第2話 酒場
昨日の夜ははしゃぎ過ぎた。
初めての旅、初めての王都、初めての店。
全てが目新しく、食べる物も飲む物も村の物とは一味も二味も違い、僕達は調子に乗って酒を飲み過ぎた。
意外と酒に弱いベンタスがベロベロに酔っ払ってしまい、僕とキャロルで頑張って宿に連れて帰った。
宿に着くなり僕達は泥の様に眠ってしまった。
──そして今日は酒場に向かう予定だ。
王都での生活の第一歩になる。二日酔いで痛む頭を抑え、吐き気を堪えながら朝食のスープを無理矢理飲み込む。
「さあ、準備は出来た? これから酒場に向かうよ。どんな仕事を紹介してもらえるか分からないけど、とりあえず僕達の希望だけは整理しておこう」
3人で酒場に向かいながら、夢を見つつ希望の仕事を話し合う。体調は最悪だけど、気持ちだけは前向きだった。
最終的に僕とベンタスは身体を使う仕事、キャロルは少しでも薬に携わる仕事が良いと言う事になった。
身体を使う仕事は護衛とかが希望だが、実力の知れない若造を雇う客がいるとは思えない。最初は肉体労働かな、楽で給金の良い仕事がいいな、なんて考えているうちに酒場に辿り着く。
酒場は、本当に酒場かと思う程の重厚な作りになっていた。
木造二階建てではあるが、その全てが大きい。染みが浮き出た外壁にはただならぬ年季を感じ、僕達の様な若造はお断りだと建物が示している様だ。
「……よし、行こう」
それでも、僕達は覚悟を決めて酒場の扉に手をかける。
──ギイィ……
軋む扉を開けて飛び込んで来たのは、意外な程に明るい店内の様子だった。
適度に配置された窓が陽射しを取り込んでおり、想像していた程の重苦しい雰囲気は無かった。
しかし、代わりにまとわりつく様な粘っこい視線をいくつも感じる。
カウンターとテーブル席、その両方に何人かいる先客のものだろう。僕達が新人だと思い、値踏みをする様な視線だ。
「……いらっしゃい」
一言だけ発する声は、カウンターの奥にいる店主のものだ。
店主は意外な事に女性だった。しかしうら若き乙女ではなく、いくつもの修羅場を潜り抜けて来たかの様な、貫禄のある女性だ。
「あ、あの! 初めてここに来たのですがっ! ここでお仕事を紹介して頂けるとの事で……」
しばしの沈黙の後、店の中に失笑が響く。
……何か変な事を言ったのだろうか。僕には分からなかったが、笑われていると言う事実に顔がかっと赤くなるのを抑えられなかった。
「……あんた達、およし。あんた達にもこんな時期があっただろうに。それと坊や、ここは酒場だ。あたしの仕事は飲み物と食べ物を提供する事さ。あたしが仕事を紹介するんじゃない、そこは勘違いしないでおくれ」
薄く笑っていた男達は、女店主の一言でピタッと黙り込む。
僕達は何がなんだか分からないが、とりあえず無言で指し示されたテーブル席に3人で着くことにした。
女店主が注文を取りに来る短い間、男達からの視線は注がれたままだった。
「それで、注文は何にするんだい?」
「えっ、あっ。はい。じゃあ、果実のジュースを下さい」
「じゃあ俺はサンドウィッチを」
「私も果実のジュースがいいです」
女店主は少し驚いた様な顔をして僕達の顔を見回し、そのまま何も言わずにまたカウンターの奥に戻って行った。
──ドシッ、ドシッ、ドシッ
重い音を響かせながら人が歩く音が木霊する。
「おい、坊主。酒場でジュースを頼むなんて随分だな。お前んとこの田舎では酒場に酒は置いてなかったのか?」
髭面の大男がクックックっと嘲笑を交えながら話しかけてくる。頬には大きな傷があり、如何にも戦士ですという風貌だった。
「おい、オッサン。俺達になんの用だよ。俺達は昨日この街に来たばっかりだ。酒場でジュース頼むのがそんな問題なのかよ」
ベンタスが席を立ちながら男の前に出る。ベンタスは16歳と言えども身長は190センチ程ある。並の男ではベンタスより一回り小さいだろう。
それでも髭面の男は臆する事なくベンタスに向き合う。
「おうおう、こっちの兄ちゃんは随分威勢が良いな。だがな、オメエみたいなガキがいくら凄んでも全然怖くねえんだよ。ガキはガキらしく田舎帰ってママのオッパイでもしゃぶってな」
分かりやすい煽りに、ベンタスはカッとなるのが分かる。
そして、僕が止めようとした時には、既にベンタスの拳は男の顔面に突き立っていた。
あちゃー、やっちゃったと思ったのと、驚きを感じたのは同時だった。
男はベンタスの拳を顔面で受け止めながら、微動だにしていなかった。拳の隙間から見える目は厭らしい形に歪められ、この時を待っていたと言わんばかりだ。
男はベンタスの腕を掴み、そして言う。
「おい、ガキ。なかなかいい拳だったが、まだまだだな。俺様を殴った事をしっかりと後悔しろよ」
その言葉を皮切りに、席に着いていた男達が一斉に僕達に襲い掛かってきた。
突然の出来事に思考が追いつかないが、咄嗟にキャロルだけは店の外に出られるように押し出した。
その次の瞬間には襲い掛かってきた男達と掴み合い、殴り合いになる。
村ではこんな殴り合いなど滅多になかったが、そこは男の子だ。湧き上がる恐怖を勇気で捩じ伏せ、僕とベンタスはひたすらに拳を振るった。
