第2話 サイレント・バトル
よく見ると、他のクッキーの袋と僕が食べたクッキーの袋で、縛ってあるモールの色が違ったのだ。どころか、七つの袋のモールはすべて色が違っていた。僕はある恐ろしい可能性に思い至る。
てっきりみんなに適当に配るクッキーだと思い、それなら一つくらい食べてもと思っていたが、里乃はそれぞれの袋を誰に渡すのか決めていたのではないか。そしてそれをモールの色で区別していたとしたら!
もともとフォーチュンクッキーはその中におみくじを入れて運勢を占うことに使われるお菓子だ。それぞれの人にメッセージカードとかを入れてあったら大変なことだ。でもどれが誰に渡るかなんて僕には想像もつかない。偶然にもこの赤いモールの袋が僕の物ならいいけれど、そうでなければ僕が一つ食べてしまったことがばれてしまう。里乃に怒られるのはもちろんだが、本来受け取るべき人にも迷惑がかかる。どうしたらいいだろう。
暑かったせいで汗だくだったさっきとは違う、緊張の冷や汗がこめかみをつっと伝った。里乃の方に視線をやると、電話が終わったらしく携帯を折りたたんでポケットにしまっているのが見えた。今戻ってきたら完全にアウトだ。
そのとき彼女の伯父さんが通り過ぎようとしていた彼女に、横から声をかけた。内容は聞こえないがとにかく僕はその一瞬の隙に、急いでモールを縛りなおすとクッキーの袋を大きな袋に戻した。そしてすぐには分からないように一番下に置いて、残りのクッキーの袋で隠すようにした。僕に出来ることは、あとはばれないように祈ることだけ。
僕が椅子に座りなおした瞬間に里乃はこちらに向かってきた。間一髪、ギリギリセーフ。
「お母さんが帰りに食材買ってきてって。そういえば伯父さんが、聡に何か出そうかって。アイスコーヒーお願いしてきたけど、それでいいよね」
「う、うん。ありがとう」
若干呂律が回っていないことに気が付いて余計に緊張する。席に着く前に里乃はクッキーの袋をのぞき込んだ。僕の心臓が一拍跳びの不整脈を起こす。犯罪を隠そうとする犯人になった気分だ。彼女が袋から目を反らすのまで固唾を飲んで見守る。
と、里乃は一瞬眉間にしわを寄せた。
気づいたか?
しかしそれは僕の杞憂だったようで、彼女は何も言わずにそのまま普通に席に着いた。大丈夫、すぐには気づかれないはずだ。
「まだ集合時間まで二十分以上あるね。せめて赤城君だけでも来てくれたら話し合い始めてもいいんだけど」
するっとヤツのことに話題を変えながら里乃はまた腕時計を見た。また赤城かよ、と僕は一人心の中で呟く。
赤城晴哉(あかぎ はるや)は図書委員長で、僕と二人で図書委員代表として、この会議に参加することになっていた。最近里乃は奴と一緒にいることが多い。彼が図書委員長だから関わりがあるは変じゃないけど、それを目撃するたびに僕は苦いものを感じていた。あまつさえ赤城に向かって屈託ない笑顔を向けてるのを見ると、僕にはそんな表情見せないくせにと思えて理由もなくイライラしてくる。
そんなことを考えていたらいきなり横からグラスが差し出された。
「アイスコーヒーだよ。良かったかな?」
持ってきてくれたのは里乃の伯父さんだった。丸い眼鏡をかけたお洒落なおじさんで、愛想のいい笑顔を向けていた。黒いベストが良く似合っていて純粋にかっこいいなと僕は思う。
「ありがとうございます」
ストローの袋を開けてグラスにさすと一口コーヒーを飲む。クッキーを食べた時に何も飲んでいなかったし、緊張していたせいで口の中がカラカラになっていたから、冷たいコーヒーがすごく美味しかった。
ところがそれが失敗だった。
「あれ聡ってコーヒーに必ずミルクいれてたよね?」
グラスと一緒においてくれたのにもかかわらず、口が開いていないシュガーとミルク。それを里乃が目ざとく見つけて僕に尋ねた。とにかく口を潤したかったせいで、ついミルクを入れるのも忘れて飲んでしまったのだ。
「いや、最近はブラックで飲むのにはまってるんだよ」
「ふうん、そうなんだ」
ここでも里乃は追及してこない。ほっとすると同時に二度も、辛くも彼女の追及を逃れたことが逆に怖くなる。もしかして里乃は気づいていて、わざと知らないふりをしているんじゃないだろうか、という不安が頭によぎる。お店の中にはクーラーが聞いているのに、首元にうっすら汗が浮かぶ。
「暑いの?大丈夫?」
「うん。ここに来るまで暑かったからまだ汗が引かなくて」
「ここ来てからもう時間たってるけど?」
「汗っかきだからね、仕方ないよ」
「ま、昔からそうだったけど」
里乃はあまり釈然としない様子だったが、まあいいやという顔で携帯を取り出した。時間を確かめたらしい。僕は少しおぼつかない手でゆっくり慎重にミルクのカップを開ける。
これ以上失態を犯すことはなんとしても避けなければならない。それと同時にどの袋を誰に渡すつもりだったのかの特定を試みた。モールの色は七色すべて違っていた。僕が食べてしまったクッキーの袋についていたのは赤いモール。残りは白と黒、黄、緑、青、藍の六色。それしか手がかりはない。そもそも里乃がそんなことを考えてモールの色を選んだかどうかさえ定かではないけれど、考えを巡らすほか無い。
「そういえば、来月のMINELVAに載せる物語はもう出来てるの?」
頭ではクッキーの謎を考えながら、里乃に違う話題を振ってみた。
MINELVAというのは大沼西高の文芸部が毎月出している冊子だった。部長の挨拶と部員の対談で始まり、各部員の月ごとの短編をまとめていた。純文学っぽいものからラブコメ、異世界系まで作風は幅広かった。対談は文芸部員の日常会話を切り取ったもので、名前は伏せられ、その代わりに本の神と言われる梟(ふくろう)をもじって、梟白とか梟紅という風に色で分けられたペンネームが使われていた。
「今度のはちょっと困ってるんだよね……」
里乃が話しだしたちょうどその時、机の上に置いていた彼女の携帯が突如動き出した。マナーモードにしていたらしくバイブの割と大きな音をたてて机の上を不規則に動き回る。里乃は携帯を開いて届いたメールの内容に目を通すと、えー、と小さく不満そうな声を漏らした。
「ハクが遅れるって。図書委員との合同ページの下書き持ってるの彼女なのに」
ハクというのはおそらく対談ページでのペンネームのことだろう。
そこで僕はある可能性を思いついた。
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