第3話 依頼

 ジルバに薬草が採取出来る場所を聞いて、僕達は酒場を後にした。


「二人とも、どうする? 薬草の採取はこのまま行く? それとも一回宿に帰って明日にする?」


 僕はベンタスの怪我が気になったので遠回しに休息を勧めたのだが、返ってきた答えは否だった。


「ハクトよ、どうせお前の事だから俺の事心配してんだろ? こんなん何ともねえよ。アイツらのパンチなんか屁でもなかったぜ!」


 流石に長年一緒に居るだけはある。僕の考えなんてお見通しみたいだ。

 だけど僕だってベンタスの事は分かる。コレはやせ我慢だ。


 ただ、確かに薬草採取に危険は少ないだろう。このまま行っても問題はないか。


「分かった、じゃあ採取用の道具を揃えたらそのまま行こう。それでいいね?」


 二人とも頷き、そのまま道具屋で採取用の道具を購入する。




 スコップ、麻袋、縄。その他諸々買ったら結構な値段になってしまった。これは何がなんでも沢山薬草を採取しないと割に合わないぞ。


「キャロルは薬草は分かるんだよね?」


「うーん、まぁ大体ね。薬に使われる物って意外と種類が少ないのよ。さっきのリストと照らし合わせると、これとこれと、あとこれね」


 キャロルが教えてくれたのは3種類の植物だった。

 傷薬に使う薬草、痛み止めに使うキノコ、消毒に使う木の根だ。

 キャロルはどれも分かるそうなので、キャロルが見つけて僕達が採取すると言う編成が自然と出来上がった。



 僕達は初の依頼をこなす為、王都を北に抜けた森を目指しワクワクしながら歩き始めた。



 ◆◆◆◆◆◆



 森への道はしっかりと整備されていて、意外な程簡単に辿り着けた。

 森の中も広かったが、険しい山道や断崖絶壁がある訳でもなく、依頼も楽にこなせた。


 一言で言えば大成功だ。



 僕達は麻袋がパンパンになるまで薬草を採取し続けた。

 これなら全て買い取って貰えれば当面の生活資金になる。買い取って貰えなくても薬に精製すれば自分達で使う為のものになる。


 この依頼は受けて正解だったなと、意気揚々と帰途につく。


「ベンタス、受けて良かったね。体は大丈夫? 無理させて悪かったね」


「何言ってんだよ。俺が大丈夫って言ったんだ。大丈夫なもんは大丈夫だよ。でもぬかるみが酷かったな、早く宿に戻って風呂入りたいぜ」


「そうね、依頼は大成功だけど、このぬかるみはいただけないわ。髪まで泥だらけだもん。ベンタスにサンセー」


 一仕事終えてみんな気が緩んでいた。これで手に入る金額を考え、色々な事を妄想していた。


……だからこそあんな事に気付かなかった。






 3人で並んで歩いていると、突然キャロルが転んだ。なんの前触れもなく、本当に突然だ。


「大丈夫か? なんもねえ所で転ぶなんてお前らしいぜ」


「ええ、大丈夫よ。ごめんなさい。でもおかしいわね……痛っ!」


 キャロルが不思議と痛がったので足元を見る。そこには水溜りがあった。

 どうやらキャロルはその水溜りに足を取られて転んだらしい。



 ────そして、水溜りに入ったはずの彼女の右足は、足首から下が無くなっていた。



「えっ。えっ! 何これっ! 痛い痛い!!」


 突然の出来事に訳が分からず、僕もベンタスも狼狽うろたえるだけだった。


 何が起きたか分からないが、とりあえずキャロルを起こそうと手を出す。

 すると、水溜りがキャロルの体の方へゆっくりと進んできた。


「何、何なのよこれっ! 嫌、こっちに来ないで!!」


 僕達は慌ててキャロルの両腕を引っ張り、水溜りから引き離す。


 だが突然、キャロルの片腕が垂れ下がる。

 正確には、片腕を持っていたベンタスがいなくなってしまった。



 ────ボゴッ


 遠くの方で、何かがぶつかる鈍い音がする。


