【27 郷⇒倉 物語の進行によって変わってしまったキャラクターについて】質問。

 倉木さん、宝石の国って知っていますか?

 漫画が原作でアニメにもなった作品で、僕は今5巻まで読みました。


 恐ろしい話ですが、宝石の国ってよく分からない単語(や設定)が出てきても、関係なく続きを読まされていく作品で、何かを理解した気にさせられてしまう部分があるんです。


 宝石の体を持つ不死が日々、月人と戦っている。


 と言われても、よく分かりませんもんね。

 けれど、宝石の国の物語は間違いなく「人間」の話なんですよ。

 それもとびっきり身近な人間らしさが描かれていたりもするんですよ。


 個人的にその一つに主人公、フォスフォフィライトの変化を挙げたいです。

 1巻の最初では口と度胸だけは一人前だけど、何をさせても不器用で自ら役立たずだとも言ってしまう。

 危ういくらい素直なのが主人公、フォスフォフィライトだったんですが、3巻の終わり頃には両手両足を失って、別の物質をくっつけたような状態になります。


 宝石の体を持つ彼らの記憶も当然、その宝石に宿っている為、両手足を失うことは感情や記憶を失うこと同義です。

 なので、4巻辺りからフォスフォフィライトは1巻の時のような表情を浮かべなくなって、言動と表情も落ち着き、ほとんど別人のようになります。


 もうフォスフォフィライトのあの素直さが見られないんだと思うと、ちょっと切なくなりました(そして、それを上手く表現したMADがYoutubeにあって、それを繰り返し見ながら今これを書いています)。


 良くも悪くも宝石の国の1巻は楽園的で、月人と戦っているとは言え、平和で退屈な日常が続いていたことが随所で分かる描き方がされています。

 それでも、その中に葛藤やわだかまりがあるとも分かってくるのですが、徐々にそんな楽園的なものが狂っていくのが2巻で、キーワードは「この星にはかつて にんげん という動物がいたという」だったのは、ちょっと出来すぎていると言うか、巧すぎます。


 さてさて、今回の質問なのですが、前々回の「岩田屋町の好きなキャラクターを挙げる」という中で、浅倉隼人って登場した当初から幾つかの成長を遂げて、途中から最初の純粋さみたいなものを消失するキャラクターだったなと思い至りました。


 その純粋さの小説が浅倉隼人の魅力でもあると思うんですが、倉木さんの中で物語の進行上で変わってしまった印象的なキャラクターがいたら教えてください。


 個人的にぱっと浮かぶ作品は「庄野潤三」の幾つかの作品や「カレとカノジョと召喚魔法」の水瀬遊矢とか浮かんだんですけど、すごく分かりやすい例としては金城一紀の「フライ,ダディ,フライ」を挙げたいです。


 ――私は鈴木一。娘の遥を傷つけた高校生ボクシング王者・石原に、素手で挑むと決めた、47歳・サラリーマン。


 というのがあらすじで、僕はこの作品から中年男性が頑張る話が大好きになりました。

 今考えると、とりあえず47歳までは変わると決めて努力すれば何かをやり遂げることはできそうだ、と希望を持つことができるなと励まされている部分がある僕にはあります。


 倉木さん、40歳を超えて僕がボクシングとかはじめても、生暖かい目で見守っていただけると幸いです。

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