第4話 銀髪の少女
目が覚めると、染みのついた天井が見えた。
ここがどこかは分からないが、少なくとも建物の中であることは間違いない。
「……僕は一体。森の中にいたのに、どうして……。っ! ベンタスは! キャロルは!?」
「……気が付いた?」
突然の声にビクリとするが、どこか聞き覚えのある声だ。
声の方を向くと、初めて見る女性がそこにはいた。顔に見覚えはないが、その服装と声には記憶がある。
「……もしかして森で助けてくれた方ですか?」
「……いや、違う。ん、違くないが、違うと思うと言うか……」
なんだかハッキリしない。彼女が僕を助けてくれたのではないのか。
「森でそのっ、怪物を倒してくれた方ではないんですか?」
「それは……、その通りだ。私がやった」
「あ、あのっ! ありがとうございました! それで、僕の、僕の友達を知りませんか? あの森に一緒にいたんですけど……」
「……すまない。助けられたのは君だけだ。私がついた時にはもう……」
目覚めたばかりの頭で思考が追いつかないが、やっぱり、あの森での出来事は夢じゃなかったんだ……。僕はベンタスを、キャロルを助ける事が出来なかった。
ベンタス……。キャロル……。
なんで僕は生きているんだろう。何をしていたんだろう。もう何も考えられない。僕はただ頭を抱えて蹲る事しかできなかった。
「あのっ、その……。ごめんね」
彼女は何を謝っているんだろうか。助けられなかった事? 元々彼女に助ける義務がある訳でもないし、僕だけでも助けて貰った事を本当は感謝しなくてはならないのだろう。
ただ今の僕にはそんな事も考えられなくて、意味も分からず謝り続ける事しか出来なかった。
しばらくは蹲っていたが、状況だけでも教えて貰おうと思い改めて向き直ってみる。
涙で霞む目を凝らして彼女を見つめると、フワリとして蒼みがかった銀髪が胸元まで伸びていて、僕よりもちょっと大人っぽい美人だった。
そこから色々と話を聞いた。
彼女はクラリス=フルールと言い、この街で流れの錬金術師をしているそうだ。
自分の仕事用の薬草を取りに森に行き、そこで悲鳴を聞いて駆けつけた。そして怪物達に襲われていた僕達がいたので助けたという事だった。
「そうだったんですね……。あの、遅くなってしまいましたが、改めて助けて頂きありがとうございました。 本当にこのご恩は忘れません。一生掛かってでも必ず恩返ししたいと思います」
「ううん、私が勝手にした事だから気にしないで。それより、これ」
クラリスは机の下から二つの袋を取り出した。手渡されたのでそっと開けてみる。
そこには、ベンタスの使っていた手甲と、キャロルの持っていた薬草の本があった。
「ごめんね、こんな物しか持ってこれなかった。君達がどう言う関係か分からなかったけど、きっと友達だったんでしょ? 申し訳ないけど、遺体はあの場で火葬して埋めて来たからね。あのままにしておくと他の魔物や動物に荒らされてしまうからね」
僕は二人の遺品を手にして動けなくなってしまった。
16年間、生まれた時から一緒だった二人。
ケンカも良くしたけど、すぐに仲直りしては裏山を探検したりした。お祭りの日は夜まで騒いだし、雪の日にはみんなで雪遊びをした。
どれもこれも大した話ではない。
でも、二人と過ごして来た大切な思い出だ。
その二人はもういない。クラリスが持って来てくれたこの2つが、二人との最後の思い出になってしまった。
「……うっ、うう。う、ううぅ……」
僕は胸の奥から込み上げてくる感情で、無意識に嗚咽を漏らす。溢れ出る感情はそれでも止まず、耳の奥を熱くし、目の端から涙となって零れてくる。
「……べ、ベンタス。……キャロ、キャロル。何も出来なくてごめん。た、助けられなくてごめん。ぼ、僕が弱くてごめん。生き残っちゃってごめん……」
僕は後悔してもしきれない。二人への贖罪の気持ちが心を埋め尽くす。
あの時安易に依頼を受けなければ。あの時無理にでも時間をずらしていれば。あの水溜りにもっと早く気付いていれば。
激しい後悔が肩に重くのしかかり、僕は自然と俯いてしまう。
……すると、頭に何かそっと触れる感触がした。
ゆっくりと顔を上げると、クラリスが僕の頭を撫でていた。
「ごめんね、こういう時どうしたらいいのか分からない。……でも友達を失くして悲しいんでしょう? 今は我慢しないで、泣けばいいよ」
「う、うっ、うう、うわぁぁあぁぁあぁっ!!」
こちらが切なくなる程の表情でクラリスは慰めてくれる。初めて会った人なのに。僕はクラリスの優しさに甘えて大声で泣き続けた。
◆◆◆◆◆
僕が落ち着くまで、クラリスはずっと頭を撫でていてくれた。
おかげで少しは早く立ち直れたと思う。
二人の事は到底割り切れないが、それでもこの後すべき事が沢山待っているので、今はただ考えないようにした。
「甘えてしまってすいませんでした。おかげで少し落ち着きました。本当にありがとうございます」
「ん。落ち着いたなら良かった。これ、君達が集めてた物でしょう? 一応持ってきたよ」
