【10 郷⇒倉 小説の効力について】質問。

 今年のはじめに、実家に帰った際に母とブックオフへ行きました。

 僕と母はよく古本屋巡りをします。


 年始のブックオフでは全品20%引きのセールをしていて、その中で見つけたのが、ジェイ・ルービンが「ハルキ・ムラカミと言葉の音楽」という本でした。

 ジェイ・ルービンは村上春樹の「ノルウェイの森」や「ねじまき鳥クロニクル」を英訳した方で、本書は村上春樹論と書かれていました。


 英訳者が書く評論の翻訳本。

 面白くない訳がない。

 実際、面白くて村上春樹作品において、新たな視点を手に出来たような気持ちです。

 その中で、村上春樹のインタビューが引用されていました。

 紹介させてください。



 ――ユーモアというものも[簡潔さとリズムにつづいて]必要です。大声で笑わせたり、ぞっとさせたり、どきどきさせたり、そういうことが文章にとってとても大事なのです。僕が最初に小説を書いたとき、友達が何人か電話をかけてきて、小説の質はともかく、あれを読んだらビールが飲みたくなって困ったと言っていました。


 (中略)


 それを聞いたとき、僕は大変に嬉しかった。何故なら、そこには効力というものがあったからです。僕の文章が何人もの人間にビールを飲ませたくなったのです。


 (中略)


『ノルウェイの森』を書いたときには、僕はそれを読んだ人にセックスをして欲しかった。もっともこれはビールや笑いとは違ってかなり制約が多いし、経験談も聞きにくい。でもすくなからず数の読者が手紙をくれた中にそのような内容のものも幾つかありました。

 ある若い女の子は明け方までかけて『ノルウェイの森』を読みおえて、どうしてもすぐにボーイフレンドに会いたくてなって、朝の五時前に彼のアパートに行き、窓をこじ開けて中に入って、彼を叩き起こしてメイク・ラブをしたということです。僕はそのボーイフレンドにまあかなり同情するわけですが、でも僕はその手紙を読んで嬉しかった。



 そうなんだ。

「ノルウェイの森」って「読んだ人にセックスをして欲し」いって思いで書かれたんだ。

 このインタビューが秀逸だな、と思うのは読者の体験で紹介される話が「ある若い女の子」の話であることです。


「ノルウェイの森」って、直子と緑という女の子がセックスについて語る(ないし、語ろうとする)物語なんですよね。

 逆に「ノルウェイの森」の男の子たち、ワタナベトオルや永沢さんはセックスについて真正面から語ろうとしない(というか、できない)んですよね。

 

 そういう意味で「ノルウェイの森」という物語は女性に向けられた物語だった印象を僕は持つのですが、話がズレているので質問をしたいと思います。


 倉木さんは、何かを読んで(見て)これをしたいって衝動に駆られて、したことってありますか?


 僕が今、ぱっと浮かぶのは森見登美彦の「夜は短し歩けよ乙女」です。

 町中でお酒を夜に飲み歩きたくなりましたし、学園祭に行きたくなりました。


 多分、僕だけじゃないですかね。

 未だに僕らが通っていた学校の学園祭に行っているのは。

 しかも一人で。


 森見登美彦作品で言えば、「恋文の技術」を読んだ後に無駄口ばかりの手紙が書きたくなったっというのもありましたね。

 倉木さんに作品の感想と言って、脱線しまくった長い感想文を送っていた原因は「恋文の技術」のせいです。悪いのは森見登美彦です。決して、僕ではありません。


 という言い訳は置いて、今やっている「往復書簡集」もいわば「恋文の技術」の延長かも知れませんね。

 では、回答を楽しみにしています。

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