第10話 〜ハクトとクラリスの修行と日常・中〜

 王都を出て二日が経った。

 僕達は馬車の後ろについて歩いてるだけだ。街道も整備されているし、道が悪い訳でもない。

 天気も良いので、ただのんびりと散歩している様な錯覚をしてしまう。


 ……本当にこんなに楽な依頼でお金を貰っていいのだろうか。


 僕の想像していた警護の任務は、常にピリピリと空気が張り詰め、夜になれば野盗や国の秘密組織から襲撃され、命がけのやり取りの末に目的地に辿り着く、そんな事を考えていた。


 だが、実際は全くそんな事はない。

 イルモ率いる警備隊が全て仕切ってはいるが、休憩もあるし夜も夜営をしなくていい。焚き火はそれぞれの組に対して起こしてくれるので、大人数で炊き出しをしている感覚だ。


 今回の依頼は、イルモ達を除いて酒場経由で5組参加しているみたいだ。

 最小は僕らの二人で、多い組は8人で来ていた。



 夕食の時、クラリスが街の雑貨屋で買った物を得意げに出し始めた。昨日は出していなかったがどうしたのか。


「ふふん、ハクト君、これが何か分かるかな?」


「えっと……、鍋、ですよね?」


「そうさ、鍋さ! 私達は、私達だけは旅の寂しい食事を納得出来る質にしようじゃないか」


 そう言って鍋やら何やらを背嚢から取り出す。

 一通り出し終わってから、調理を始めた。


「なんで昨日は出さなかったんですか?」


「少しは寂しい食事をする事で、この食事がより美味しくなるだろうからね」


 魔術で鍋に水を満たし、その中に干し肉や干し野菜を入れて行く。最後に小瓶を振りかけて、そのまま焚き火の上にくべる。


「その小瓶は……」


「これはね、調味料だよ。塩と胡椒、その他諸々この小瓶達に入れて持ってきたのだよ!」


 なんと……! あの小瓶は調味料だったのか。貴重な調味料を惜しげもなく振りかけて、鍋はぐつぐつと音を立てて煮えていく。


 次第に辺りに良い匂いが漂ってきた。他のパーティーの人達もこちらの事を気になる様だ。



「うわぁ、美味しそう! 凄いですね、流石ですよクラリスさん!」


 鍋は、干し肉と野菜のダシがタップリと効いたスープになった。夜になり、気温も下がって来たので温かいスープがありがたい。


 素直に称賛を贈ると、クラリスは胸を逸らしてその賛辞を受け止めた。


「ハクト、ちょっと待つんだ! スープはそのままでも勿論美味しいけど、そうじゃないんだ。パンを出してごらん」


 そう言われて堅焼きのパンを目の前に出す。クラリスはそれを受け取ると、力を入れてグッと千切り、少しずつスープに入れて行く。


「……こうすると、堅いパンだからこそ沢山のスープを吸って、とても美味しくなるんだ」


 堅いパンがスープを吸って柔らかくなり、肉や野菜の旨味が染み込んだ珠玉の逸品となっていた。


「お、美味しい! 凄い美味しいですよ、クラリスさん! こんなに美味しいスープは食べたことないです」


 思わず大声で言ってしまった。皆、さもしい食事をしているので、周りのパーティーからの視線が痛い。

 だが、褒められたクラリスは満更でもなさそうだった。


「ハクト、そんなにハッキリ言われると照れる。いくら私でも、そんな突然お嫁に来て欲しいと言われたら考えてしまうよ」


 あれ? そんな事言ったかな……。何かクラリスは勘違いしている様だが、今は触れない方が良さそうだ。僕は目の前のスープに集中する事にした。





「……ふぅ、美味しかった。ご馳走様でした。クラリスさん、ありがとうございます」


 僕とクラリスは食べ終えて一息つく。少し残して、明日の朝また温めれば朝食もスープを飲めるのでありがたい。


 依頼は順調そのものだし、旅とは言え食事もクラリスが彩りを添えてくれる。こんな楽な仕事でいいのかとも思うが、それはそれだ。