クラリスが出してきたのは、僕達が受けた依頼の薬草だ。2つの麻袋にパンパンに詰まっている。
「ああ……、こんな物まで持ってきてくれたんですね。何から何まですみません。それで、聞きたい事がいくつかあるのですが……」
「ん? いいよ? 答えられる範囲で答えるよ」
そこから僕は気になっている事を聞いてみた。
まず、僕達を襲った怪物の事。
あの大きい緑の怪物は、ボストロールと言う魔物で、本来はもう少し弱い魔物だそうだ。何か異変があってあれだけ大きく強い魔物になってしまったのだろうとの事だった。
そして水溜りの怪物は、アシッドスライムと言うらしい。
アシッドスライムも、通常はあれ程強力な溶解作用はなく、じっくり時間を掛けて獲物を溶かし飲み込む魔物だそうだ。
僕達は運悪く2つの変異種の魔物に出会ってしまい、そして僕の幼馴染達は命を落としてしまった。落ち着いてきた感情が、また騒めき出すのを感じる。
クラリスにはまだ聞きたい事があるので、必死に心を押さえつけ次の話題に移る。
それから僕が聞いたのは魔術の事だ。この話になると、クラリスは途端に口を固くする。
「……君は、約束は守れる人間かい?」
「え? あ、はい。約束は守ります。約束を破る人間は僕の村にはいませんでした」
僕の言葉に少し驚いた様な顔をしたクラリスは、たっぷり時間を掛けて考えた後、僕に話してくれた。
その話は驚きの内容だった。
僕を助けてくれたクラリスは、実は何年か前まで宮廷魔術師だったそうだ。
この国では魔術は魔道具と呼ばれる道具を使って発動させる。普通の人でも少なからず魔力を持っているので、魔導具を使えば何かしらの魔術は使う事が出来る。しかしそれは、あくまでも日常生活用だ。
それに対して魔術師と呼ばれる存在は、魔導具の使い方を熟知し、他者よりも遥かに多い魔力で、より強力な魔術を発動する。
熟練者では魔導具を手ずから創り出し、更に強力な魔術や、目的に特化した魔術を発動させる事が出来る。
クラリスはその若さで、他の誰よりも強力な魔術が使えたらしい。
その実力が認められて王宮に召抱えられる事になったが、そこで待ち受けていたの
は妬みやっかみと権力闘争だけだったそうだ。
それでも頑張って宮廷魔術師をしばらくは務めたが、遂に嫌気が勝り遠征訓練中の死亡という事で宮廷を抜け出したそうだ。
「だから私は既に死んだ事になっている。名前も昔の名前とは違う。この事は決して他人に口外しないで欲しい」
「……命を助けて貰ってるのに、恩を仇で返す様な事なんてしません。逆に信用して頂いてそんな話を聞かせて貰ってありがとうございます。僕で役に立てる事があればなんでも言ってください!」
そう言うと、クラリスはそっと微笑んだ。
今更気付いたが、クラリスはハッとする程の美人だった。そんな事を感じられるくらいには思考が回復してきた。
「気を失った僕を王都まで運んでくれたのもクラリスさんですよね? どうやって運んだんですか?」
僕の質問に、クラリスは魔導具の説明をする事で答えてくれた。
通常、魔導具で発現させる魔術はその魔導具に依存した形の魔術が発動される。だから、火なら火、水なら水だけの魔術しか使えない。
対して、クラリスの持つ魔導具は、自身のイメージでどんな魔術でも使う事が出来る。クラリスがボストロールを倒したのは風の魔術、アシッドスライムを蒸発させたのは火の魔術だ。
その応用で、僕の事を風の魔術に乗せて王都まで運んだらしい。王都に入る時には色々考えたらしいが、そこは企業秘密だそうで教えてくれなかった。
良くよく考えるととんでもない魔導具だが、元宮廷魔術師のクラリスであればこそ持っている逸品なのだろう。
果たしてそのクラリスの魔術の腕前が、どの水準にあるのか僕には分からない。でも、僕達が手も足も出なかった魔物達をいとも簡単に倒したクラリスは、きっと凄腕の魔術師なんだろう。
一通りの事情が確認出来たので、一度色々な事を整理する為クラリスの元を発とうと思い、クラリスに話しかける。
「では、本当にありがとうございました。一度宿に戻ろうと思うのですが、ここは何処ですか?」
「ここは王都の住民街区、そこのエルマの宿だよ。君達は何処の宿に泊まっていたんだい?」
「えっ!? あ、そうでしたか……。あの、偶然ですけど僕らが泊まっていた宿と同じですね……」
「えっ。そうなの? じゃあ話は早いね。一度自分の部屋に戻るといい。私は暫くこの部屋にいるから、何かあれば遠慮なく声をかけてね」
「はい、ありがとうございます! ではまた後ほど」
こうして、一度僕は部屋に戻る事になった。
生きて宿に戻ってこれた事は奇跡だ。あのままであれば、間違いなく僕はあの場所で命を落としていた。
……だが、一緒に来た幼馴染達はもう居ない。
僕達の、明るい筈だった未来への道は、今まさに暗闇に閉ざされそうになっていた。
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