第36話 深淵

「……最低だ」


 ヨスガは吐き気を堪え、言い放つ。


「フフフ、言われてしまいました。ですが、この方法が最も効率的なのでね。熟した禍実を実らせるには、膨大なルーラハが必要になる。胎児には母胎を含めた分のルーラハも含まれていますから、グラチョコを大量生産するのに丁度良い。最高の肥料でス」

「違う……っ」


 微かに声が聞こえてくる。苦しみや絶望の囁きが、工場内に渦巻いている。


「いいえ、何も違ってはいません。純粋無垢であるが故に、濃密なセフィライトが含まれていまス」

「……黙れ」


「これがクリフォライトだと、チョコウが酷い味になってしまうのです。以前子供を使ってみましたが、最悪でした。恐怖やストレスを与えられると、セフィライトは悪性に変質してしまウ」

「もう喋るな……っ!」


「様々な検証を重ねていき、辿りついた最高の品質と味。我々アヴィス・メイカー、努力の成果が今の――」


 誰かを殺してやりたいと、そんな風に思ったのは初めてだった。……だから気づいた時には、躰が勝手に動いていた。


 右手に握りしめる業剣を力の限り振るえば、アヴィクトールを殺すことが出来る。


 簡単なことだ。このまま勢いに任せて突き刺せばいい、切り刻めばいい、叩き潰せばいい。


 簡単な作業。なのに――イェフナの悲しむ顔を思い浮かべてしまった。


 叩き潰す勢いで頭上から振り下ろした業剣は、アヴィクトールの頭蓋を粉砕する寸前で止まる。


「おや、殺さないのですカ?」


 ヨスガの耳に、獣のような荒い呼吸が聞こえてくる。それが自分の口から漏れていることに気が付き、意識の切り替えて冷静になろうと務めた。


 頭蓋から狙いを外し、アヴィクトールの胸倉を掴む。


「オマエは最悪なやつだ……。でも最低なのは、ボクだった」


 アヴィクトールは何の罪の意識も、恐怖も感じていない。平然とした表情でいる。


「自分の目的のために……少しでもオマエに協力した。本当に、大馬鹿だ」


 こんな人でなしを、これ以上頼るわけにはいかない。


「なるほど。どうやら、つかの間の協力関係は破綻してしまったようですネ」


 眉をひそめたアヴィクトールが、「しかし……」と続ける。


「いいのですか? 私との約束を果たさないと、大事な所有物とミトロスニアの所在は掴めませんガ……」

「レムは自分の力で助ける。ミトロスニアも絶対に止める。オマエの力は借りない」


「……マリステラに殺させて」


 漆黒の律業術に囚われたアマナが、アヴィクトールに切っ先を向ける。


「コイツには責任を取らせないと。アヴィス・メイカーがこれまで裏でしてきたこと、クラウ・ディープを生み出したのは自分達だって、公の場で真実を語らせるべきだ」


 殺してしまったら償えない。それでは、アヴィクトールの被害に遭った人達が浮かばれない。


「そんなの知らない……。マリステラは復讐する」


 小さな人型の漆黒が数体現れ、ヨスガを取り囲む。


「――キミも、被害者なんだよね?」


 アヴィクトールに対する執着から、それは察することが出来た。


「分かってほしいとは言わない。でもコイツにとっての罰は殺すことじゃなくて、責任を取らせることだ。ミトロスニアを唆したコイツは――」

「疑問だったのですヨ……」


 ヨスガに襟元を掴まれたアヴィクトールが口を開く。


「貴方は、ミトロスニアを止めることに固執し過ぎていル」

「…………」


「本当は、薄々気づいているのでしょうか。ミトロスニアの柱になっているのが、一体誰なのカ……」

「オマエは、なにを言ってるんだ」


 アヴィス・メイカーの代表は、僅かに口角を上げた。


「いえ……。貴方達は、私を追い込んでいると勘違いしていますガ――」


 白い業光の裂け目が、工場全体を光輝やかせるほど多数に展開される。


「違います。私には、まだ彼女がいル」


 裂け目から現れたのは、全て顔のない、口元だけ裂けたクラウ・ディープだ。


 ――無理解な夜星の業


 マリステラの元へ漆の液体が集まっていき、うじゃうじゃと漆黒が湧きだす。


「漆胎の坩堝――ネクロ・マリステラ」


 裂け目から降下するクラウ・ディープを迎え撃つかたちで、マリステラは漆黒の律業術をぶつける。


 激突する白と黒の光。


「フフフ、美しいですネ」


 アヴィクトールはその光景を眺め、魅入っていた。


「――っ、アヴィクトール!」


 ヨスガとアヴィクトールの間を割って入るよう、空中から落下してくるクラウ・ディープと漆黒の塊。


 それを横に回避して、再びアヴィクトールと距離を詰めるために駆ける。


「人がせっかく楽しんでいるのに――」


 大きな白光の裂け目が、アヴィクトールの背後から現れる。


「空気の読めない人でス……」


 芋虫の姿を模した、泥の怪物が頭部を覗かせる。司教が変貌した時と同じクラウ・ディープだ。


「これは、クラウ・ディープのダイアランク。破壊力、固有の能力ともに凶悪で強力な個体でス」


 アメザイトチョコウによって、死んだ人間が変わり果てた姿。しかし司教のように生きてさえいれば、元に戻せる。


「何か言ってくれ! 何でもいいから! そしたらボクが――」

「それ、無駄ですヨ?」


 司教の場合は異例だったのだろう。ヨスガの言葉は届くことなく、黒茶の吐瀉物が芋虫の口から吐き出される。


「――っ」


 以前と同様、液体は無数の幼虫へと形を変えて正面から迫ってくる。


 目の前に立ち塞がっているのは、一度相手をしたことのあるクラウ・ディープ。以前のように、ヨスガは緋色に輝く業剣をかまえて真っ向から迎え撃った。


「こんなの……――っ!」


 大雑把に業剣を一振りし、幼虫による躰への損傷を最小限に抑える。足にまとわりつく幼虫を振り払い、再度飛びかかってくる小さな芋虫を業剣で消滅させた。


「――『誘いの芋虫』は体内に含まれるアメザイトチョコウを、自らの分身として生産できる。彼女は第3罪徒に対抗するために、このクラウ・ディープを寄越したのでしょう。漆黒の物量に、それを超える圧倒的な物量をぶつける。……フフ、彼女らしい、シンプルで頭の悪い考え方でス」


 アヴィクトールの発言に反応したかのように、白い裂け目が発言者の足元に広がった。


「おや……。どうやら、彼女を怒らせてしまったようですネ」


 胸元に手を添え、アヴィクトールが丁寧に頭を下げる。


「ヨスガ、貴方にも来てもらいたいようだ。私は、先に行かせていただきますガ……」


 そう言って、高所から飛び降りるように身体を後ろに倒すアヴィクトール。白の業光に呑み込まれて消えた後、その場に裂け目だけが残り続けた。

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