って頷く。服装や化粧からすると、どうやら母のナルニアも同席するようだ。


 はぁ。俺は自然とため息を吐いていた。それを見咎められて母に厳しい視線を向けられるが、俺は何事も無かったかの様に食事を再開した。視線にも気付かなかった事にした。


「それで、何時頃ミルヒシュトラーセ家の方々は来られるのですか?」


「昼頃に着くから、昼食を共にしようとの事だ。それまでに準備をしておくように」


 父は淡々と告げて食事をとり終わる。

 仕方ない、来ると決まっているのであればどうしようもない。

 もっと早く知らせなかったのは、俺が何かしら理由を付けて姿を眩ますのを阻止する為だろう。


 憂鬱な気分になりながら、自室に戻る。

 今日は元々は軍事の学習をする予定だったが、こんな気分の日に部屋に籠ると余計に陰鬱な気持ちになってしまう。

 予定を切り替えて今日も体を動かす事にしよう。


 部屋着から運動着に着替えて中庭に出る。

 昨日のハードワークで体は辛いが、軽く準備運動をしていると段々とほぐれてきて、違和感なく動くようになる。


 汗が軽く滲む程度に体を動かした後、昨日と同じく模擬剣を握る。

 今日はベルフがいないので、主に仮想の敵と据え付けられた棒や板へ剣を振るう事になる。


 俺は暫くは憂鬱なことなど忘れて、剣を夢中で振り続けた。



 ◆◆◆◆◆



 ――ふぅ。


 訓練で掻いた汗を手でさっと払う。すると、突然背後から声を掛けられる。


「うんうん、素晴らしい剣技だね。ちょっと直線的で動きは固いけど、それを補って余りある速さと力強さだ。流石だね、アレク」


 うちの家、フリューゲル侯爵家の中庭に続く渡り廊下。その屋根の上に突如現れた怪しい人物。


 木陰に隠れて見えにくいが、豪奢な刺繍の施された真っ白なローブ。それを目深に被り、その人物はえいっと言う小さな掛け声と共に屋根から飛び降りる。


 飛び降りる時に勢い余って木立に突っ込む。ガサガサっという音を立てながらそのまま落下してきた。


 多分、恐らく、いや、間違いなくアイツだ。

 そいつはスッと立ち上がり、何事もなかったかの様に俺の前まで来ると、ローブを外した。




「久しぶりだね、アレク。元気してた?」



 白磁の様な肌、くすんだレッドブロンドの髪、通った鼻筋にパッチリと見開かれた目。……そして純白の下着しか纏っていない下半身。

 どこからどう見ても美少女だが、非常に残念なコイツは、ミルヒシュトラーセ家の一人娘、所謂貴族令嬢のエリスだ。



「何故お前がここに居るんだ、エリス。そして下を履け。丸出しだ……」


 俺の言葉でやっと自分の状況を理解した様だ。慌てて自分が履いていたズボンを探すと、再びローブを纏い、急いで履き始めた。


「……もうっ! 今のは忘れてよね! それで、今日は一家で訪ねるって言ってなかった? お父様もお母様も来るよ?」


「それは知っている。だがその肝心のミルヒシュトラーセ公爵も公爵夫人もまだ見えてないじゃないか。何故お前だけがここに居るんだ。しかも誰にも案内されずに……」


「ははー、そう言う事か。お父様もお母様も馬車なんか乗ってチンタラしてたから、ボクは途中で早駆けの馬を借りて一人で来たんだよ。それに昔は良くこうして遊びに来てたじゃないか。今さらそんな固い事は言わないでくれたまへよ」



 エリスはふざけた調子で話すが、恐らく全て本当の事だろう。

 昔は良く遊んでいたなんて、もう10年も前の話だ。今さら蒸し返さないで欲しい。


「それでお前だけ早く来たのか。で、何の用事でこの場所にいるんだ」


「あれれー、今日は冷たいねアレク。幼馴染に会うのに理由が必要かい? 敢えて言うなら、君の剣の腕前を見に来た、かな?」


 抜け抜けと言いやがって。幼馴染なのは間違いないが、俺はこの女が苦手だ。

 コイツはこんな見た目で剣の腕が立つ。それこそ、下手したら俺よりも強い。



 俺は俺で努力をしているつもりだが、コイツには努力をしている跡が見受けられない。そんな奴が俺よりも強いという事実が気に入らないし、それを悪びれる事なく近づいて来るコイツ自身も気に食わない。