 依頼はともかく、僕は今後に繋げられる様に旅での効率良い作業をクラリスに教えて貰おうと考えていた。


「さあ、今日は特にする事もないから明日の為に寝てしまおう。いつ何が起こるか分からないからね。休める時に休む、旅の鉄則だよ」


 クラリスの言う通り、いつ休めなくなるかは分からないのだ。なので食事の後片付けを終えてから、早めに僕達は就寝する事にした。




 夜営はイルモ達がしてくれるので、僕等は見える場所にいればそれでいい。クラリスと二人で焚き火の脇、その横に丸太を置いて丸太に挟まれる様に寝床を作った。




「……って、クラリスさん、近すぎません?」


「ん? そうかい? 丸太が狭いから仕方ないな」


「じゃあもう少し丸太を広げますか?」


「そうだな、私がやろう」


 そう言ってクラリスは丸太の位置を直すが、なんだか余計に近くなった気がする……。




「これでよしっと」


「いやいやいやいや、さっきより近いじゃないですか!」


「そんな事はないさ! 君は結構細かいんだなぁ。仮に丸太が近くなって、私との距離が近づいたら君は嫌なのかい?」


「……そんな事は、ない、ですけど……」


「ならばいいじゃないか。あ、後私の事はクラリスと呼んでくれ。君に養って貰ってるのにいつまでもそんな、さん付けなんて他人行儀な呼び方はやめて欲しいな」


「えっ、でも」


「嫌なのかい?」


「そんな事ない、です……」


「ん。敬語もいらないよ。じゃあお休み、ハクト」


「お、おやすみなさい、クラリス……」



 いつもよりクラリスとの距離が近い! クラリスの寝息と香りで僕が寝付けなかったのは言うまでもない。




 ◆◆◆◆◆





 翌朝、いつもより早く起きた僕達は昨日のスープを温め直して朝食を取っていた。

 その匂いにつられた訳ではないだろうが、他の面々も起き始めて各々準備をしている。


 今日も天気は快晴だ。上手くすれば明日には目的地に辿り着く。このまま何もなく終わればいいけど、でもなんだか物足りない気もする。

 そんな事は考えてちゃいけないんだろうけど、剣士を目指しているからにはやはり少しは自分の腕を確かめたくなる。







 ――――その日の夜、僕がそんな事を思ったからか、僕達は危機に直面する事になる。





「もっと広がれっ! 囲まれるなっ!! 散開しろっ!!」


 暗闇の中でイルモの怒号が響き渡る。あちこちで金属同士がぶつかる音や悲鳴が木霊する。今、僕等の隊は野盗と思われる一団に襲われていた。


 野盗は非常に統率のとれた動きで僕達を追い詰める。大きな円をじわりと窄すぼめ、あぶれた者を各個撃破していく。そうして僕達は仲間を一人、また一人と失っていった。




「クラリス、どうしよう!?」


「慌てないで。今は相手の動きを良くみて。アイツ等は多分追い剥ぎとは違う。何か目的があるはずだよ」



 クラリスの冷静な声で心が少し落ち着く。


 アイツ等の目的……。野盗が隊商を襲うなんて、その荷物以外に目的はない。それは分かる。でもクラリスはそれ以外の目的があると感じているみたいだ。


 そうこうしている内に僕達も戦闘に巻き込まれる。相手は二人、野盗に似つかわしくないロングソードを持っていた。


 僕とクラリスはお互い背中合わせになり野盗達と対峙する。ジリジリと距離を詰めて来て、時折牽制の様に剣を振るってくる。



「さあハクト、君はどうする。こいつらを倒せるかい?」



 妙に緊迫感のない声でクラリスが問いかける。恐らくこれは僕にこいつらを倒せと言っているんだと思う。果たして僕に倒せるのか……。


 僕は刀を抜き構える。相手も僕が抜刀した事で警戒したのか、先程までの牽制は辞めて、持つ剣に力を込める気配がする。



