第二部 アレク=フォン=フリューゲル

第12話 アレクという男

 真っ青な空に剣がぶつかる音が響く。それに合わせて激しい呼吸の音が聞こえてくる。


「ハァハァハァっ。まだまだっ……」


「アレク様、今日はここまでに致しましょう。また明日、お願い致します」


 警備隊長、兼、剣術指南役のベルフはそう言って模擬剣を置く。


「ベルフ、俺はまだ出来る!」


「アレク様、そろそろお屋敷にお客様が見える時間です。警備隊長の私がいなくてはご主人様への無礼にあたります。ご承知下さい」


 ベルフに言われて俺は渋々納得するしかなかった。

 今日もベルフから一本も取る事が出来なかった。刃を潰した模擬剣を使い、2時間程実戦形式の訓練を行っていたが、後一歩の所で俺の剣はベルフに届かない。


「分かった。ベルフ、今日も有難う」


 俺は肩で息をしながらベルフに礼を言う。ベルフは一礼をして屋敷の中に消えて行く。


 ベルフが居なくなった後も、俺は屋敷の中庭で剣を振るい続けた。架空の敵を目の前に想像し、剣を振り、突き、払う。

 延々と続く架空の敵との戦いは、バランスを崩し俺が転ぶ事で決着する。



 仰向けになり、空を見上げながら呼吸を整える。

 このまま訓練を続けて行けば強くなれるのだろうか。いつかは父のいる騎士団へと入団出来るのだろうか。

 どうすれば、何をすれば。



 思考の迷路は疲れた体を遠慮なく襲ってくる。

 やがて俺は屋敷の中庭で寝息を立ててしまっていた。



 ◆◆◆◆◆



 暫くして、メイドに起こされた。


「アレク様、ご主人様がお呼びです。どうぞお屋敷の方へ」


 昼寝をしていた俺は、頭がすぐには追いついてこない。しかし、この時間に父に呼ばれる事は珍しい。来客があると聞いているが、それほど急用なんだろうか。


 俺は黙って父の部屋へ向かう。


「父上、アレク参上致しました。入ってもよろしいでしょうか」


「アレク、入りなさい。そんなにかしこまる必要はない。私と二人だ」


 そっと扉を開き部屋に入る。来客に対応していたはずだが、その客の姿は見えなかった。そこにはソファーで紅茶を飲んでいる父の姿があった。


「そこに座りなさい」


 特に怒ってる訳でもなさそうだ。父に促されて向かいのソファーに腰を掛ける。

 メイドが俺の分の紅茶を運んだ後に、こちらから声をかける。


「父上、何かご用でしょうか」


「いや、今来客の対応が終わったのだ。それでアレクが中庭で倒れているのが見えてな。そのお客さんにもお前が寝ているのを見られてしまったよ」


 父の言葉にはっとして、耳が熱くなる。

 訓練の後の休憩ならともかく、うたた寝している所を見られたとなるとバツが悪い。


「これは失礼いたしました、父上……。以後充分に注意致します故」


「何、そんな事気にする必要はない。客もそんな事は何も言っていなかった。それより、どうだ。訓練は順調か?」


 どういう事だ? 息子が昼寝している所を客に見られて気にしないなど、今までの父ではあり得ない。

 ただ、今は詮索出来る雰囲気ではなさそうなので、とりあえず話を合わせる。


「ええ、順調かどうかはベルフに聞きたいところですが、毎日ベルフと訓練は続けております。ベルフ相手に一本も取れませんので、実力がついたかどうかは定かではありません」


「そうか、それもまた仕方あるまい。ベルフは王国内でも屈指の使い手だからな。どうだ、まだお前に余力があると言うならば、今から私と手合わせするか?」


 意外な提案に驚いてしまうが、ここは是非受けさせて貰いたい。


「父上にご指導頂けるのであれば是非もありません。宜しくお願い致します」



 こうして急遽、父からの申し出により特訓が決まった。


 俺の本音で言えばこれは非常にありがたい。

 なにせ父、ノイシュ=フォン=フリューゲルは王国騎士団の中でも精鋭が選りすぐられた近衛騎士団、その団長を務めている。騎士団員は全員ギルベルト流剣術の使い手であり、代々近衛騎士団の団長はその師範を仰せつかっている。