 音の方を見れば、そこには大木の幹に背中の半分まで埋まっているベンタスがいた。





 そして、ベンタスが今まで立っていたはずの場所には、緑色の巨人がいた。





「いやああああああああっ!!」


 僕が緑の怪物に釘付けになっていると同時にキャロルの絶叫が響く。

 ゆっくりと進んでいた水溜りは、遂にキャロルの手元まで辿り着いてしまった。

 水溜りに触れると、みるみるうちに手が溶けていき、キャロルの右腕は手首から先が無くなってしまっていた。


「なっ、なっ、なんなんだよ、なんなんだよお前らああぁぁあぁ!!」


 僕はあらん限りの声で叫び、腰から抜いたナイフを緑色の怪物に突き立てる。


 そのナイフを怪物は指でつまみ、小枝のように簡単にへし折った。

 そして厭らしく気持ちの悪い笑みを浮かべて怪物はこっちを見てくる。





 ……ダメだ、なんなんだコイツらは。人? 獣? いや、魔物? どこから現れた!? なんで気付かなかった!?


 デタラメな力を見せつけて、怪物はゆっくりと僕に近づいてくる。

 突然突き付けられた現実に、足がガクガク震えて全身から力が抜けていく。



 生きる事を半ば諦めた時、突然怪物の体が横に吹っ飛んで行った。



「クッソ、畜生が! こいつ、い、いきなり殴って来やがった! ふざけやがって!」


 そこには血まみれになりながらも生きていたベンタスがいた。背後から静かに近付き、全力で蹴とばしたみたいだ。


「早くキャロルをっ!!」


 茫然としていた僕にベンタスが叫ぶ。振り返ればキャロルは水溜りに飲まれて、右腕がほとんど無くなっていた。

 僕はナイフの柄で水溜りを払い、キャロルを助ける。あまりの事にキャロルは痛い痛いと呟き、ただ泣いているだけだった。


 急げっ! とにかくこの場から逃げなきゃ!!




 キャロルを水溜りから引き離しベンタスに振り向いた瞬間、今度は僕の体に衝撃が走る。

 まるで鉄の塊がぶつかって来たかの様な激しく重い衝撃。僕はその重さに負けて、紙くずの様に飛ばされてしまった。



 木の幹に背中をしたたかに打ち付け動けなくなってしまう。


「……うっ、うぅっ」


 霞む目で元いた場所を見ると、戻って来た怪物がベンタスと殴り合っているのが見えた。



 一度は傭兵を目指していただけあって、ベンタスには武術の心得がある。


 正拳突き、裏手打ち、下段蹴りからの上段回し蹴り。酷い怪我をしているにも関わらず、流れる様な動作でビシビシと怪物に打撃を与え続ける!


 い、いけっ……! 頑張れっ、ベンタス……!!


 だが、最初は押していたベンタスだったが、段々と怪物がベンタスの動きに慣れ始め、遂にベンタスはその腕を掴まれてしまった。


 腕を掴んだ怪物は、そのままベンタスを殴りつける。避けられないベンタスは左腕で防御をするが、その腕も一発、二発と殴られるうちに青黒く腫れていき、段々と上がらなくなってくる。


 そして、ベキっという嫌な音が聞こえ、ベンタスの左腕はへし折られてしまった。顔も体もあちこちに痣と切り傷が出来ている。


 怪物はそのまま小石でも放るかの様にベンタスを振り回し、木に向かって思い切り投げ付ける。


 木にぶつかりずり落ちるベンタス。その体には右腕が付いていなかった。怪物が投げつけた衝撃で、肩から先が引き千切られてしまっていた。


 そのままゆっくりと血塗れのベンタスに近付く怪物。その大きな手でベンタスの頭を掴むと、そのまま持ち上げる。


「……おい……、やめろ。やめてくれっ……! やめろぉおぉおおおぉぉっ!!」


「た、たすけ──」


 ────グシャ。



 卵の殻を潰す様な軽い音が響き、怪物はベンタスの頭を握り潰した。その手の隙間からは赤やピンクのドロドロとした液体が滲み出ている。

 ベンタスは体をビクビクと痙攣させ、やがて動かなくなった……。





 ……ちくしょう、ちくしょう!!

