第37話 今、必要なもの

「逃さない……マリステラの獲物」


 マリステラは離れた場所から、数体の漆黒を裂け目に送り込んでいく。


 後に続き入り込もうとするヨスガだったが、目前で芋虫型のクラウ・ディープがずり落ちてきた。


 ヨスガの進行を阻んだクラウ・ディープは、その醜い体躯をくねらせて暴れ回る。


「――っ!」


 後退しつつ僅かな隙をついて懐に入り込み、真下から跳躍して芋虫の首を押し切った。


 焼き切れる音と共に地面に落ちたクラウ・ディープの頭部。芋虫の体液のような残滓が、周辺に飛散する。


 だが依然としてクラウ・ディープの動きは止まらない。頭部を失ったことで、胴体の暴走が激しさを増した。


 跳躍後に暴走に巻き込まれ、着地することを許されなかったヨスガは、躰全体に鈍重な衝撃を受けながら地面に叩き付けられる。


「ぐっ……ぁ!」


 これではいつまでも進めない。


「はぁ……はぁ……ごほッ……」


 これまでの戦いで蓄積した疲労感で、躰はひどく重く感じる。それでもヨスガは業剣を地面に突き刺し、ゆっくりと起き上がった。


 その斜め上空、死角から降り注いで襲い来るクラウ・ディープ。ヨスガが危険を察知できたのは、回避が間に合わない距離まで迫られていた後だった。


 振り返る余裕もない。反射的に逸らした視界の隅で視えたのはクラウ・ディープと、もう一つの業光の形。


「詩天流――」


 業光はすぐに女剣士の姿を形どった。


「九死一生ッ!」


 宙で放たれた離業は、クラウ・ディープを容赦なく絶命させた。軌道が逸れた泥人形が、ヨスガの真横に落下した。


「アマナ!」


 無事を喜ぶ余裕もなく、芋虫型のクラウ・ディープがヨスガ達に襲いかかる。


 アマナはヨスガの手を引いて抱きしめると、反転して巨大な怪物の胴を真っ二つに斬り裂いた。


「あー、しゅっ斬りした~」

「無事でよかった」


「あー、なんか自由になれたっぽい! よく分からンけど♪」


 アマナは屈託のない笑顔で答えた。おそらく大量のクラウ・ディープを相手にするのに、アマナを操る漆黒がなくなったのだろう。


 安心しつつアマナから離れて、ヨスガはクラウ・ディープに目を向けた。裂かれた胴体の断面から、芋虫の分身であるクラウ・ディープが続々と這い出てくる。


「そだ。ちょい聞いときたいンだけどー」


 場の空気に合わない呑気な声色で、アマナは話し出す。


「ヨスガっちが必死なのって、悪党を成敗するため? それとも仲間を助けるためなん?」

「どっちもだけど……他にも理由がある」


 マルクティアに住む人達のため、レムを助け出すため。そして――


「攫われた第1罪徒、イェフナ・レーヴンを取り戻したい」

「それって擬制の巫女っしょ? ちょー有名人じゃん。てか攫われたって……えっ、マジ!?」


「大事な家族なんだ。……例え拒絶されたって、見捨てたりするもんか」


 ――気持ち悪いから、もう来るな。あの時の言葉が思い返される。


 ヨスガが必死なのは結局のところ自分のため。自分がそうしたいから、そうするだけだ。


「いや、それはさすがにキモくない?」

「……うん。でも嫌われたっていいよ。その時はイェフナを助けた後で、ちゃんと謝っておく」


「あははっ、ヤっば♪」


 アマナは愉快そうに、ヨスガを肘で小突いた。


「でも……――そっか。いいじゃん! そっちの方が、あっし的にも気に入った! その気骨に惚れたよ、ヨスガっち!」


 アマナは軽く全身を身震いさせると、刀をブンブンと振り回す。そして立ち塞がる大量の芋虫を見据えた。


「じゃあ、立ちどまってらンないね!」

「あぁ」


 目の前のクラウ・ディープは、人の心を失っている怪物だ。

 