 いくら息子と言えども滅多な事では手合わせ出来ない。


 勝てるとは思わないが、せめてこの手合わせで一つでも多くの技や技術を盗みたい。

 俺は先程ベルフと訓練をしていた中庭に戻り、模擬剣を素振りして父を待つ。


 暫くすると、ガシャガシャと音を立てながら近づいてくる父の姿が見えた。


「……父上、その格好は……」


「うむ。近衛の甲冑は無理だったが、その昔の甲冑を持ってきたのだ。これでお前も遠慮せずに打ち込めるだろう?」


 父は王国騎士団の甲冑を纏っていた。兜は付けていないが、その他の部位は全て身に付けている。

 対して俺は簡素な胸当てと肘・膝当てのみだ。


 防御の面では当然父に有利だが、甲冑は重さが半端ではない。

 身軽な俺と戦ったら、如何に父と言えども俺を捉えられないのではないかと、そんな考えが頭をよぎる。


「父上、本当に宜しいのですか?」


「勿論だ。息子相手に遅れを取る私ではない。勝てると思うのであれば、隙をついてでも全力で来るがいい」


 その言葉に、俺は腹を決めて父と相対する。

 模擬戦とは言え、相手は国内随一と名高い近衛騎士団長。向かい合うだけでその威圧に押し潰されそうになる。


 こんな所で立ち止まる訳にはいかない。俺は絶対に騎士団に入るんだ!!


 腰を落とし、自然な動作で体重移動を行う。その流れのまま父に対して踏み込む。

 無駄な動きの一切無い、強烈な突きを鳩尾にお見舞いする。


 ――これは決まるっ!


 自身の剣が父の鳩尾に入る瞬間、父の剣がスルリと間に割り込む。


 ……何っ!? 一体この剣は何処から出てきたのか。今の今まで自然体で構えていた父は、俺のこの動きに反応していなかったではないか。


 止められた剣はそのまま後ろに流され、バランスを崩した所に父の回し蹴りを喰らう。

 俺はそのまま後ろ手に尻餅をついてしまい、その失態を挽回すべく直ぐに立ち上がる。


「アレク。お前の剣は強い。並みの男では太刀打ち出来ぬだろう。しかしお前はすぐに慢心する。私のこの姿を見て、お前は勝てると思ったのではないか?」


「い、いえ! そんな事は……」


「そうか。しかし私にはお前の慢心が見えた。そうでないと言うならば、その実力をしかと私に見せてみよ」


 次の瞬間、父は剣を両手に構えて上から大きく振り下ろす。

 一見隙だらけの攻撃だが、その一つ一つがとんでもない速さで行われており、こちらから手を出す余裕などない。

 ギリギリの所でかわすと、剣の余波で地面が抉れていた。


「父上……、本気なのですね。ありがとうございます! では、……参ります!」



 ここに来て父が本気だと気付き、こちらも全力で対処する。

 俺の本気と父の本気、結果は火を見るより明らかだが、それでも何処まで通用するか試したかった。そして、父にどの様に評価されるのか聞きたかった。





 ──剣戟は、形だけは5分程続いた。


 パッと見ると打ち合っている様に見えるが、その実、父に打たされているだけだ。そしてこちらは父の攻撃をかわすのに精一杯だ。


 父の剣は凄まじく重く、一度剣で受けようとしたら、そのまま剣ごと押し切られそうになった。

 なのでその後は全て避ける事にしたが、その剣速も尋常ではなく、全力で回避してなんとか紙一重で避けているという状況が続いている。


 しかし、この状況も間もなく終わる。どんどんと速くなる父の剣に、俺の体が反応し切れなくなってきた。

 刃はないので切れはしないが、それでも刃の触れた跡は真っ赤に腫れ、体に幾重にも痕跡を刻みつける。

 頬に、腕に、足に。体中あちこち傷が出来た頃、最後の一撃を喰らう。


 最後の一撃は拳だった。

 鬼気迫る父の握った拳が、俺の胸当てにゆっくりと触れる。


 ──トンっ


「よし、今日はここまで。お疲れさん。だいぶ強くなったな」


 父としてか、騎士団長としてか。


 少しだけ褒められた俺は極度の緊張から解放され、そのままその場に仰向けに倒れて、大きく息を吐いたのだった。

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