 なんでベンタスが!! なんで僕は何にも出来なかったんだ!!


 後悔に浸る間も無く、キャロルの声が聞こえてくる。



 ……そうだ、キャロルだけでも助けなきゃ!!


 必死にキャロルの姿を探すが、見当たらない。おかしい、さっきまでそこに居たはずなのに……。


 目を凝らしてもう一度キャロルの姿を探す。

 そこには、既に下半身を飲み込まれ、今まさに顔面を飲み込まれている最中のキャロルがいた。


 水溜りは、キャロルの体を吸収したのか先程よりも体積を増やしており、その溶解速度も速くなっている。

 濁った透明の水溜りがキャロルの血で赤く染まっていく。

 水溜りの体がキャロルの胴体の方へ移動すると、顔面を半分程溶かされ、無残な顔で既に事切れたキャロルが見えた。



「うっ、うっ、うわぁあぁぁあぁぁぁ!!!」


 声にならない声を上げ、僕は尻餅を着く。

 背後に怪物の気配がして、僕はヤケクソに緑の怪物に突っ込む。

 怪物はまた汚く笑うと、軽く手を払いのけてきたが、その手を躱し怪物の腹に一発、二発と拳を叩き込む。

 すると、怪物は体をくの字に曲げ呻き声を上げていた。


 ……効いてる!!


 僕はそのまま右左と拳を振り続け、顔を、腹をひたすらに殴り続ける!



 しかし、その時間は長くは続かなかった。僕に殴られて怒りに染まった怪物は、思い切りその腕を振り払う。その腕に払われ、またしても僕は簡単に吹き飛ばされてしまった。


 凄まじい勢いで地面を転げ回り、天と地を見失う。

 体もあちこちが悲鳴をあげていて、もうどこが痛いのかも分からなかった。


 ──ああ、ここで終わる。


 母さん、父さん、ごめんなさい。僕は剣士にはなれませんでした。ベンタス、キャロル、助けられなくてごめん。すぐに僕も追い掛けるよ。


 既に逃亡も討伐も諦めた。緑の怪物は僕の頭を掴み、ゆっくりと力を込めて持ち上げる。頭が万力で締められるようにギリギリと音を立てる。ただ僕にはそれを遠くに感じる事しか出来なかった。






「──風刃ジグ



 その言葉が聞こえた瞬間、僕の体に重力が戻る。突然の足への衝撃に立って居られず、その場に手を付きへたりこんでしまった。


 ……何だ? 何が起きた?


 怪物の手は未だに僕の頭を掴んでいるが、先程までの締め付ける様な強い力は感じない。感じるのはただ怪物の腕の重さと、熱い液体が体にふりかかる感触だけだ。


 痛みで霞む目を開くと、怪物の腕は肘の先からスッパリと切り落とされていた。





風刃ジグ


 もう一度同じ声が聞こえる。

 今度はその出来事を自分の目でハッキリと確認する。


 見えない刃の様なものが、怪物の首をスパっと切り落とした。切り落とされた首からは、大量の血が吹き出している。


火球フィルス


 立て続けに言葉が紡がれる。


 今度は人の頭程の大きさの火球が、周りの空気を焦がしながら唸りをあげて飛んで行く。

 その火球はキャロルを飲み込んだ水溜りにぶつかると、一瞬で水溜りを蒸発させた。


 動かなくなった怪物、蒸発した水溜り。

 そして遠くから歩いてくるローブ姿の人間。


 僕は、状況を飲み込めないまま意識を失った。

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