 お互いに切っ先を向け睨み合う。その睨み合いはほんの一瞬だった。


 相手の体が僅かに揺らぐ。僕はその隙を突いて刀を勢いよく突き出した。

 暗闇の中、細身の刀身は相手の視界を掻い潜りその胸元まで真っ直ぐに闇を切り裂いた。


 そして、一瞬だけ感じる硬い感触。それは相手と僕の距離を取らせるには十分な感触であった。




「刺さらない!?」




 真っ暗な中では相手の装備は確認しにくい。外套を被っており、顔すら良く見えないが、恐らくあの外套の下は鎧を着ているのだろう。まさか野盗が鎧を着ているなんて……。



 僕の突きが胸元に当たった事で、二人の野盗はより慎重に間合いを取り僕等に対峙する。



 僕らが戦っている間にも戦況は悪い方向に進んで行った。さっきまで聞こえていた悲鳴も、だんだんと呻き声に代わり、遂には聞こえなくなっていく。



「クラリス、どうしよう。イルモさんはどうなってるんだろう」


「ここからじゃ彼らの様子は分からない。一度引いた方が良さそうだね」



 そう言って自身の杖に魔力を宿すクラリス。それはそよ風を起こし、次第に突風へと変わる。巻き起こった突風は竜巻となり僕らと戦っていた二人を彼方へ吹き飛ばす。



「ハクト、一度森に隠れよう」


 暗闇の中で廻りは良く見えないが、一度戦況を確認する為に人気のない森へ二人で隠れる。





 森の入り口にあった大木の袂にしゃがみ込み、気配を消して戦場を見渡す。



「あぁ……、なんでこんな事に……」



 僕の目に飛び込んで来た様子は、野盗達に隊商が蹂躙されている姿だった。


 所々松明を持った男達がおり、その周りでは剣を振るう男達が見えた。

 とある影は、膝をついている者とその脇に立っている者の様に見えた。立っている影が剣を振るうと、膝をついている影の首はポロっと胴体から転がり落ちる。



「……イルモさん達は無事なんだろうか」


「あの馬車の近くで沢山の気配がする。恐らくそこにいるだろうから、急ごう」



 クラリスと二人で再び気配を消して馬車に近づく。そこでは今まさに死闘を繰り広げているイルモ達がいた。


 とはいえ、イルモ達は苦戦していて、今にも負けそうだ。野盗は二人一組でイルモ達を相手取っており、僅かな隙を見つけて攻撃を仕掛ける。先頭に立って戦っているイルモも血塗れだった。



「っ! 助けなきゃ!!」



 慌てて飛び出そうとする僕の腕を、クラリスが掴み強引に引き寄せる。


「なにをするんだっ! 早く助けなきゃイルモさん達が!」


「ちょっと待つんだ。君が単身乗り込んでも状況は変わらない。君も一緒に死ぬだけだ。私がなんとかする」


 そう言ってクラリスは再び杖を握り魔力を込める。今度は氷の魔術だ。鋭く、透き通った氷の柱をいくつも創り、全てを同時に放つ。



「ぐあっ!」



 氷の柱は一直線に軌跡を描き、野盗の胸に、脚に突き刺さる。突き刺さった氷柱は確実に野盗の行動力を奪い、遂にそこで立っている者はいなくなった。後に残るのは呻き声だけだ。



 僕は急いで駆け寄り、負傷者を庇いながら野盗と向き合う。だが、向き合った途端に野盗はこちらを警戒しながら、動ける者が仲間の負傷者を背負い、足を引きずりながらも闇夜に紛れて消えてしまった。




「……逃げられた」


「そんな事より負傷者の救護、急いで」



 クラリスに促され負傷者を助けにいく。皆馬車の脇でうなだれており、言葉を発する者はいなかった。


 負傷者の救護をしながら、状況を確認すべく慌ててイルモを探す。そうして見つけたイルモは、馬車の脇で横たわり瀕死の重傷だった。体中あちこち傷付き、片目は潰れている。よくこの体で戦っていたものだ。



