第5話 美少女との契約

 クラリスと別れ、自分の部屋に戻る。


 昨日の夜はベンタスと一緒に泊まった部屋だ。ベンタスの荷物はそのままだけど、その持ち主はもう居ない。


 ……実感が湧かないけど、でも現実だ。今だけはその事は考えない様にしよう。少しでも気を抜いてしまうと、ベンタスとキャロルの事で押し潰されて、そのまま二度と立ち上がれなくなる気がする。



 一人でベットに腰掛けて、今後の事を考える。


 果たしてこれからどうするべきか。

 ベンタスとキャロルの遺品を持って村に帰るか。このまま王都で剣士を目指して一人で頑張るのか。


 ベンタスなら何て言うかな。キャロルだったらどう考えるかな。僕の思考はグルグル回り、中々抜け出せない。


 ふと自分を見ると、森の中で探索した時のまま泥だらけな事に気が付いた。

 このまま此処にいても考えが纏まらないので、まずは体を洗おうと、宿で風呂を借りに行くことにした。






 ◆◆◆◆◆





 風呂から上がり部屋に戻る。

 汚れを落としさっぱりさせると、より強く孤独を感じる。側にいた大柄な少年も、背伸びをしたがる可愛い少女もいない。気分を変えるつもりが、さっきよりもより静かに深いところに来てしまった気がする。