「気に掛けて頂いて光栄だ。だが今日はこの後の食事会の為にもう訓練はお終いだ。また今度だな」


「あらら、本当に連れないね。別にからかいに来た訳じゃないよ。折角だから少し付き合ってよ?」



 エリスはこちらの了承も得ずにローブを脱ぎ、模擬剣のもう一振りを手に取る。

 ローブの下は如何にも動きやすそうな服を着ており、長い髪を小洒落たリボンでポニーテールにすればエリスの準備は完了する。


「エリス、俺だって男だ。ふざけてでも剣を向けられれば戦わざるを得ない。怪我をしても知らんぞ」


「望むところだ! さあ、どんと来いアレク!」


 満面の笑みで威勢良く応えるエリス。立場が逆だろう、とも思わないでなかったが、剣を向けられて黙って居られる程大人ではない。

 俺は模擬剣を握り直しエリスに相対する。





 エリスの剣術は独特だった。非力な女性の筈なのだが、剣を片手で握っている。相手に対して半身で構え、常に体が動いていた。


「相変わらず変わった剣術だな。だが、いつまでも俺に通じると思うなよ!」


 俺は足を踏み込みながら剣を横から斬り払う。まともに当たればいくら模擬剣と言えども骨折くらいは免れまい。

 先手必勝の剣は、エリスを完璧に捉えた。


 エリスは自身の剣の腹で俺の剣を受けたかと思うと、次の瞬間には俺の手に当たった感触が無くなる。


 斬り裂いた!? いや、違う。エリスは当たった瞬間に回転をして、俺の剣を完璧に受け流した!

 その回転力を使い、エリスの剣が俺の頭部目掛けて振るわれる。


 女性の剣と侮るなかれ。回転力が加わった剣は凄まじい勢いで迫り、あわや直撃となるところだった。

 間一髪で避けたが、文字通り避けきれなかった髪の毛が宙を舞う。


 一瞬の攻防の後、お互い距離を取り相手の出方を伺う。


「前のアレクだったら、さっきの一撃で終わってたよね。ちゃんと訓練してるんだね」


 エリスは嬉しそうに微笑む。

 くそ、ふざけやがって。正面から否定出来ないのが余計に腹立たしい。


「別にお前の為に訓練してる訳じゃない。俺には俺の夢があるからな」


「アレクの夢? それはどんな夢?」


「お前に教える様な夢ではない。俺が俺である為の目標だ」


「いいじゃん、教えてよー! なんで教えてくれないの?」


「夢は人に言うものではないからな。努力の結果で叶えるものだ」


「そっか、分かった。じゃあボクはこの訓練に勝てる様に努力するよ。だから、ボクが勝ったら教えてくれる?」


「……良いだろう。お前が、俺に勝て、たら、な!」


 俺は言いながら斬撃を叩き込む。一度でダメなら二度でも三度でも。


 エリスは俺の剣を正面からは受けず、刃を滑らせて無力化していく。それでも俺は幾度となく剣を振るう。エリスに反撃の機会を与えぬ様に、エリスの死角を攻撃し続ける。


 これにはエリスもタダでは済まないだろうと思っていた。だが、エリスも黙ってはいなかった。

 幾重にも放たれた俺の斬撃を全て受け流し、その力を回転の力に変える。


「じゃあボクも本気だよ! 喰らえ、九連撃ノインブリッツ!!」


 エリスは、身体と腕をしならせながら剣を振るう。

 女性特有の柔軟性を存分に利用した剣は、まるで鞭の様にしなり、唸りを上げて迫ってくる。

 頭・首・鳩尾・丹田・手首・肘・膝・足首。

 体の急所を正確に突いてくる攻撃は、一つでも避け損なえばその時点で勝敗は決まる。


 俺は腰を落とし、その攻撃をしっかりと見定める。

 膂力で劣るはずのエリスの剣は、回転としなりの力を使い、並の男の剣では及びもしない威力を誇る。

 一、二、三、四……。俺は一撃一撃を確実に凌ぎ、その全ての攻撃が終わってから反撃をする為の準備をする。


 後一撃、これを凌げば……!