 ――怪物は倒す。ヨスガは改めて覚悟を決めた。


「皆、ボクが守ってみせる……」


 ヨスガとアマナは同時に地面を蹴った。クラウ・ディープの群集へと斬り込み、怪物達を排除しながら前へ進んでいく。


「斬って斬って、また斬って――っと!」


 アヴィクトールが姿を消した業光の入口が近づく。だがその道筋を遮る形で飛びかかってくる芋虫の群れ。


 ヨスガとアマナはお互いに業剣と刀で押し切って、切り払っていった。


「あー、うざったい! ヨスガっち、こいつらまとめて、あっしが斬る!」

「でも――」


「だいじょーぶ♪ 生まれ変わって怪物になったンなら、ルーラハを斬れるし!」

「……っ、任せる」


「あいよー!」


 力強く返事をしたアマナにクラウ・ディープの相手を任せ、ヨスガは業光の裂け目に向かって走り出す。


 空中から落下するクラウ・ディープも薙ぎ払い、漆黒の律業術をも避けながら、アヴィクトールが消えた白光の裂け目に滑り込んだ。


 直後、ヨスガの視界は強烈な純白の光に覆われる。海に沈んでいくように身動きがとれず、上下左右の間隔もない。


 嫌な窮屈さを覚える中で、ふと誰かに手を引かれる感覚が伝わってきた。


 すると全身の不自由さが僅かに減り、以前体験した感覚が躰中を包み込む。聖域に至る門から、イェフナの元に移動した時と同じだ。


 内に残る同化の影響により、ヨスガは導かれていく。業光の集合体ミトロスニアと、アヴィクトールの元へ。


 兜越しに視えるのは、目を細めてしまうほどの眩い白の輝き。レムに与えられた兜が、この状況では裏目に出てしまっている。


 空間そのものに白の業光が満ちているためか、ルーラハを捉えて視覚化させる兜では相性が悪かった。


 ここで、出来ることは……――


 考えを巡らせた時、突然目の前に迫る壁にぶつかった。だがすぐに壁ではなく、それが足場となっていることに気づく。


 ヨスガには辛うじて、漆黒が薄い膜状に広がり固まっているように見えた。


「追い付いてきましたね。少し、遅かったようですガ」


 顔を上げると、白の光の中にぼやけた人影が立っている。声でアヴィクトールだと分かったヨスガは、よろめきながら立ち上がり声の主に迫った。


「おっと」


 狙いが定まっていない行動は、難なくアヴィクトールに避けられる。すれ違いざまか、足をかけられたヨスガは不格好に転倒してしまった。


「……オマエには、償ってもらう」

「私程度の行いで責任を取らされるなど、ありえない。償いの必要はありません。そもそもヨスガ、今の貴方に何が出来るのでしょウ」


 ぼやけた人影としか視認できないアヴィクトールを、ヨスガは見上げる。


「グランドマルクティアに与えられたであろう、兜の律業術。正確な原因は分かりませんが、正常な機能を果たしていないようだ。視力を失っていると報告がありましたが、今その視界に私の姿は映っていますカ?」


 アヴィクトールはヨスガの様子を眺めながら語っていく。


「鍍金の修復はされていない、人間離れした怪力も薄れている。力を失いかけた状態で出来ることなどありませんヨ」

「力とか、そんなのはどうでもいい……」


 ヨスガは目元を覆う兜の一部を、一瞬躊躇った後に掴む。


「オマエはたくさんの人達を不幸にして、傷つけてる。……だから止める。これから先、一人も犠牲者を増やさないために」


 そのために必要な力と、必要でない力。


「業欣を、元に戻す……」


 それが何か、ヨスガには分かっていた。


「――リキャストル!」


 手に添えた兜が瓦礫の一部に戻る。その際に弾けた業光が衝撃となって、目元の鍍金を荒々しく抉り剥がした。

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