 ……僕はどうなるんだろう。どうしたらいいんだろう。思考の迷路は僕の足首を掴んで離さず、奈落の底に引き摺り込む様だ。


 気が付けば空は白み、この王都には変わらぬ朝が来る。友と一緒に迎えられなかった朝。これからは一人で迎えなくてはならない朝。

 僕は1日の始まりが堪らなく嫌いになりそうだった。


 ずっとそのままでいたかったが、体は生命活動を続けている。昨日から何も食べていない事に気付き、気乗りはしないが宿で出している朝食を貰いに行く。



 食堂へ向かう途中、クラリスとすれ違う。


「やあ、ハクト。おはよう。これからどこか出かけるのかい?」


「おはようございます、クラリスさん。昨日はありがとうございました。僕は朝食を貰いに行くだけですよ」


「そうかい。なら良かったら外に食事でも行かないか? 王都で人気のお店があるんだけど」


 「あの、とてもありがたい申し出なのですが……。今日は遠慮させて貰ってもいいですか。また今度、是非」


 そう言ってクラリスの返事を待たずに僕は目を逸らして食堂の中へ向かう。

 命の恩人に申し訳ないとも思う。でも、でも今はどうしてもそういう気分にはなれなかった。どことなく視線を感じるのは、きっとクラリスの物だろう。本当にごめんなさい。




 そうして、僕は3日程宿に引き籠った。朝と晩に食堂へご飯を取りに行くだけの生活をした。

 部屋に一人でいると、突如襲いくる魔物の恐怖や、ベンタスとキャロルとの事を考えて眠れなかった。体は辛いのに、頭が痛いのに、僕は眠る事が出来なかった。



 引き籠って3日目の夜、宿の食堂で久しぶりにクラリスとすれ違う。


「やあハクト。君はちゃんと寝ているかい? 食事はちゃんと取れているかい?」


「こんばんは、クラリスさん。ええ、まぁ……。多分大丈夫です」


「その感じだと、あまり芳しくないね。どうだい、この間誘ったお店に食事でもいかないかい?」


「えっ、でも……」


「それとも、私と一緒に食事は嫌かい……?」


 切なげな目でクラリスは見つめてくる。正直に言えばそんな気分ではなかったが、この間も断ってしまっているし、命の恩人からそんな目で見られて断れる訳はなかった。


「い、いえ、そんな事ないです。気を遣って貰ってすいません。じゃあ是非ご一緒させてください」



 僕は一度部屋に戻り、急いで準備をして宿屋の受付に戻る。そこにはこの間と同じ茶色のローブを目深に被ったクラリスが待っていた。


「すみません、お待たせしました。クラリス…さんですよね?」


「ん。じゃあ行こうか」


 そう言ってクラリスは宿屋の扉を開ける。





 黙々と歩くクラリスに着いて街の中を進む。

 この時間でも王都は人出が多く、真っ直ぐ歩く事は出来なかった。


 暫く歩いて辿り着いた店は、余り大きくない、お世辞にも立派とは言い難い店だった。

 クラリスはまるで自分の家の様に、何も言わずに入っていっては個室の一角を陣取った。


「いいんですか、勝手に入って」


「うん、ここはこれでいいんだ。ここなら人目も気にならないしね」



 確かに部屋は個室になっているので、人目を憚る事はない。王都で人気という割には他に客もいないので、話す内容も気遣わなくて良さそうだ。



席に着き一息つけたので僕は気になっている事を尋ねてみた。


「あの、何で食事に誘ってくれたんですか?」


「ん? 特に深い意味はないよ。君が今にも倒れそうな顔をしていたからね。気晴らしになればいいかなって」


「……そこまで気を使って貰ってすいません。僕はクラリスさんにどれだけ恩返しをすれば良いのでしょうか……」


「本当にそんな事は考えなくていいよ。私の人付き合いの練習でもあるんだ。だからお互い様だろう?」


 冗談なのか本気なのか、クラリスはニコリとしながら首を傾げて僕を見てくる。

 でも、お陰で少し話しやすくなった。



 僕達は適当に食事を注文しながら言葉を交わす。

 すぐさま運ばれてくる食事。元宮廷魔術師が来るだけの事はある。一見変哲もない料理だが、とても美味しい。

 こんな些細な事なのにクラリスの優しさが心に染みてくるし、あの二人と来たかったなと切ない感情が押し寄せる。



 食事をしながら、僕は思い切ってクラリスに悩みを伝えてみる。今は誰でもいいから聞いて欲しかった。


「クラリスさん、あの、僕はどうしたらいいでしょうか。村に帰るか、王都で頑張るか悩んでます」


「……君はどうしたいんだい?」


「僕は……。出来れば王都に残って剣士になるべく頑張りたいです。でも……」


「でも?」


「色々考えてしまいます。ベンタスやキャロルの親に何て伝えたらいいのか。それと、仮に王都で頑張るにしても、今の僕のままじゃ仕事すらままなりません。依頼を受けて初日でこんな目に遭ってしまいました。これではこの街で生きていけない」



 クラリスは僕の言葉をたっぷりと咀嚼する。

 口に含んだ肉を飲み込んだ時、僕の言葉も一緒に飲み込んだのだろうか。クラリスの考えを教えてくれた。


「私は、君の友達とその親の事は分からない。だからそこはハクトが考えるべきだ。でも、王都での生活であれば心配する事はないよ。私が面倒を見よう」


「えっ? いや、それは流石に悪いです。それは受けられません」


「何故だい? 私は特に目的もなく錬金術師をやっている。人一人くらい面倒を見るだけの財力はあるつもりだよ?」


「お気持ちは嬉しいのですが、それでは僕はいつまで経っても剣士にはなれません。僕は街にパトロンを探しに来たのではないんです。剣士になる為に来たんです」


「……そうか、そうだったね。これは私が軽率だった。ごめんね。じゃあ、私が君の指導をしよう。剣は苦手だけど、魔術は得意だ。戦う経験ならそれなりにあるつもりだよ」



 王都に残る為のハードルを考えるとクラリスの申し出は非常に有難いのだが、果たしてそれでいいのだろうか。僕にとって美味しい話過ぎて、何かあるのではと勘繰ってしまう。


「クラリスさん、正直その申し出は非常に有難いのですが、どうしてそこまで僕に親切にしてくれるんですか?」


「……なんでだろうね。実際私にも分からないんだ。なんで私はこんな事してるんだろうって。ただ、やっぱり君が気になる。だけど、さっき言った人付き合い。私にはこれが殆ど出来なかった。それに私は公式には一度死んだ人間だ。だから今迄もこれからも、人と付き合う事なんてないと思ってた。あえて言えばそれが理由かな。私は人付き合いが苦手だ。その練習を君に押し付けている。それじゃダメかい?」


「ダメではないですけど、それでもやっぱり僕に取って良い条件過ぎます。クラリスさんに迷惑しかかけてませんし……」


「んー、そうか、わかった。じゃあこうしよう。君は酒場で依頼を受けてお金を稼ぐ。それで私を養っておくれ。私は君が稼げる様に君を指導するよ。これならばお互い良い条件だろう?」


 クラリスは僕のプライドを傷付けない程度の条件で譲歩してくれたのだろう。ここまで言われて断る理由はないのかも知れない。それに、いくら疑ったとしても僕とクラリスじゃ実力が違い過ぎる。

 クラリスが僕に対して何か企んでいるならば、僕の同意なんてなくても一瞬で僕を黙らせる事が出来る。


 ……それであれば素直にクラリスに師事を受けた方が良い。それに、時間が経てば彼女がどんな人なのかも見えてくるだろう。


「そこまで言って貰えるなら、こちらこそ宜しくお願いします。何から何まですみません」


「いや、こちらこそお礼を言いたいくらいだ。私のワガママを聞いてくれてありがとう。これから宜しくね、ハクト」


 王都に、今は夢はなかった。

 一緒に夢を見ていた幼馴染み達は、もう夢を見る事は出来なくなってしまった。


 でも、幼馴染と一緒に見ていた夢を、もう一度見ることが出来るかも知れない。


 料理と一緒に飲み込んだかつての夢は、酷く塩辛かった。

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