 その時、最後の一撃が急に軌道を変える。

 本来頭部に来るであろう剣は、予想をしていなかった手首目掛けて振るわれる。

 それに対応出来ず、まともに手首に剣を受けてしまい俺は剣を取り落としてしまった。


 俺の首筋にそっと剣が添えられる。


「はい、ボクの勝ちー! アレクは悪い癖が治ってないね」


 ……悔しい。悔しさと怒りで俺は体が震える事を止められなかった。だが、声だけは冷静を装いエリスに返答する。


「俺の悪い癖……?」


「そう、アレクの悪い癖。アレクはボクの最後の一撃、この後に反撃しようとしていたでしょう?」


 無言で頷く。


「それで、最後の一撃を受ける瞬間、体が次の動きの為の準備をしてた。それ自体は悪い事じゃないんだけど、攻撃を受ける前に動いてる。だから予想とズレると対応出来ない。簡単に言うと油断だね」


 昨日の、父との特訓の時と同じ事を言われ俺は言葉に詰まる。


「だからボクはアレクの頭から手首に狙いを変えたんだ。さっきの連撃は昔アレクに見せていたし、対応されるとも思ってたしね。でも流石だったね。一度見ただけの技でもちゃんと対応出来ていたもんね」


 当たり前だ。前にこの技を喰らってコテンパンにされてから、俺はしばらく怒りで夜も眠れなかった。いつか来るべき時の為に俺は必死に練習をしていたのだから。


 しかし、その練習も全て無駄だった。俺はエリスの手の平で踊らされていただけなのか。


 俺は体がワナワナとしていたが、エリスはそんな事気にもせず話しかけてくる。


「じゃあ、約束通りアレクの夢を教えてよ。ボクの夢も教えてあげるからさ」


 俺の隣に座り、にっこりと微笑みかけてくるエリスは、今の今まで戦っていた事なんて嘘だったかの様だ。




「……約束だからな」



 悩みに悩んだ末、渋々ではあるが、俺は自分の夢を話した。




 俺の夢は騎士になる事だ。強く、正しく、誇り高く。何物にも屈せず、忠義の為に主に尽くす。


 俺は小さい頃から父の背中を見て育った。父はまさに理想の騎士だった。母を守り、国を護り、そして俺の事も温かく見守ってくれていた。


 そんな父に憧れて、俺は騎士になる道を目指した。



 そんな俺の夢を、エリスは笑う事もせず真面目に聞いてくれた。


「そっか、アレクが騎士になりたいと思ったのはそういう理由だったんだね」


「俺が騎士になりたいという事を知っていたのか?」


「知ってるも何も、見てれば分かるよ。事あるごとに騎士だなんだって言ってるし、逆に知らない人はいないんじゃないの?」


 そうだったのか……。俺は自分の普段の行いを思い返して赤面した。


 確かに行動の規範となるものは王国騎士団であったし、何か悩む時は、騎士ならばどうする、と考えてはいた。

 だが、まさかそこまで顕著に現れているとは……。


「そんなに深く考えなくていいんじゃない? 普段のアレクはピリッとしててかっこいいよ?」


 エリスの慰めは、本音なのか憐みなのか。それすら今の俺には分からなかった。


「でも、アレクは何を守る為に騎士になるの? もしかしてボクの事? だったら嬉しいな」


 またしてもエリスは俺をからかう。


 ただ、確かにそうだ。俺は何を守る為に騎士になりたいのだろう。今まで騎士になりたいとは思っても、何かを守る為に騎士になるとは考えた事はなかった。

 果たして俺は何を守る為に騎士になりたいのだ……。



「じゃあ、アレクが教えてくれたからボクの夢も教えてあげるね。ボクはね……」




 自分の考えに耽ふけっていてエリスの事を忘れていた。だが、どうせ大した夢ではないだろう。俺は冷めた目でエリスを見やる。



「冒険者になりたいんだ!!」




 今日一番の笑顔でエリスは俺に告げる。

 突拍子の無い言葉に俺は二の句が継げなかった。

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