「イルモさん! 大丈夫ですか!? 敵は全て追い払いました、もう平気です!」


「……あ、あぁ。ハ、ハワードさんを……」


 そう言ってイルモは目を閉じる。身体に力はなく、もう長くはないのかも知れない。


「クラリス、どうにか出来ないの!?」


「……もうやっている。どうにか出来るならとっくにしている」


 イルモの脇に静かに寄ってきたクラリスに問いかけるも一蹴されてしまった。一見非情に感じるが、クラリスは傍にきてすぐ治癒魔術を施していたらしい。それでもダメならば、イルモの生命力がもう既に終わりを迎えつつあるという事だ。クラリスを責めるのはお門違いだ。



「とりあえずハワードさんの確認を……」



 イルモをクラリスに任せ、僕はハワードを探す。

 外にハワードは見当たらないから、恐らく馬車の中にいるんだろう。

 廻りの気配を確認した上でゆっくりと馬車に近づくと、馬車の中に人の気配がする。



「ハワードさん、ハクトです。野盗は去りました。大丈夫ですか?」


 そう声をかけてから馬車の扉を開けようと手を掛ける。すると突然勢いよく扉が開け放たれ、ハワードが転がり出てきた。


「だ、だ、だ、大丈夫だ! 私は平気だ! イルモはどこにいる!?」


 出て来るなり叫ぶハワード。既に野盗はいないのに、どうしてこんなに焦っているのだろう……。


「イルモさんなら、そこに。ただもう……」


 僕の指差す先にいるイルモに、慌てて駆け寄るハワード。ピクリとも動かないイルモを見て、傍から見ても分かるくらいガックリとうなだれた。


「私は、私はどうすれば……」


「ハワードさん、しっかりして下さい。この隊の頭はあなたです。進むか退くか、ハワードさんが決めて下さい」


 静かに近寄ってきたクラリスが冷静にハワードに問い掛ける。少し冷たい気もするが、クラリスの言う通りこの隊の頭はハワードだ。

 ここで判断して貰わないと、いつまた先程の野盗が現れるか分からない。次もまた勝てる保証はどこにもないのだ。


 ならば、なるべく速やかに行動を起こさなくてはならない。僕達はじっとハワードの言葉を待つ。



「無事に……、無事にブラーゼへは辿り着けるのだろうか」


「保証は出来ませんが、精一杯の努力はします。何人生き残っているのか確認をして、動ける者だけでも出発はした方がいいと思います」


「わ、わかった。君達に任せるから、私をブラーゼまで連れて行ってくれ……」


 ハワードは力なく僕達にそう告げ、自らは馬車の脇に腰を下ろした。




「では、こちらの確認と準備が出来次第声をかけさせて貰いますので、出来ればこの近くから離れない様にしてください」


 クラリスの言葉にハワードは無言で頷くと、そのまま俯いて黙ってしまった。



「ハクト、君はここでハワード氏の警護に当たって欲しい。いつ襲われるか分からないから気を抜かない様に。もし襲撃があれば大声で呼んでくれ」


 言いながらクラリスは松明を持ち負傷者の確認にあたる。警備隊及び酒場からの依頼者で僕らを含めて25人程いたはずだ。本当なら僕も一緒に確認した方がいいのだろうが、だが今ハワードの近くを離れる訳にはいかない。


 僕は腰を下ろすハワードの横に立ち、周辺の確認を行っていた。


「……こんなはずじゃなかった。どうしてこうなったんだ……。誰が裏切ったんだ……」


「? ハワードさん、どうしたんですか?」


 僕の横でハワードがしきりにブツブツと呟いている。気になって声をかけてみたが返事はなく、彼は暗闇の先を焦点の合わない目で見つめていた。



 果たしてこの依頼を無事に成し遂げる事は出来るのだろうか。

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