……突然の乱闘が始まってどれくらい経ったのだろう。一分か、あるいは一時間か。滅多にない出来事に僕の感覚は正しく現状を把握できずにいた。
僕とベンタスは男達に対し勇敢に戦ったと思う。
でも、多勢に無勢だ。こちらが1発殴る間にあちらは3発も4発も殴ってくる。ベンタスも同じ状況みたいだ。
自ずと結果も見えてくる。次第に上がらなくなった僕の腕は、相手を捉える事なく宙を切る。その隙に脇腹に強烈な一撃を喰らい、僕は床に沈んだ。ドサっと言う音がして、気付けばベンタスも僕の横に伏せていた。
「ふんっ、他愛ない。まぁ威勢が良い所とお嬢ちゃんを逃した事だけ認めてやるよ。今度ふざけた態度取ったらこんなもんじゃ済まねえからな」
先程の髭面の大男は、捨て台詞を吐いて店を出て行った。
男達が店を出て行くと、入れ違いにキャロルが入ってくる。
その脇から女店主も注文の品を持ってきた。
「あらあら、あんた達この短い間に随分と元気がいいこと。まぁ良いわ、ちょっと見せてごらんなさい」
そう言って、飲み物をテーブルに置き僕達を椅子に座らせる。
「うーん、あちこち腫れてるけど骨は問題ないみたいね。あんた達も意外と丈夫なのね。それとお嬢ちゃん、あんたは多少治療の心得なんかはあるのかしら?」
「えっ! あ、はい。多少なら……」
「なら良かった。じゃあ道具は貸すからあんたが治療してあげな」
そう言って女店主は店の奥から薬箱を取り出してキャロルに渡した。キャロルは薬箱から軟膏や包帯を出して僕とベンタスを治療してくれた。
「悪かったね、止められなくて。ジェド、ってあの髭面の大男なんだけど、普段はそんな悪い奴じゃないんだ。だけどここ最近仕事が上手くいかなくってね。あたしにもその責任はあるのさ」
そう言って女店主は注文の品を改めてテーブルに並べて行く。
「……すみません、店で騒ぎを起こしてしまって。先ほど言った通り、昨日初めてこの街に来て、この酒場で仕事を斡旋して貰えるって聞いてやって来たのですが……」
「まぁ間違いではないけどね。アレを見てごらん」
店に入った時には気づかなかったが、店の入り口側の壁にはびっしりと張り紙がしてあった。ここからでは良く見えないが、大きな文字で『依頼票』と書いてあるので、あれが仕事の依頼なのだろう。
「さっきも言ったけど、ここは酒場さ。酒やつまみを頼む所だよ。それで、あたしは酒場に来たお客さんに仕事を紹介してる。仕事を頼みたい客と仕事を受けたい客を繋げる。それが酒場の店主であるあたしの役割の一つさ」
そう言って壁から何枚かの依頼票を取り、僕達に見せてくる。
『庭の草むしりをしてくれる人募集。報酬は一日5000ギル』
『迷子の猫を探して下さい。見つけてくれたら3000ギル』
『薬草を採取してきてください。1株500ギルにて買い取ります。種類は──』
何やら雑用ばかりに思えるが、これがこの酒場で紹介している仕事なんだろうか。
僕達の疑問を察したのか、店主が言葉を重ねてくる。
「これはこの酒場に来た依頼の中で一番簡単なものだよ。あんた達に紹介できるのはこういう仕事しかないさ。少しずつあんた達の実力を示してくれれば、もっと大きな仕事も紹介できるよ」
店主は再度壁から一枚の紙を取ってくる。
『至急! 魔物討伐をお願いします! 村の廻りに出たウルフェンを退治して下さい! 1頭につき50000ギル!』
「こんな仕事もあるのさ。残念ながらこの依頼は受けれる人間がいなくて流れちまった」
「流れてしまうって……」
「村は魔物に滅ぼされちまったよ。そんなに大きい集落ではなかったからね。急いでこの街に依頼に来たんだろうけど、もう間に合わなかった」
店主は依頼票をぐしゃぐしゃに丸めて自分のポケットに突っ込んだ。その顔には沈痛な表情が浮かび、自分を責めているようにも見えた。
「まあそんな事で、色んな種類の依頼がこの酒場には来る。あたしは依頼をする客に、依頼がこなせる客を繋げるだけだよ。お代は酒一杯さ、安いもんだろ?」
先程の沈痛な面持ちを吹き消し、今度はニカっと白い歯を見せて笑ってくる。成る程、この酒場はこの女店主で持っているんだな。不思議とそう感じさせる仕草であった。
「さあどうするんだい? あんた達も依頼を受けて行くんだろ? その為にここに来たんだろうからね」
女店主の言葉に僕達は頭を悩ませる。
暫く悩んで出した結論は、薬草の採取だ。極々一般的な内容だが、キャロルの薬草の知識が役立つし、自分達の今後の為にも多めに確保出来ればありがたい。三人でそれなりの数が確保出来ればお金も稼げる。
「そうかい、じゃあこの依頼を受けるんだね。そういえばあんた達の名前を聞いてなかったね」
「僕はハクト=キサラギです」
「俺はベンタス=コリンズだ」
「私はキャロル=ブラウンです」
「そうかい、いい名前だ。あたしはジルバだよ。この酒場を仕切らせて貰ってる。ハクト、ベンタス、キャロル。この街で仕事を受けたいならよーく覚えておくんだよ」
ジルバと名乗った女店主は、再び豪快な笑顔を向けてくる。
先程男達に殴られたばかりだが、そんな事も忘れさせる力強い笑顔を受けて、やっと僕達はこの街での第一歩を踏み出せた。
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