【11 倉⇒郷 自分の書いた作品に影響を受けたこと】回答。
自分の作品が実人生に影響を与えたことについて考えてみました。
ふと浮かんだのは昔に書いた「風船の膨らむその瞬間(最終保存が2012年9月21日)」という小説でした。
その前に、舞城王太郎の「好き好き大好き超愛してる。」の一文を紹介させてください。
――僕は本当に起こったことは書かない。僕が書くのは起こりえたはずなのに起こらなかったことかそもそも起こりえなかったからやはり起こらなかったことだけだ。そういうことを書きながら、実際に起こったことや自分の言いたいことをどこかで部分的にでも表現できたらと思っている……というより願っている。
「風船の膨らむその瞬間」は、自分の身に起こりえなかった事実を前提に、実際に起こったことや自分の言いたいことを部分的に表現しようとした作品でした。
そもそもの前提が、小説の視点人物が女の子でした。
働いたことがなく煙草ばかり吸う女の子が、一緒に住んでいる男の財布からお金を抜いて部屋を出て、母親に会いに行くところから小説は始まります。
母親から祖母の死を告げられ、すでに葬式も終わっていたことを知ります。そして、母と共に祖母の家の片付けをします。
現実の僕の祖母が亡くなったのは2019年の1月の終わりでした。
「風船の膨らむその瞬間」を書いて、七年弱が経過していました。
祖母の死という事実を前にした時、僕は自分でも不思議なくらい冷静だったのを覚えています。
おそらく僕は七年という時間をかけて、祖母が亡くなる未来に対して準備をしていたんだと思います。
「風船の膨らむその瞬間」という小説が僕に与えた影響は、祖母の死を前にして、その影響力のようなものを感じさせてくれました。
僕自身、そんなつもりで書いた訳では決してないでしょうが、事後的にそのようにも読めてしまう作品でした。
そういう意味で、僕は多分、この先の人生でまだ気づいていない自作の小説の影響下を感じる瞬間が訪れるのだと思います。
少し、それは楽しみなことであり、それ以上に恐いことでもあります。僕が書く小説は穏やかなものより、不幸だったり苦しいものが大半なので。
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